#2 - 第6話

「くそ! またダメだ! これで3回目だぞ!」

 田所が執務室のデスクに乱暴に片手を振り下ろす。

小野塚は、すぐに椅子から立ち上がると、頭を抱える田所の隣に立った。

「被害者の情報閲覧請求、情報管理部に断られちゃったか……」

 田所は、拳を額に当て悔しそうな声を出した。

「はい。あの手この手で躱されます。同じ警察なのに一体どこに忖度してるってんだ」

 疲労が溜まってきているのだろう。田所に余裕がなく苛つきが見えてきた。

「ありがとう。あとは引き継いで一度家に帰って休んでくれ」

 小野塚は優しく声をかけた。

「いやでも、まだ出来ます! せっかく俺に任せてくれたのに…!」

焦った様子で田所は小野塚に縋る。

 田所は自己評価が低い。任せた仕事を途中で取り上げようとすると、このように駄々をこねることがよくある。

 小野塚は困ったように笑った。

「違うよ。こういうのは役職付きが言えば意外と何とかなったりする。俺と交代しよう。昼過ぎには大場も戻ってくるし、そろそろ君の休む番だ」

「保立さぁん」

 納得いかない様子の田所は、保立に助けを求めた。

 鑑識ドローンから送られてくる情報を整理をしていた保立は、大きなディスプレイからひょこりと顔を出した。

「そんな顔したって無駄だ。とっとと帰れ。俺がやっても、どのみち結果は同じだ」

 しっしっと手で払うような仕草をすると、保立は再びディスプレイに視線を戻した。

 ぶっきらぼうな言い方だが、言いたい事をしっかりと補足してくれた。

「一回寝て、体調を万全にしてきてよ」

 もう一度、田所に声をかける。

「……はい」

 しぶしぶと言った様子で、田所は歯切れの悪い返事をした。

 やれやれ、と小さく肩をすくめると、小野塚は田所の肩を肘で軽くつついた。

「電子タグ番号は分からなくても、本名から遡れたこともあるよ」

「えっ? 」

「改名履歴を調べた。今回の被害者は一度もしていない。瀬屋せやのぼるは本名だよ」

 社会復帰をする上で、事件当時の名前は思わぬ足枷となるケースが多い。

 そのため、タグ付きの事件を取り扱う場合、改名履歴は個人特定の重要なファクターの一つとなる。

「ガセネタも多いから未確定だけど、過去の事件で瀬屋の名前がヒットした。見て」

 小野塚はデスクから、タブレット端末を持ち出し田所に見せる。


 【河川敷ホームレス殺人事件】 

人殺し三名の名前を晒す

・瀬屋 昇(せや のぼる)

・河内 輝人(かわうち てるひと)

・星浦 貴太(ほしうら たかひろ)


「……オネスティですか」

 オネスティ(Honesty)ユーザー投稿型巨大プラットフォーム。

 元記者である創設者が1978〜1979年に発表されたビリー・ジョエルの楽曲が好きだからこの名を付けたなど、名付けに諸説はあるが、そこに込めた思いは掬い取れる。

 超情報監視社会に対する市井の声の集合体。

 閉鎖されず黙認されているのは、この国の衰退しつつある民主主義の数少ない砦であるようにも思う。

「あまり頼りにしたくは無いんだけど、閉鎖的なこの組織の外的圧力という面では、本当に頼りになる存在だからね」

 小野塚は寝不足の目を擦ると、記事をスクロール表示していく。

 東京文化保護地区、渡会わたらいばしの下に住居を構えていた当時81歳の男性ホームレスに、三名が襲撃。ビニール袋に河川敷の石を詰め頭部を殴打。男性は脳挫傷・急性硬膜下血腫で死亡。

 およそ七年前の記事だ。日々蓄積される膨大なデータから凍結されたアーカイブを掘り当てるのにはやや骨が折れた。

「ビニール袋の中の石? 今回の事件と凶器が同じじゃないか……」

 田所が驚いて呟くと、保立も記事を覗きに立ち上がる。

「同姓同名も否定出来ないが、それにしては出来すぎているだろ?」

「加害者は、七年前の関係者?」

「たぶんね」

 記事を読んだ保立に、小野塚は同意の意を示した。

「まぁでも、電子タグ情報が分からない事には、この匿名記事と紐付けは出来ない。第二、第三の被害が出る前に警戒含めて、俺から情報解除を要請しておくから、田所くんは一時帰宅して身体を休めること。いいね?」

「……わかりました」

 田所は渋々といったように一応返事をした

 まだ納得できていない風だったが、頭を冷やすためにも一度休ませたほうがいい。

 個人のプライバシーを守るため、公権力の情報監視は年々広範囲になっていく。

 だが、身内の恣意的な情報規制に捜査の足を引っ張られる今の惨状は、本末転倒ではないかと小野塚は思った。

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