第12話 土竜との遭遇
雲行きが怪しくなり始めたのは、樹海を出て一日半ほど進んだところだった。
旧ヴィエンナ領と隣のパスカー領の境目を過ぎ、農家や小さな村が点在する辺り。ようやく、人の住んでいる地域に戻ってきたと感じはじめていた矢先に、突然、道が荒れ始めた。しかも、引き裂かれた建物や完全にぺしゃんこにされた物置き、地面の中から作物ごとひっくり返されたようになった畑など、異様な光景が周囲に広がっている。
人間の盗賊の仕業などではあり得ない。どんな人間だって、たとえ精霊術師でも、そう簡単にこれほどの破壊を引き起こせるはずも、その意味も無い。
だとすれば、答えは一つだ。――最近になって、暴竜が出たのだ。
マリアベルの表情は、険しくなっている。
「わたしたちが前にここを通った時は、こんなふうじゃなかったわよね?」
「ええ、前回は至って平和な場所でしたね。最近なのは間違いないでしょう」
答えながら、ニコラは既に馬上で、”探知”の精霊術を展開している。
「…あんたは、”風”の精霊と親和性が高いんだな」
ぼそりと、ユーリが呟く。
「ええ。ですので、探知や索敵なんかはお任せを。うーん、近くには居ないようですね…もう倒されたんでしょうか」
「いや。まだ近くにいる」
精霊術を使っている様子もないのに、ユーリはあっさりと畑の真ん中に穿たれた穴のほうを指さした。
「マナの流れが乱れている。あの奥だ。まだ、一日経っていないだろう」
「ほう…?」
ニコラは興味深そうな顔をして、何やら精霊術をかけ直している。
「確かにこの痕跡は新しいもののようです。土の下…だとすれば土竜ですね、おそらくは。今夜はこの先の町で宿をとる予定でしたが…どうなさいます? 姫様」
「竜がまだ近くに居るかもしれない、ってことでしょ? それなら、ここにも一人いるから大して変わらないわ」
マリアベルの、かすかに棘のある口調でもユーリは全く気にした様子はない。
「それに、町の被害も見ておきたいの。予定通りでいいわ」
「かしこまりました。それでは、参りましょう」
畑の向こうには、石造りの城壁を持つ町らしきものが見えはじめている。けれど、遠目にも、その城壁の一部が崩れ落ちて、ただならぬ雰囲気に包まれていることが分かる。
小さな町は、ほとんど満身創痍といった状態で佇んでいた。
取り囲む城壁はほとんど崩れ落ち、大通りの真ん中に地面の下から何かが突き破って出て来たような大穴が開けられている。怪我人が多い。それに、荷物をまとめて急いで立ち去ろうとしている家族もいる。
マリアベルたちがやってきたのを見て、崩れた建物の瓦礫を片付けようとしていた住人の一人が、怪訝そうな顔で声をかけてきた。
「おい、あんたたち。この町は見ての状態だ、ここで宿をとるのは止めたほうがいいぞ」
「竜が出たのよね。”竜殺し”は、もう派遣されている?」
「ああ、ローグレスから二人、寄越してもらってるよ。ただ、つい昨日の戦闘で…。」
住人は僅かに言葉を濁し、通りの奥のほうに見える宿にちらりと視線を向けた。
どうやら、既に交戦したものの、芳しくない結果に終わったらしい。
「生きているの?」
「ああ、何とかな。ただ、かなりの重傷だ」
「それなら、こちらには治癒の精霊術を使える者がいるわ。行ってみる」
「え? おい、あんた…」
「”竜殺し”よ、わたしたちも」
立ち去りながら、振り返ってマリアベルは力強く微笑む。
「安心して。ここに立ち寄ったのは偶然だけれど、何とかしてみせるわ」
「……。」
彼女の後ろで、ユーリは何か言いたげな顔をしている。視線は、マリアベルの腰にある剣――今は空の鞘でしかないそれに、向けられていた。
宿の辺りはまだ被害が少ないほうだった。たずねてみると、さっき出会った住人の言っていたとおり、二人組が手当を受けている最中だった。
一人はがっしりした体格の中年男性の精霊術師。もう一人はまだ若い剣士。竜殺しの剣士と精霊術師という、標準的な、”竜殺し”パーティーの最小単位だ。
部屋に案内されてマリアベルが入っていくと、二人は、はっとしたように寝台の上に飛び起きた。
「こ、これは…マリアベル王女?! どうして、こんなところに」
さすがに、ローグレスでは顔と名の知られた存在である彼女のことは知っているらしい。
怪我人に無理はさせまいと、マリアベルはにこやかに身振りで「楽にしていい」と伝える。
「そのままでいいわ、たまたま立ち寄ったの。少しだけ話を聞かせて頂戴。相手は土竜ね? どんな風に交戦したの」
「それは、――ええと」
「恥ずかしがることはないわ、あなたたちは十分に戦ったのだから。後はわたしたちが引き継ぐ、だから出来るだけ正確に教えて。敵は、どんな奴だった?」
真剣な眼差しと、威厳さえある口調に気圧されるようにして、剣士と精霊術は交互に、おずおずと口を開く。
「その、急所が狙えなかったんっス。角が精霊石の上に大きく張り出していて…まるで、こう、両手で覆ってるみたいな形で」
年若い剣士のほうが、そう説明し、年嵩の精霊術師が付け加える。
「ローグレスで手配を受けた時には、標準的に大きさで、よく居る型の土竜だと聞いていたんです。ただ、角の形状までは聞いていなかった。接近戦に持ち込めばなんとかなるかと、一か八かでやってみたんですが、このざまで…角を切り落とさない限り致命傷を与えられないらしいんですよ。」
「どうかしら? ニコ」
「…ふむ。」
マリアベルに意見を求められ、ニコラはあごに手をやった。
「まず、土竜が相手なら、対極にある風の精霊術が有効です…が、お二人はどちらも、風の系統は得意ではなさそうですね」
「ええ…まあ。動ける竜殺しの人数が足りなくて、ちょうど手が開いてたもんで。ですが、竜を倒す時は精霊術はあくまで補佐です。急所さえ狙えれば倒せるはずだと」
「それが、巧くいかなかった?」
「そうなります…。」
「なるほど。」
彼は、窓の外に視線をやった。
そこに何が見えるわけでもないが、さっき、ここに来るまでに見た町の周囲や、町中の破壊の痕跡を思い出しているのだろう。
「竜の角というのは、唯一の急所である精霊石を守るためにあるものだと言われていますからねえ。おいそれとは切り落とせない。土竜は一般的に防御力の高い種類ですが、急所の防御に特化している個体なのかもしれませんね。」
「何か手段を考えてみるわ。少し時間を頂戴。ニコ、この二人の治療を頼める?」
「かしこまりました」
「えっ、そんな。王女様の従者どのの力を借りるなんて…」
「気にしないで。その体じゃあ、向こう一ヶ月は動けないでしょう? 早く体を治して、また一緒に戦って貰いたいの。」
にっこりと微笑む笑顔に、剣士と精霊術師の表情が、思わず緩んだ。それとともに、どこか誇らしげな雰囲気も。
けれど、マリアベルのほうはそれに、全く気づいて居ない様子だ。
ニコラは、やれやれといった表情で肩をすくめると、怪我人たちの寝台の側に腰を下ろした。
マリアベルが部屋を出たのを見計らって、ユーリが素早く後ろに歩み寄る。
「おい。まさか、戦うつもりなのか」
「そうだけど、何?」
「正気か? あんた今、武器が無いのに」
ユーリの口調は、信じられないと言わんばかりだ。
「目の前で、竜が被害を出しているのよ。見逃せるわけがないでしょう」
「だからって…、戦う手段もないのに突っ込むのか? 勝ち目のない戦いで希望を持たせてどうする」
「剣なら、さっきのあの人が持っていたのを借りるわよ」
むっとしながら、マリアベルは勢いよくユーリの前に指を突き出す。
「それとも、何? このわたしに、『ここは大人しく退け』とでも言うつもり?」
「それ以外に、選択肢があるのか?」
薄茶色の瞳は、彼女の剣幕にも、苛立った鋭い眼差しにも気圧されることもなく、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「勝てないなら逃げるしかない。当たり前の道理だ、動物だって知っている。命が惜しいのなら、仲間や家族を守りたいのなら、それが最善の策だろう」
「住み慣れた土地を捨てて? 君、最初に会った時も同じことを言ってたわね。遷都しろとか、避難しろとか。よくもそんな、簡単に言えるものだわ。君だって、今住んでるあの森を追われたら嫌じゃないの?」
「……竜は、マナの濃い場所でしか生きられない。人間は…どこでだって生きていける」
「何、それ。勝手な理屈ね。自分は特別ってこと? 君、人間のことを何だと思っているわけ?」
詰め寄られても、ユーリはほとんど顔色一つ変えず、ほとんど間髪も入れずに答えた。
「一生は短く、肉体は脆い。本質的にはか弱い生き物だ」
「は?!――」
「ちょっと、ちょっと、姫様」
背後で扉が開き、慌てた様子のニコラが駆け出してくる。
「中まで声が聞こえてますよ。一体どうしたんです? 何で喧嘩してるんですか」
「言いたくないわ! こんな不愉快なことったら無い」
「えぇ…。」
ニコラは、困った様子で二人を見比べた。
マリアベルはぷいとそっぽを向いてしまい、ユーリも、小さく溜息をついて視線を逸らす。
「剣もないのに戦えないだろう、と言ったらこうなった」
「それだけじゃないわ! 人間をバカにした」
「バカになんて…」
「あー、はい。何となく理由は分かりましたが、その。穏便に…ね? 落ち着きましょう。体裁も悪いですから」
その言葉を敢えて無視して、マリアベルは、ニコラのほうだけに話しかけた。
「ニコ、さっきの人たちの剣を借りられないか交渉してくれない? それと、準備が整ったら竜を探しに行きましょう。幸い、ニコが一番親和性の高いのは風の精霊だから、ニコが引き付けてくれれば、隙をついて角を切り落とせるかも」
「また危険な策を…。ユーリさんの力を借りても…」
「必要ないわ。」
ニコラがユーリのほうに向けた視線を遮るように、マリアベルは体の位置をずらした。
「その人の力なんて借りたくない。わたしたちだけで何とかしてみせる」
「……。」
ユーリは、何も言わずに背を向けた。
マリアベルが、言い出したら話を聞かないことはよく分かっているニコラも、その場は、黙って従うしかなかった。
町の人々に聞いた話では、土竜が現れるのは、決まって夜半すぎだという。
既に人々も寝静まり、半壊した町は闇の中に沈んでいる。そんな中、マリアベルとニコラは、まだ崩れ落ちていない城壁の上に登って、辺りの様子を探っていた。ついて来なくていい、とマリアベルに言われたにも関わらず、ユーリも、少し離れた場所に立っている。
「どう? ニコ」
「うーん、まだ反応は無いようです。元々、地面の下にいる敵の気配は探りづらいんですよね…。」
言いながら、ニコラはちらとユーリのほうに視線をやる。
「…言っておくが、おれは戦わない。」
「ええ。言わなくても知ってる。だから黙って見てて」
マリアベルが、ぴしゃりと言い放つ。彼女の手元には、怪我をした竜殺しの剣士から借りてきた剣がある。使い手の体格に合わせ、いつも使っているものより、かなり大ぶりな剣だ。
「その剣を振り回すのは、大変じゃないか?」
「ほっといて。なんとかなるわ、さっき素振りも試してみたし」
「大きさの話だけじゃない。使い手に合わせて調整してあるんだろ? あんたは水の精霊との親和性が高いように見える。その剣は、火の精霊に感受性が高い素材が使われてる。相性が悪すぎる。威力はかなり下がると思うが…」
「ごちゃごちゃ言わないで! それなら、普段より力を込めるから」
「……。」
小さな溜息。何を言っても無駄と悟ったのか、ユーリはそれきり、口を閉ざしてしまった。
言っていることがすべて正論なだけに、マリアベルには感情的に対抗するしか手段が無いのだ。
それが分かってしまうからこそ、ニコラには何も言えなかった。
(ついカッとなりやすいのは、うちの姫様の悪い癖ですね、まったく…。)
苦笑しながらも、彼は内心、面白いと思っていた。
(それにしても、うちの姫様にこんなに真正面から物が言えるとは。さすがに、只者じゃないと言うべきか…)
王女で、次期王位継承者という肩書きと立場。
無意識に放つ威厳や、生来の魅力。自ら剣をとり、暴竜退治に乗り出している実績と評判。
そうしたものを無視して素のままに接することの出来る立場の人間は、そう多くはない。付き合いが長く、気心のしれたニコラでさえも、主従という関係上、常に一歩引いた位置で接しているくらいだ。
おそらくユーリは、…実体が人間ではない、ということを差し引いても、マリアベルにとっては、生まれて初めて出会った、「何の遠慮もしてくれない」他人、なのだった。
僅かに、夜の空気が揺らいだ。
はっとして、ニコラは意識を”探知”の術のほうに引き戻す。
「来ます」
「どこ?」
マリアベルが剣を構える。
「門のあたりです。町を素通りして…おそらく、あちらの家畜小屋。」
「あっちね、行きましょう」
「あ、いえ。すごい速さです、今からでは追いつけ…」
言い終わらないうちに、畑の先にある家畜小屋のほうで、地面から土柱が吹き上がった。
巻き込まれた家畜たちの悲鳴と、ばらばらになって空中に飛び散る小屋の破片。
夜の中に飛び上がった竜の姿は、まるで、不格好なトカゲのようだった。短い手足と、ウロコのような硬い表皮に覆われた体。そして、モグラのように尖った頭と、――額には、確かに両手のような形をした二本の平たい角がある。
「ニコ! 地面に潜られたらどうしようもないわ。地上に引き付けられる?」
「”拘束”の術で足止めしてみます。とはいえ、私ではユーリさんほどの威力は…」
「彼のことはどうだっていいの! あなたの全力を尽くしなさい!」
言いながら、彼女は早くも城壁から続く階段を駆け下りて、門の外へ飛び出している。
「姫様、突っ込まないでください…!」
ニコラも、必死で追いかける。
その様子を、ユーリは、城壁の上に佇んだままでじっと見守っていた。
それから、眼差しはゆっくりと、家畜小屋のあたりで地面をほじくり返している竜のほうへ向けられる。
(……。)
物言わぬ眼差しが、微かな琥珀色に輝いた。周囲には光の粒のように精霊たちが集まっている。
次の瞬間には、彼の姿はそこから消えている。微かな輝きを、光の粒のように残して。
走りながら、マリアベルは竜が何をしているのかに気づいていた。
家畜を追い払い、建物を壊したあと鼻先で辺りの地面を掘り返し、丁寧に盛り上げて何か作ろうしているようだった。
(何? 何をしているの…土塁? 土を盛っている?)
鼻先をひくひくと動かして、近くでみると竜の顔はまさにモグラそのものだった。土くれの中から食べ物を探している地下の生き物の姿。
だが、悠長に観察している場合ではない。人間が近づいて来るのに気づいた竜は、低い唸り声を上げながらこちらを振り返った。敵意に満ちた眼差しは、不気味に赤く輝いている。
「姫様!」
ニコラが声をかけ、同時に、”拘束”の術で竜の脚を絡め取る。
攻撃されたと認識した竜が、大きく身を捩った。
「グルル…!」
「ひぇー、やっぱユーリさんりのようにはいきませんよね…っと」
慌てて撤退しながら、ニコラは風の精霊術で空中に真空の刃をいくらか生み出した。
もちろん、それが竜の硬い装甲を傷つけることは期待していない。あくまで挑発、囮としての役割だ。
その間に、マリアベルが距離を詰め、隙を見て竜の額から角を切り落とせればいい。幸い、今回の竜は短い四足で地面を這うように歩行していて、翼もない。頭は低い位置にある。
竜がニコラを追いかけようと、唸り声を上げながら向きを変えた瞬間、マリアベルは、臆することもなくその目の前に飛び込んだ。
手にした剣の刃が、青白く輝いている。
「やあーっ!」
掛け声とともに、力いっぱい振り下ろした剣は、狙い通りに角の根本に食い込んだ――が、そこまでだった。
刃は半分までめり込んだところで、動きを止めた。それ以上は、ぴくりとも動かない。
「…ガ」
竜の目が、額の上にある異物のほうを、じろりと睨んだ。
「あ、…」
「姫様!」
まずい、と思った瞬間、竜の頭が勢いよく振り上げられていた。
剣から手が抜ける。
空中に放り出されたマリアベルは、地面と水平にふっ飛ばされ、何度も叩きつけられて転がった。
「…うう」
「姫さ…うわああっ!」
ニコラの悲鳴と、聞きたくもない鈍い音が響いてくる。痛みと目眩で起き上がれないマリアベルの視界の端で、竜が何かを踏みつけようとしているのが見えた。
「ニコ…」
失敗した? 自分たちも、先に戦ったあの”竜殺し”たちと同じように?
「…だから言ったのに」
耳元で、ぼそりと声が聞こえた気がした。
意識があったのは、そこまでだった。
世界が暗転し、あとはもう、何も覚えていない。
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