第10話 白竜の居場所

 屋敷に戻ったユーリは、「着替えてくるから、食堂で待っていてくれ」とだけ言い残して自室に消えていった。

 その食堂では、先に着替えてきたマリアベルとニコラが、まだ混乱した表情のまま腰を下ろしている。

 どこかから吹き込んだ風がホヤの中の灯を揺らし、ランプの芯が、ちりちりと音を立てている。

 「…はあ」

マリアベルは、膝の上に置いた、折れた剣の表面を撫でながら溜息をついた。

 なんとか探して回収はしてきたものの、見事に真っ二つ、というより先端部分はほぼ木端微塵で跡形もない。

 ただの一撃で、これほどまでに剣を粉砕した竜の話は、他に聞いたこともない。

 圧倒的な力の差だ。これでは、急所を狙えたとしても、まともに攻撃が通じるかどうか怪しくなってくる。

 「落ち込まないで下さいよ、姫様。今回は、何の準備もしていなかったんです。命があっただけ儲けものですよ」

 「それは、…そう、だけど。」

気がつけば、もう一つ溜息が漏れている。


 『人間には、どう足掻いても倒せない』


今更のように、初対面の時にユーリに言われた言葉が蘇ってくる。

 彼は最初から、相手がどれほどの力量なのか、正確に把握していたのだ。だからこそ、あの時、自信を持ってそう言い切れた。

 「ねえ、ニコ。わたしたちのやろうとしていたことって、もしかして――凄く無茶なこと、だったのかしら?」

 「今更ですか? まあ、そうでしょうね」

 「やっぱり、そうよね…。」

 「後悔ですか? らしくないですよ、姫様」

ニコラは苦笑しながら、服の上から自分の脇腹を撫でた。

 「正直、奴を舐めていたのは私も同じです。二年前は逃げるのに必死で、直接戦ったわけでもなかったですしね。あれだけ離れていて、ほんの一撃であの威力とは。全く歯が立ちませんでしたよ」

 「……。」

 「ですが、同格の相手は見つけた。彼と話してみましょう、姫様。ここへ来たのは、そのためでしたよね?」

 「…そうね」

ちょうど足音が、奥の扉のほうに近づいてくる。

 食堂の奥から、着替えを終えたユーリが入ってきた。

 「大丈夫だったんですか? あの服」

 「問題ない、イングリットに処分を頼んでおいた。」

言いながら、彼は椅子を引いて腰を下ろす。

 明かりに浮かび上がる姿は、雨が降り止む前にここを出た時と何も変わっていない。立ち居振る舞いも、落ち着いた声の調子も。それに、体のほうには傷一つない。疲れた様子ではあるが、それはおそらく精神的な部分の問題だ。

 「…ということは、イングリットも、このことを知ってるのね?」

 「ああ。父さんも、屋敷の人間も。母さん以外は皆、おれが外で竜を追い払ってることは知ってる」

驚きつつも、マリアベルは、待っている間に考えていた、一つの質問を真正面から投げかけた。

 「それから、あなたが、だということも?」

考えうる可能性は、ただ一つ。

 ――目の前にいる青年こそ、探していた白竜と同一の存在なのだ、ということ。


 単刀直入な質問を受けても、ユーリは、動揺した素振りは見せなかった。

 彼は諦めたような顔で、小さく頷いた。

 「…知っている。ただ、父さん以外の人間が、どこまで正確に状況を把握しているかは分からない。もしかしたら、人間が少し竜の力を借りている、くらいに思われてるのかもな」

 「実際は、どうなんです?」

横から、ニコラが口を挟む。

 「あなたは本当に、ディアン様たちのご子息なのか。――それとも、竜が人間に化けているだけなのか。」

疑うような口調にも関わらず、ユーリは、特に不快に思った様子もなく、淡々と答える。

 「それで言うなら前者になる。この肉体は、間違いなく『ディアンとレーナの息子』だ。…そうだな。人間の言葉で言えば”転生”という概念が近い。」

 「転生?」

 「二十二年前、尖晶石スピネルと殴り合ったあと、瀕死のレーナを助けようとしてマナを吹き込んだ時に起きた事故…みたいなものだな。その時、元の竜としてのマナは疲弊して、肉体を保てるほどの力が無くなっていた。そのせいで、おれは、レーナの中に宿っていた別の命と意図せず同化してしまったんだ。」

 「あ、…」

そういえば、確かに言っていた。レーナが仮死状態になったのは、身ごもっていた時だった、と。

 だとすれば確かに、今のユーリは、彼女がお腹を痛めて産んだ実子に違いない。

 「…それじゃ君は、肉体的には普通の人間で、中身が二十二年前にここで姿を消した白竜そのもの、…なのね? 万全の状態かは分からない、とか、思ってるほど強くない、とか、わたしに言っていたこと、あれは、自分のことだったのよね?」

 「まあ、そうだ」

 「なら――”戦いたくない”というのも?」

 「……。」

ユーリは、唇を強く引き結び、視線を手元に落とした。

 「戦う理由は、自分のほうにある、って言っていたのも?」

 「……。」

しばしの沈黙が落ちた。


 ややあって、ゆっくりと口を開いた彼は、意外なことを言った。

 「…正直、今のまま戦っても、また前回と同じことになるだけだ」

 「え?」

 「おれは、戦い方なんて知らないんだ…。母さんに精霊術を教えてもらうまで、マナの使い方も良く知らなかった。尖晶石スピネルは、何百年も北の”至高の碧玉シュプレーム・ジャスパー”と殴り合ってた。戦い方も、よっぼど洗練されてる。」

 「ええ?! そうなの?」

 「当たり前だろ…。人間だって文字を書くとか料理するとか会話とか、教えてもらわないと分からないだろ。マナなんて生きてれば勝手に集まってくるものだと思ってたし、風を起こせば空くらい飛べるだろってくらいにしか認識していない。」

 「ああ…成る程。竜が空を飛んだり火を吹いたりしてるのは、本能的なものなんですね。」

言いたいことの意味はニコラには分かったらしく、しきりと頷いている。

 「わたしには、良く分からないんだけど…。えーっと、つまり? 君は結局、あいつと戦えないってこと?」

 「戦うことは出来るが、”死なない”だけだ。倒せる自信はない」

 「それじゃ、二十二年前はどうやって戦ったのよ」

 「…ひたすら逃げ回って、あとは体当たりとか」

 「は?!」

 「だから言っただろ…」ユーリは、深い溜息をついた。「あの戦いは、互角なんかじゃない、って。何日もずっと戦ってたわけじゃなくて、ひたすら逃げ回って、いい加減帰ってくれないかなって、そんな感じで…。」

 「…えぇ…。」

マリアベルは、思わず絶句していた。

 隣で、ニコラも同じような顔をしている。

 「うーん。この展開は予想していませんでしたね。戦うことは出来ないが死なない程度には同等…とは…。」

 「まあ、その、今は、人間の姿でなら少しはマシな戦いは出来る…はずだ。精霊術も教わったし…ただ、さすがに人間のままで致命傷を与えるまでは無理だろうな…」

言いながら、ユーリは腕に嵌めた腕輪に手をやった。

 「そういえば、竜に戻る時に外していましたよね、それ。もしかして、その腕輪は精霊術の増幅用では無いんですか?」

 「これは増幅用ブースターじゃなく、逆の力の抑制用リミッターだ。ただの人間が人間以上の力を使ったら、おれがまだ生きてるとすぐに気づかれる。それに、人間の肉体では耐えられない可能性もあった。だから…」

 「なるほど。確かに、訓練中の子供の精霊術師などは、術を暴発させないための抑制装置を使いますね。あなたほどの使い手なら増幅用だろうと思い込んでいましたよ。盲点でした」

 「今までは巧く隠れていられたんだがな。今日ので、はっきりバレてしまった。奴がわざわざ自分で出向いてくるくらいだし、とっくに疑われてはいたんだろうが。」

 「ごめんなさい…。わたしたちのせいよね、それ」

 「いや。遅かれ早かれ、こうなっていた。ここのところ、森に差し向けられる竜が強くなってきていたんだ。さすがに、只の人間がそう何度も追い返せるはずもない」

そう言いつつも、青年の表情は、浮かないままだった。

 「…やっぱり、戦いたくない?」

 「まあな」

 「あっちの竜と、話し合いは…」

 「無理だ。あいつの目的は、他の古竜の領域まで支配下に置くことのはずだ。既に北大陸の碧玉ジャスパーと東大陸の緑柱石ベリルが討たれた。南大陸の石英クォーツの受け持ちは元々、それほどマナが豊富じゃない。とすれば、残りの邪魔者は、この土地に住まう琥珀アンバーだけ。しかもこっちの手の内は、前回の戦いですべて知られている」

 「…確かに、勝機が既に見えているのに和平交渉に応じる者はいませんね」

ニコラは、ちょっと肩をすくめた。

 「まったく、厄介なものです。竜に交渉に応じられる知能があるというのは朗報であり、同時に絶望でもある。」

 「ただ、分からないこともある。今日、対峙した時、あいつは何故か戦わずに退いた。力を取り戻しているなら、今のおれくらい、余裕で倒せるはずなのに」

 「あ、――そういえば、そうね」

 「うーん。もしかしたら、実は向こうも本調子ではないのでは?」

 「ええ? まさか。あの威力で?」

 「ずっと気になっていることがある。そもそも奴が姿を現したのは、二年前なんだろう? それからずっと、ファーディアの王都で何をしてるんだ」

 「それは…そうね。すぐに攻めて来ても良さそうなものなのに」

 「それと、もう一つ、気になることもある」

ユーリは、マリアベルが膝に乗せている剣のほうに視線をやった。

 「その、”竜殺し”の剣だ」

 「え? これ?」

 「どうやって作ってるんだ?」

意外な質問だった。

 「どうやって、って…精霊石を砕いて金属に混ぜているみたいよ。竜の額から回収して、鍛冶師に渡しているの」

 「それだけ? そんなはずはない」

彼は納得していない様子だ。

 「うーん、他に何かやってるかというと…詳しくは、分からないわ。でも、ローグレスの町に行けば、作っているところを見せてもらえるわよ。竜殺しの集まる町なの。どうして、そんなに気になるの?」

 「……。ちょっと、な。まさかとは思うが、古い知り合いの臭いがする」

言葉を濁し、彼は、ゆっくりと席を立ち上がった。

 「そろそろ夜も遅い。続きは、明日にしよう」

 「あ、そうね。レーナさんに心配をかけちゃうかも」

マリアベルたちが二階に上がっていく間、ユーリは、ランプの灯を消さずに食堂で待っていてくれた。

 「それじゃ、おやすみなさい」

 「ああ」

階段を上りきり、扉に手をかけたところで、階下の灯りが消える。

 (相変わらず、気遣いの出来る人なのよね…。)

客間に入りながら、マリアベルは、何とも言えない気持ちになっていた。


 マリアベルの知っている竜という生き物は全て例外なく、出くわせばすぐさま襲いかかってくるような危険な存在だった。人間に害をなし、討伐対象となっている暴竜とばかり接触してきたせいなのだが、それとユーリとは、あまりに違いすぎた。

 会話が出来るだけでなく、ごく普通の人間として、人間の暮らしに溶け込んで隠れて生きていられる竜がいるなどと、思っても見なかったのだ。

 (上位の竜ほど知性が高い、って話は聞いてたけど、信じてなかったなー…)

砕けた剣を窓際の机の上に置く。雨戸の隙間から月明かりが差し込んで、割れた断面に埋め込まれた、細い毛のようなものを煌めかせている。

 だが、考え事をしている彼女はそのことには気付いてない。


 考えるべきことは、山ほどあった。

 これまでは、竜を見つけ、交渉する、ということだけ考えていたのだ。それは、ある意味で既に完了している。

 ユーリは、――白竜は、どのみち戦わざるを得ないと覚悟している。

 けれど彼には決定的な攻撃方法が無く、肝心の「共に戦う人間」――マリアベルたち自身のほうも、どう考えても彼についていけそうにない。弱らせた黒竜にトドメを刺す、という戦法が机上の空論に過ぎなかったことは、いま目の前の机上にある砕けた剣が、いやというほど証明してくれている。

 作戦を練り直す必要がある。或いは、根本的に考え直すか。

 けれど、どうすればいいかすぐには思いつきそうにもない。

 寝台にごろりと横になり、考えているうちに、いつしか眠りが押し寄せてくる。




 その夢の中、久しぶりに思い出していたのは、まだ王都が無事だった頃のこと。

 両親と、妹とともに穏やかに笑っていられた、何年も前の、遠い日々のことだ。

 生まれる前に起きた二体の上位竜の戦いのことは、大人たちや、ニコラのような近くにいる年長者から話に聞くだけで、実際のところはよく知らなかった。時おり竜が暴れて被害を出したという報告が上がってきても、それほど強い竜でもなく、ほとんどがすぐに鎮圧されていたし、毎日のような頻度でもなかった。


 全てが決定的に変わってしまったのは、二年前。

 マリアベルが間もなく十五歳の誕生日を迎えようとしていたあの日、過ぎ去った脅威と思われていた黒竜は、突如として再び姿を現して、故郷を、家族を、安寧の日々を――人々の持てる多くのものを、奪い去っていったのだ。

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