#1 - 第6話

 弘子が目を覚ますと、真っ白な天井とそれに張り付く蛍光灯が飛び込んできた。

 ベッド横の椅子に黒のセットアップスーツに身を包んだあの女警察官が座っている。

 どうやら病室のようだった。

「気分はどうですか?」

「……良いわけないでしょう」

「そうでしょうね」

 弘子の精一杯の皮肉に怯む事なく、大場は淡々と返事をする。

「あの男は……毎田はどうなったんですか?」

「矯正医療センターへ移送されました」

 ぎりと弘子は奥歯を噛み締める。

「死刑には……ならないんですよね?」

「はい。それがこの国の司法ですから」

 そう言うと、大場は手に持っていた液晶タブレットを叩くと弘子へ見せた。

 画面には『事後報告書』の記載がある。

「緊急事態とはいえ、不動化薬を投下したこと申し訳ありませんでした。こちらに事後承諾のサインを頂けますか」

 事務的な言葉。

 弘子は、思わず大場の持つ液晶タブレットをはたいた。

「……どこまでも……お役所仕事ですね」

 大場は表情一つ変えない。

「どうして私を止めたんですか?」

 大場は、ふぅと小さな溜息をついた 。

「何ですか、その溜息……」

 弘子はむっとした。

「これは私人の立場での発言ですが」

 大場は、そう前置きを入れると弘子の左手の薬指を指差した。

「失うものが何もない人間だったら、恐らく止めませんでした」

 はっとした。内心では弘子も分かっている。だが、

「あいつは死刑にはならない。生きている限り私は一生あの男の影に怯えて生きていかなければならない。そんな状態じゃ、とても……幸せになんか……」

 途中からは声にもならなかった。嗚咽が混じり涙がこみあげてくる。

 大場は黙ってサイドテーブルにあるティッシュ箱を弘子に差し出した。弘子は、数枚手に取ると両目に押さえつける。

 大場は目を伏せると、静かに口を開いた。

「死刑にならないのはあなたも同じです」

 弘子は顔を上げた。

「次に出てくるのは十年後。その間せいぜい抗ってみてください」

「抗うって……」

「幸せになって忘れてしまうんですよ」

 弘子は過度に漂白された白いシーツを強く握った。

「それでも……忘れられなかったら?」

 静寂が室内を包み込んでいる。

 日が暮れはじめ、窓を背に座る女を西日が浸食するように赤く染め上げていた。

「殺すのはその時でいい」

 弘子は息を飲んだ。

 大場の射抜くような目がそこにある。

「今の……殺人教唆ですよ……」

「はぁ、まぁ……国営ヤクザですから」

 大場は何でもないといった風に自虐を込めて警察官である自分をそう評した。

「十年あります。いっそ完全犯罪を計画してみるのもいいんじゃないですか」

 いよいよ弘子は呆れてしまった。とんでもない警察官がいたものだ。

「あなたも……十年来の殺したい相手でもいるんですか?」

 冗談のつもりで言った言葉だった。

 ぴくりと大場の眉がわずかに動く。

「十二年来の相手なら」

 それは、憤懣と哀惜が入り混じったような複雑な笑みだった。

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