#1 - 第3話

「どうですか、生活にはもう慣れましたか?」

 白髪混じりの男性保護観察官が、穏やかな声で毎田へと声をかけた。

「ええ、なんとか」

毎田まいだ孝行たかゆきは、ロボット給仕が盆に乗せて持ってきたコーヒーを一口飲んだ。せっかくならば身体にいいものをと有機穀物のカフェインレスを薦められるまま注文したが、男の善意の押し付けと相まって毎田の口には合わなかった。

「ところで、近頃夜間に出かける事が多いようですが……これは一体何を?」

 毎田の手が止まる。少しの間を空けて口を開いた。

「散歩です」

「ほう、散歩ですか……」

 保護観察官の男は、怪訝そうな表情を浮かべる。いまいましい電子タグだ。精一杯の笑顔を作り、毎田は担当保護観察官へ口を開く。

「被害女性に一言謝罪をしたいと思ったんです」

 さっと保護観察官の表情が変わった。

「大変申し上げにくいのですが、あなたにはお会いしたくないとのことです」

「そうですか……」

 それはそうだろう、と毎田は内心思った。

「言葉ではなく、これからの行動で示しましょう」

「その通りですね。座右の銘にします」

 毎田がそう答えると、保護観察官は満足そうな笑みを浮かべた。

「彼女もあなたと同様に新しい生活に戻っています」

「僕の子供を妊娠したって聞きました」

 かしゃりと乾いた音が鳴る。保護観察官の男はカップをソーサーに戻した。

「それをどこで……」

「矯正医療センターで僕より先に社会復帰した仲間たちですよ。今でも少し交流があるんです」

 ふぅ……と保護観察官はため息を漏らした。

「会わせられませんよ」

「分かっています。僕が父親では子供も嫌でしょう。ただ、どうしているのかなって……」

「子供は国の財産です。心配しなくとも、施設できちんと育てます」

 毎田は俯いた。口角が上がるのを向かいの男にばれないようにするためだ。

 人口減少社会の現代日本において、堕胎は全面的に禁止されている。女は産むしかない、たとえどんなに憎い男の子供であろうとも。

 あの女の通報のせいで、矯正医療センターへ8年も追いやられたのだ。

 毎田は俯いたまま、小刻みに肩を震わせる。

「毎田さん?」

 保護観察官の男が様子を窺うように椅子から半身を浮かせた。

 毎田は、備え付けのカトラリーケースから乱暴にフォークを握った。

 そして、振り上げる。

 右手にぶどうの実を刺したような感覚があった。

 次の瞬間、男は海老のように仰け反り獣のような叫び声を上げた。

 左目にフォークが刺さっている。

 低予算のB級ホラー映画を彷彿とさせ毎田はたまらずに吹き出した。店内には毎田たちの他に客はいない。給仕ロボットたちは床をのたうち回る客に目もくれず、店内掃除に徹している。

 ぬるくなった飲みかけのコーヒーを、毎田は床の男の顏に注いだ。浜辺に打ち上げられた魚のように男は身体を上下させる。今度は声を出して笑った。

 すべて型落ち旧仕様の機械に任せているような喫茶店を指定したのは、この男の愚かな判断であった。

 毎田はジーンズの右ポケットから密封個包装されたインジェクターを取り出すと、封を破いてすぐに左手の甲に差した。

 電子タグ情報を上書きし、位置情報を撹乱させるマイクロチップ。

 通称ペテン。前科前歴のある者の間で取引されている代物だ。ペテンは、詐欺を意味する中国語「bengzi」が訛った語だと、毎田は売人に教わった。

 電子タグの監視を掻い潜り購入するのには苦労した。もっとも、社会復帰して二ヶ月で作った金では、最安価なものしか手に入らなかったが。

 毎田は椅子から立ち上がると、店を後にした。

 タグ情報を誤魔化すのにも限界がある。無駄な時間はない。

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