第13話 戦わない竜の戦い方

 気が付いた時、頭上にある空は既に白みかけ、辺りには竜の気配も、戦いの物音も何も無かった。

 ただ静けさと、夜の帳を開けてゆく朝の輝きがあるだけだ。

 おそるおそる起き上がり、自分の体を見回して、どこも欠けていないことを確かめる。痛みは無いが、どうやら夢ではなさそうだ。その証拠に、あちこち衣服がほつれ、泥にまみれている。

 隣を見ると、同じように泥まみれの格好をしたニコラが寝かされて、枕元には剣や持ち物がまとめて置かれている。 

 誰かが竜を追い払い、傷を追ったマリアベルたちを安全な場所まで運んで治療してくれたのだ。

 ――こんなことが出来るのは、一人しかない。


 「…どうして」

マリアベルは、背後にある無言の気配に向かって、ぽつりと呟いた。

 「あれだけひどいことを言ったのに、どうして助けてくれたの」

 「ひどい、という自覚はあったんだな」

苦笑しながら、ユーリは横から水筒を差し出す。マリアベルは、黙ってそれを受け取り、泥まみれの両手を拭った。

 側にある気配は不思議なほど落ち着いて、怒りも、苛立ちも、見下すような感情もない。

 「人が死ぬのは、楽しくない」

簡潔にして、簡素な返答だ。

 「おれは、無理だと言った。あんたは、自分たちの全力を尽くすと言った。結果は、おれの言ったとおりになったが…何が正しいかを決めるのは自分自身だからな。それだけだ。」

 「バカにしてるの?」

 「してない。…どうして、そう突っかかってくるんだ」

 「君の言うことが、いちいち癪に障るからよ。負けるって分かってるのに、わたしたちが突っ込んだのを見て呆れているんでしょう」

振り向いて、ユーリを睨みつけたマリアベルの瞳には、薄っすらと悔し涙が浮かんでいる。 

 「どうせ、わたしたちは、竜に比べれば無力な人間よ。そんな人間が必死で戦ってるのなんて、馬鹿馬鹿しく思えてるんでしょ? 君なら余裕で勝てるはずなんだから」

ユーリは、溜息とともに小さく首を振った。

 「余裕なんて無い。それに、自分で何とかすると言ったのは、あんたなんだが」

 「だって…。」

マリアベルは、言葉に詰まっていた。

 「ここで引き下がることは出来ないの。武器が無いからって素通りするのは、ここに住む人たちを見捨てるということ。私たちが戻ってくるまでに、何人死ぬと思う? 全員を説得して避難させたとして、その間に他の町や村が襲われないという保証もない」

 「…それは、理解できなくもないが…。」

 「人間として暮らしていたんだから、君だって分かるはずでしょう。あの樹海に黒竜が攻めてくるからといって、ディアンさんたちに、今すぐ屋敷を捨ててどこかへ移住しろ、なんて言える?」

 「……。」

夜明けの光の最初の一筋が、二人の間に割って入る。


 まだ眠っていたニコラの顔にも光が当たり、彼は、はっとしたように飛び起きた。

 「うわああっ! あれ…?」

叫び声を挙げたあと、大慌てで周囲を見回して、きょとんしている。

 「ニコ! 大丈夫なの?」

 「え、姫様…あれ? 私はどうして」

 「ユーリが助けてくれたのよ。何処も痛くない?」

 「骨折と打撲は治しておいた」

小声で、ユーリが呟く。

 「あ、それはありがとうございます。いやー、もう死んだかと思いましたね。で、あの竜は?」

 「分からないわ。気が付いた時にはここに運ばれてたから。ユーリ、居場所は分かるの?」

 「ああ。ここから少し先の農地の地下にいる。ここが餌場として気に入ったんだろう。巣を作るつもりかもしれないな」

 「餌場?」

 「竜はマナを吸収する。土竜は土から放出されるマナだ。…作物がよく育つ土地は、土のマナが豊富なことが多い。人間と同じように耕して置いておけば、マナがよく育つ」

 「それじゃ、昨夜、土を掘り返していたのって…。」

 「人間が畑を作るのと同じことだ。育てたいものが作物か、マナかの違いだけで。」

 「ほほう、それは興味深い」

ニコラは、きらきらと目を輝かせながら身を乗り出す。

 「竜の生態について、竜自身から講釈を受けられるとは! いやあ、知見が広がりそうですねえ。ぜひ、詳しく伺いたいところ――ですが――…」

隣のマリアベルから凄まじい目つきで睨まれて、ニコラは口を閉ざした。取り繕うように、こほんと小さく咳払いをする。

 「あー…、こほん。それはまたの機会ということにして、まずは、あの土竜をどうするか、ですね」

 「そうよ。どうにかならない? ユーリ」

 「おれに聞くのか…」

 「ええ。わたしたちより、君のほうが現状をよく把握しているみたいだから。君の意見を聞きたいの。あの竜がここを餌場にするつもりなら、倒さない限りは被害が広がり続ける。追い払っても、別の場所が荒らされるだけ。人間のほうが逃げるという選択肢は最初から無いわ。どうすればいいと思う?」

 「……。」

真顔のマリアベルにじっと見つめられ、青年は、困ったように考え込んだ。

 「…おれは、戦いたくないんだ」

 「ということは、君が戦えば何とかなる、ってこと?」

 「いや…。人間の肉体は脆い。あいつと戦えば、体が壊れる。…竜の体なら、多少は」

 「多少?」

 「言っただろう。おれは、戦い方なんて知らない」

 「ああ、そういえば」

 「本当は、もう少し確証を得られてから試したかったんだが。」

逡巡するような、微かな間。

 「――方法は、たぶん、ある」

 「本当?!」

 「ああ。あんたが戦ってくれるなら、だが…。」

言いながら、彼は”竜殺し”の剣を指差した。

 「どういう仕組みかはまだよく分からないが、その剣は人間が使う精霊術を一点に凝縮して、精霊石の破壊に特化した攻撃を放てるらしい。それを使えば、周囲に極力、被害を出さずに戦えると思う」

 「ふーむ。つまり、普段は私が精霊術でやっている補佐の役目を、あなたが引き受けてくださる、と?」

 「全部、は無理だが…。自分たちの身は、できる限り自分たちで守ってほしい」

 「分かったわ!」

マリアベルは、大きく頷いて胸を叩いた。

 「樹海の入り口で、水竜と戦った時と同じ感じよね? 任せて。わたしたちだって、出来ることはする」

 「…頼む」

どこか不安げに呟いて、青年は、ゆっくりと立ち上がった。視線を辺りに彷徨わせ、やがて、町の向こうに広がる、まだ破壊の広がっていない畑に、ぴたりと目を留めた。

 「奴は、あのあたりの地下にいる。ひっぱりだして、角を破壊したら地面に固定する。――それまで、町の人たちをあそこに近づけないようにしてくれ。誰も巻き込み無くない」

 「ええ、そちらは引き受ける」

マリアベルとニコラは、大急ぎでその場を離れ、町のほうに駆け戻っていく。

 それを見送ってから、ユーリは、そっと腕輪を外して、上着と一緒に納屋の脇に置いた。

 彼の気の乗らない表情の意味をマリアベルたちが知るのは、それからまもなくのことだった。




 明け方の町は、少しずつ目覚め始めていた。

 夜間に竜が暴れていた地響きは、町にも伝わっていたはずだ。泥守れになって駆け戻ってきたマリアベルたちを見て、被害を確かめようと畑に出ようとしていた人々が足を止める。

 「あれ? あんたたちは確か、昨日新しく来た”竜殺し”…」

 「そうよ、まだ戦いは終わってないの! 町から出ないで。他の人たちにも伝えて頂戴。今、畑に出たら、巻き込まれるわ」

 「巻き込まれる? 一体、何…うわっ」

言い終わらないうちに、轟音とともに凄まじい強風が吹き抜けた。通りから土埃を吹き上げ、干されようとしていた洗濯物を舞い散らし、歩いていた人々の頭から帽子を奪い取る。

 空を振り仰ぐと、頭上すれすれを真っ白な竜が飛び越えてゆくところだった。

 「うわっ、何だ?!」

 「竜だ! もう一匹…」

町の人々は逃げ惑い、大混乱に陥っている。

 「皆さん、落ち着いてください! 町を離れないで。ここにいてください!」

必死に落ち着くよう呼びかけながら、マリアベルとニコラも少し不安になって来ていた。

 城壁の向こうで、土が弾け飛んで柱上に吹き上がるのが見えた。同時に、地響きが足元から突き上げてくる。

 大急ぎで城壁に駆け上がってみると、ちょうど、白竜が地面から土竜を引きずり出しているところだった。土竜のほうは、土の中に逃げようと必死でもがいている。尾のあたりを掴んで引っ張っている姿は、まるで、綱引きのようだ。

 「なんか…あれね。あんまり、格好いい戦い方じゃあないわね」

 「…そうですね」

力比べでは、ほぼ互角だ。朝日に照らされて、土竜は不快そうにギリギリと歯ぎしりのような音を立てる。

 と、このままでは逃げられない、と悟ったらしい土竜が、ぴたりと動きを止めた。

 その周囲の地面が振動し、次の瞬間、尖った土の柱が無数に飛び出してくる。

 「ユーリ!」

マリアベルは思わず叫んでいた。

 だが、柱に貫かれると見えた白竜の体は無傷で、後ろに跳ね飛ばされただけだった。

 仰向けにひっくり返った白竜めがけて、土竜が破れかぶれに食らいついていく。二体の竜は、組み合ったまま地面を転がった。舞い上がった土埃の中で、大きさの違う二つの巨体が揉み合うのが分かる。


 見ているうちに、マリアベルたちにも、ユーリの言っていたことが分かってきた。

 殴り合い、噛みつきあい、体当たりをして相手を押さえつける。

 土竜のほうは、土を操って柱を出現させたり、目潰しの土埃を起こしたり、石つぶてをぶつけようとしたりと、人間の使う精霊術によく似た戦法を幾つも繰り出している。白竜はことごとくそれらを無効化しているが、逆に、自分のほうから仕掛ける戦術のようなものが全く見えない。

 ただ、相手が疲弊するのを待っているだけ。そう見えるのだ。

 (本当に――戦い方を知らないんだ……。)

剣の柄を握りしめたまま、マリアベルは心の中で呟いた。

 正直、今の今まで、ユーリの言う「戦えない」は、謙遜くらいに思っていた。だがまさか本当に、これほどまでに「戦えない」とは。

 「うーん、見ているこっちが痛々しくなってきますね…」

隣にいるニコラも同じ感想を抱いたらしく、苦い表情になっている。

 「あの姿だと、精霊術は使えないのかしら」

 「かもしれませんね。竜は精霊の一種ですから、精霊が精霊を使役することになってしまう。何か術を使うにしても、やり方は人間の時とは違うはずです」

 「わたし、…彼に酷いこと言っちゃったわね」

マリアベルは、しゅんとして俯いた。

 「全然、余裕なんかじゃないわ。死なないってだけで、互角とも言えない。こんなに苦労するなんて、思ってもいなかった…」

 「そうですねえ。少なくとも、竜というのも色々だと分かりましたよ」

見ている二人の目の前で、竜たちは、もみ合いながら畑を転がりまわっている。

 ユーリは、町の方にだけは被害が及ばないよう気を使って戦っているものの、それ以外の街道や家畜小屋などが容赦なく吹き飛ばされていくのはどうしようもない。


 しかし、やがて、土竜の側に疲れが見え始めた。

 その隙をついて、白竜は思いきり土竜の頭を地面に叩きつけた。そして、額の精霊石を覆うように広がった角を掴んで、力まかせに引きちぎる。

 「ピャアアアアッ!」

竜の悲鳴。白竜は、赤い目を見開いて牙を剥く土竜の首を羽交い締めにして、しっかりと固定した。

 そして、城壁のほうを振り返り、低く唸った。

 マリアベルたちと視線が合う。合図だ。

 「――行くわよ、ニコ!」 

 「はい!」

二人は大急ぎで城壁を駆け下りると、膠着状態に陥っている二体の竜のもとへ走った。

 白竜は、体重をかけて土竜の頭を押さえつけながら、同時に”拘束”の精霊術で相手の体を縛り上げている。

 マリアベルは剣を抜くと、抜け出そうと必死でもがいている土竜の額目掛けて駆け上がった。

 「やあっ!」

青白く輝く剣の切っ先が、隠すものの無くなった精霊石の真ん中に叩き込まれる。

 「――ピィ…!」

土竜が最後の力を振り絞って動かそうとした土くれの攻撃も、白竜に抑え込まれて不発に終わる。

 砕けた石が額から転がり落ちるのと同時に、土竜の目からも、禍々しい輝きが消えていった。


 地面に着地するマリアベルを、ニコラが”緩衝”の術で受け止める。

 精霊石を失った土竜の体が静かに崩れ、マナが離散してゆくのを見届けてから、白竜はゆっくりと腕をほどき、ほっとした様子で体の力を抜いた。

 「お疲れ様、ユーリ。巧くいったわね」

 「……。」

竜は、琥珀色に輝く瞳を静かに瞬かせ、小さく頷くと、翼を広げて静かに舞い上がった。

 どこか、町から見えない場所で人間の姿に戻るつもりなのだろう。


 マリアベルは剣を収め、精霊石の欠片を回収しているニコラのほうに視線をやった。それから、荒れ果てた周囲の畑のほうにも。

 育っていた作物は当然ながらめちゃめちゃだし、家畜小屋は壊されて、家をなくした家畜たちが怯えた様子であたりをさ回っている。

 今にして思えば、土竜が単体で荒らし回っていた時の被害など、まだ可愛いものだった。今日の二体のもみ合いは、それよりもはるかに広範囲の畑を破壊している。これでは復興に時間がかかるに違いない。

 (これが、竜同士の戦い…。)

ヴィエンナ領に残る、およそ二十年前の戦いの痕跡と、伝え聞く当時の戦いの凄まじさ。

 そしてユーリが、「戦いたくない」と言い張る訳。


 『強い奴同士が戦ったら、周りの弱い奴はどうなる?』


かつてユーリの言っていた言葉の意味が、ようやく分かった気がしたのだ。




 彼が戦いたがらないのは、ただ単に臆病だからでも、自分が傷つくのが嫌だからでも無い。

 戦えば、周囲のあらゆるものを巻き込んでしまうのを知っていたから、――なのだと。

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