#2 - 第1話
昼食をかきこんでから13時の定例報告会議。毎週月曜日は慌ただしい。
書記役の
向かいにはスリーピース・スーツにかっちりと身を包んだ男が、紙の報告書の角を机でトントンと几帳面に揃えている。
刑事局 捜査一課 課長補佐兼係長
印刷資料持参は今時珍しい。本人曰く一番思考が整理されるという。
右手の中にはアナログ派である彼のトレードマークの青インクの万年筆がある。
対して保立の横に座るデジタル派の男は、電子タブレット片手に報告を読み上げる。
刑事局 捜査一課 二係 係長の
「通称ペテンと呼ばれる情報撹乱マイクロチップを、捕縛対象が手の甲に打ち込みました。そのため電子タグの情報追跡に必要以上の時間を要しました」
議題は、先日発生した事件の振り返りだ。
電子タグ識別番号:分類:1(エ365864-M)【秘匿事項】氏名:
前科、前歴の付いた者は電子タグ装着を義務とする。
矯正医療センターで模範生だった男だが、社会復帰プログラムの一環である定例面談後に行方をくらませ、担当保護観察官から法務省経由で捕縛依頼が来た。
臼井は、紙の報告書の該当箇所を指先でなぞると口を開いた。
「毎田がマイクロチップを手に入れることは、事前に想定できなかったのか?」
「できたと思います。毎田の担当保護観察官から詳細な情報連携がありました。社会復帰後の動きは夜間に数回、生活圏外を出歩くなど不審な点が多数見受けられました」
臼井は万年筆を自分のこめかみに当てると、じろりとした視線を小野塚へ投げた。
「で、今回の原因をお前はどう捉えている? 」
「局間の情報伝達不足です」
「同感だ。法務局の担当者には私からその旨、伝えておこう」
「よろしくお願いします」
小野塚は、臼井へ小さく頭を下げる。
保立は、横でほっと胸を撫で下ろした。今日の会議は比較的早く終わりそうだ。
「それと、二係の職員が……あー、対象に必要以上の暴行を加えたという報告が届いている。その件について、お前はどう考えている? 」
やはり、今日の定例会議も長丁場になりそうだと、保立は肩を落とした。
被害者:分類:1Ⅴ(エ365864-F)【秘匿事項】氏名:
弘子は8年前に東京圏郊外で強制性交のち毎田の子供を妊娠している。
人口減少社会の現代において、堕胎は全面禁止だ。
『社会復帰したら、またお前を刺しに行く』
事件と法と二重の被害者である弘子へ向けて、毎田はそう言い放った。
『この国は俺を死刑にできない。俺が死ぬまでその繰り返しだ』
お得意の意地の悪い笑み浮かべながら丁寧にそう付け加えることも忘れずに。
人的リソースを失うわけにいかないこの国は同時に死刑制度の廃止も掲げている。
反省していない男に対して、弘子の絶望はどれほどのものか想像に難くない。
そんな男、毎田に勢いよく蹴りをお見舞いしたのが
ちらりと小野塚を横目で見やる。
小野塚は困ったような笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「被害女性に必要以上に感情移入した結果です。今回はやりすぎましたが……」
「今回もだろう! 」
臼井は左拳で机を叩いた。
それまで臼井の傍らに大人しく座っていた男が、勢いよく吹き出した。
「村上! 」
「あ、あ、すいません」
村上と呼ばれた日焼けをした男は、右手の甲で口元を隠した。
「いやー相変わらずですね。大場ちゃん。本当にもう……痛快で、痛快で……」
捜査一課 一係 係長補佐
村上は肩を震わせながら笑いをこらえている。
「村上、笑っている場合か! だいたい小野塚! お前の監督責任だぞ! 」
「臼井さん、そんなに怒鳴るとまた血圧が上がりますよ」
小野塚は人好きのする笑みを浮かべたまま、左腕につけた時計型電子デバイスを人差し指で叩いて見せた。
「血圧は正常値だ! 」
臼井をあえて怒らせ、追求されたくない本題を忘れさせるのは、小野塚が会議で良く使う常套手段だ。
ヘラヘラした様子の小野塚を横目に、保立はICレコーダーへ手を伸ばした。
この部分は議事録に残せそうにない。
「まぁ、今回はあくまで内部での反省会ってことで良しとしませんか? 」
頭に血が上った臼井をいつも諫める役が村上だ。
その軽薄そうな見た目や言動に対して、当初は苦手意識を持っていたが、その堅実な性格や
村上の一言に臼井は少し冷静さを取り戻す。
「ふむ、確かに。今回は依頼元の法務局からの報告というわけではないからな……」
「え」
臼井の発言に小野塚が短く声を洩らす。
「法務局経由から来た毎田本人からの
「救護係の
捕縛時には
麻酔は強制的に仮死状態にするため、対象の容態の急変に即応できるよう消防庁 救急局から在籍出向者をアシスト役として付けることが多い。
官公庁のミニマル化推進施策の一環だ。
村上は自らの電子タブレットを叩くと、該当部分を拡大して小野塚と保立に菰田の報告書を見せた。
臼井が、腕を組みながら小野塚へ声をかける。
「何か気になる点があるのか? 」
小野塚は、顎に手を当て視線を右上に泳がせる。
「何というか、あの執念深い男がずいぶん大人しく牙を引っ込めたと思いまして……苦情の一つや二つは言ってきそうな素振りだったので……」
矯正医療センターへ戻ったら過剰防衛として訴えると、最後まで噛みついていたと保立も情報共有を受けている。
「再矯正プログラムのカリキュラムは厳しいと聞きます。大方、タスクに忙殺されて毎田も、それどころじゃないのかもしれませんよ」
村上は、そう言うと手に持ったタブレットを翻し、拡大表示した文字をスワイプして元に戻した。
「そうかもしれませんね」
小野塚は、にっこりと村上へ笑顔を投げかけた。
――これは納得していない時ポーズだな。
保立は長い付き合いの感覚でそう感じた。
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