第6話 樹海の中の屋敷
暖かな光の灯された家は、近づいてみると、ほとんど屋敷と呼んで差し支えないほど立派なものだった。
ここが森に覆われてから作られたのではなく、元からあったところへ樹海の木々が伸張してきたのだろう。その証拠に、周囲には他に、完全に森に埋もれてしまった、無人の家がいくつも埋もれている。目の前の屋敷も、こまめに木々や下草を刈らなければ、すぐに森の一部になってしまうはずだ。
太い蔓が絡みついた厩。ほとんど草に覆われ、花壇のあたりだけが辛うじて草を刈り込んである庭園。屋根の上には、とても二十年で育ったとは思えない大樹が枝を広げている。
「こんな状態で、よく、ここに住み続けていられますね」
「このお屋敷はヴィエンナの領主様にいただいたもので、主人の生家なの。だからここを離れたくないって」
「領主様に?」
「ええ。主人は昔、ヴィエンナの領主様に仕える騎士をしていたのよ。ずっと前に引退してしまったけれどね」
話しながら、レーナは玄関先に在る数段の階段を登り、ついさっきユーリが先にくぐっていった扉を開けて、客人たちを招き入れた。
「どうぞ、狭いところだけれど、お入りになって。」
入っていくと、そこは、広間を兼ねた食堂らしき部屋になっていた。
中央に食卓が置かれ、ついさっきまで家族で囲んでいた料理や食器類が並べられている。
食卓の奥には、この家の主らしきがっしりとした体格の男性がいて、二人が入っていくと、すっと椅子から立ち上がった。いかにも元騎士らしく背筋を伸ばして、立ち居振る舞いも洗練されている。
「ようこそ、我が家へ。私はディアン・ウィンフィールド、この家の主です」
微笑みながら軽く頭を下げる。
「まさかファーディアの王女様に、このようなむさくるしいところにお越しいただけるとは」
「あらま、本当に? ユーリったら、そんなこと一言も…。」
「……。」
部屋の隅に立っている青年は、どこか不機嫌そうなまま口を閉ざしている。
「こちらこそ、危うく路頭に迷うところをお招きいただき、恐縮でございます。我が主人ともども、感謝しております」
ニコラが片手を胸にやりながら軽く頭を下げ、形式どおりの言葉を述べる。こういう時は、従者のほうから謝意を伝える。それが習わしなのだ。
「既にご子息よりお聞き及びかと推測されますが、こちらはファーディア王国第一王女、マリアベル・クラウンロッサ・ファーディア様です。このたびは、その、あー…」
竜の話をするな、と言われたからには、ここへ来た理由は何か別のものを考え出さねばならない。
無言のままのユーリの視線に脅されながら、彼は、頭を回転させてなんとか言い訳をひねり出す。
「…姫様は剣術をよく嗜んでおられまして、ただ今、国内を武者修行の旅の最中なのでございます」
「ほう、それはなかなかに勇ましい。それで、従者どのお一人だけを連れて、このような場所に?」
「ええ、まあ…。」
マリアベルも、苦笑しながら話を合わせるしかない。
「そういうことでしたら、せめて今夜一晩くらいはゆっくり滞在してゆかれるとよろしいでしょう。今、何か温かいものを用意させますから」
ディアンが視線で合図すると、ユーリが頷いて、奥の扉から部屋を出てゆく。立派な屋敷なのだ、どこか他に使用人がいるのかもしれない。
食卓の椅子に腰を下ろすと、レーナが茶器を運んでくる。
「しばらく、森の外とは行き来がないの。クロヴィス陛下は? お元気?」
「はい、それなりに。家のことは、妹に任せて来ています。」
言いながら、かすかに胸がちくりと痛んだ。
二年前の王都陥落で、国王は大怪我を負い、王妃は城と運命を共にした。けれどレーナは、そうした外の世界の情報を何も知らされていないらしい。
だが視線からして、ディアンはおそらく全て知っている。ユーリもそうだ。
(もしかして、…さっき「竜の話をするな」って言ったのは、そのせい?)
それとなく隣を見やると、ニコラも、同じことを考えている様子で、小さく頷いた。
詳しい事情は分からないが、ここは、うまく話を合わせておいたほうが良さそうだ。
ディアンは、にこやかな態度で客人たちに着席を勧め、自らも食卓に向き合う。
「”
「うーん、そうですね。剣術は子供の頃から嗜んでいて、好きなものの一つですから」
それは、嘘ではない。少なくとも、行儀作法や法律・経済学などの座学より、体を動かす剣術訓練のほうが、遥かに楽しかった。
「こうして国を回るのも、見聞を広めるには良い機会です」
普段はマリアベルの旅に渋々ついてきているニコラが、今日は珍しく好意的な意見を言ってくれる。
「女王に即位されてしまえば、なかなか自由には出来ないですからね。ま、私としては、この機会に何処かでそれなりの身分にある意中の男性でも見つけ――ぐふっ!」
素早く飛んで来た肘が、思わず口を滑らせた彼の鳩尾を強打する。
「余計なこと言わないで。何度も言ってるでしょう、そういうの興味ないから」
「うう」
「ははは、何とも勇ましい。そうですね。まだお若いのだから、焦らずじっくり吟味されたほうが良い。何しろ、将来の国王ともなれば、相手にも相応の器が求められるのだから」
「いえ…わたしは…。」
マリアベルが困ったようにぎこちない笑みを返した時、奥の扉が勢いよく開き、十歳くらいの少女が元気に台車を押して現れた。
「お待たせ致しました! お客様が見えたと伺って、追加の料理をお持ちしましたの!」
格好からして、メイドか何かだろう。長い三つ編みにしてたらし垂らした髪が、元気に背中で跳ねている。台車の上には、ほかほかと湯気を立てているスープ皿と、大急ぎで盛り付けたらしい果物の皿、それに切り分けたパンとチーズが載っていた。
「わあ、豪華ね。森の中なのに…一体どうやって、食料を?」
「最低限の家畜は飼っていますし、裏には森を切り開いた畑と果樹園もありますよ。我々家族と使用人が暮らしていけるくらいの食料は、問題なく手に入ります」
と、屋敷の主ディアンが説明する。
「畑まであるんですか…? ここには、何人くらい暮らしているんですか」
「昔から当家に仕えてくれている者たちで、二十人ほどです。そこのイングリットは、ここが樹海に飲まれてから生まれた、料理番夫妻の娘で」
「侍従長のイングリットと申しますの。何でもお申し付け下さい」
言いながら、おませな少女は気取った仕草でスカートをつまみ、やや大仰に腰を折って一礼する。
「そうね。お客様の滞在中のお世話は、イングリットに頼もうかしら」
レーナは何やら楽しそうだ。
「レーナ、お二人に泊まっていただくのなら、寝室の準備もお願いするよ」
「あら、そうね。ちょっと行ってくるわ。イングリット、手伝って頂戴」
「かしこまりました、奥様。」
料理を配膳し終えると、少女は、台車を押してレーナとともに部屋を出てゆく。
入れ替わるようにして、別の扉から音もなくユーリが戻ってきた。ちぎったパンにチーズを載せようとしていたマリアベルは、思わず手を止めた。
(もしかして、わざとレーナさんと入れ違いに…?)
「ん、これ美味しいですよ~」
隣ではニコラが、せっせと温かいスープをかきこんでいる。
「少しは遠慮しなさいよ、まったく…。」
呆れながら、彼女は上品に人差し指と親指でつまんだパンを、口の中に押し込んだ。
「それで、――」
ひとしきり食事が進んだのを見て、ようやく、ディアンが切り出した。先程までとは、僅かに口調が変わっている。
「姫君、差し支えなければ、貴女がこの場所へ来られた本当の目的を教えていただきたいのです。
ユーリが言うには、貴女はかつてこの森に住んでいた白竜、”
「……。」
ユーリは黙ったまま、視線も合わせずに、話の進行をディアンに任せるつもりのようだ。
マリアベルは、背筋を伸ばし、向けられる眼差しを真っ直ぐに見つめ返した。
「わたしたちの宿敵である黒竜、”
父である国王は、重傷を負って妹とともにコノール領に身を寄せている。わたしは”竜殺し”として民に害成す竜を討伐してはいますが、それでは根本的な解決にはならないことは分かっています。わたしには、王家の人間として、父王の代理として、この国に暮らす民の暮らしを守る義務がある」
凛とした、迷いも隠し事もない言葉だ。
ディアンの表情が、かすかに動いた。
「ですからどうか、ご存知のことがあれば教えていただきたいのです、ディアン殿。かの白竜なら、黒竜と同等の力を持つはず。有力な対抗手段の一つなのです。この二十二年の間、一度も目撃されていませんが、死んだとも思えません。かつてはこの森の奥に竜の巣があったと聞いています。こちらにずっとお住まいだったのなら、何か予兆などはご覧になったことがあるのでは?」
「……生きている、とお考えなのですね?」
「そうでなければ、既にわたしたちの道は閉ざされています」
きっぱりと言って、マリアベルは、ユーリのほうに視線を向けた。
「初めて会った時に、ご子息に言われたことです。『人間にはどう足掻いても倒せない』と。いきなりでむっとしたけど、後で考えてみれば確かにそうだ、って」
「だから…またここへ戻ってきたのか。」
青年は、苦々しい顔で呟いた。
「何だ、ユーリ。お前が、けしかけたのか。」
「違う。おれは、ただ、このまま戦い続けても無駄に命を落とすだけだと言っただけで…。」
「なるほど。それで、初対面の人間に的確な助言をした、というわけだ。」
ディアンは、くすくすと笑う。
「まあ、そういうことなら、お前が自分で話せ。」
「え?!」
「私が知っていることは、お前と同じだ。あとは、お前が決めればいい」
それだけ言って、ディアンは、困惑した表情の息子の肩にぽん、と手をやり、席を立ってしまった。
「……。」
「……。」
頭をかきながら、所在なさげに部屋の隅をうろうろしているユーリと、彼が話し出すのをじっと待っているマリアベル。そして、隣で食べ物を夢中でがっついているニコラ。
しばしの沈黙のあと、ようやく青年は、席に戻って観念したように口を開いた。
「――あんたたちの探してる竜は…まだ、生きてはいる。」
「本当に?!」
「ああ。ただ、二十二年前の戦いで消耗した。再生に時間をかけて…万全の状態に戻っているかは、分からない。もっとも、それを言うなら、あの黒竜のほうも同じなんだがな」
小さな溜息。
「この森は、傷が癒えるまでの防御壁と同じ役割を果たしてる。この地は元々、マナが濃いんだ。竜の、身を守るため、という意識が、過剰に生育させてこうなった…んだと思う。多分」
「詳しいのね。見たことがあるの? その竜」
「……。姿くらいは、知っている」
ユーリは、何故かはっきりとは答えない。
「どこに行けば会えるの」
「会う、って…。会ってどうする」
「交渉出来ないかと思って。黒竜とは宿敵同士なんでしょう? それなら、一緒に戦ってくれるかも。」
「は? ――」
「あ、やっぱり。ですよねー、そういう反応になると思ってました」
唖然とした青年の表情を見て、マリアベルの隣でニコラが、うんうんと頷く。
「まず竜と会話出来るのか、ですよね。竜ってのは精霊の一種なわけで、精霊の価値観が人間と同じなわけがないですし…」
「やってみないと分からないでしょう。力の強い上位竜ほど知能が高いって話を聞いたことがある」
「もし交渉出来たとして、人間と一緒に戦う――? 足手まといにしかならないと思うが」
「あら、そうかしら。人間には道具があるわよ」
マリアベルは、テーブルに立てかけてあった剣に手をかける。
ユーリがびくっ、となる。
「おい、…」
「大丈夫よ、食卓で抜いたりはしないから。それに、竜は急所の精霊石を砕くと消えてしまうから、返り血なんかもついていないわ。どんな強力な竜だって、これで精霊石を砕ければ…ね? 勝ち目はあるでしょ」
「それは…。多少はあるかもしれないが…。」
青年は、マリアベルの勢いに押されてうろたえている。
「以前の戦いでは、二体の竜は互角だったと聞いているわ。なら、白竜に黒竜を押さえて貰って、その間にわたしがトドメを刺しに行ければいいだけよ」
「って、姫様、自分でやるつもりだったんですか?! 無理ですよ、いや無茶ですよ。お父上が絶対に許可しませんって。危険すぎます!」
「だから他人に任せて自分は安全なところで見ていろ、ってこと? 冗談じゃないわ。あいつは、お母様の仇でもあるのよ。自分の手でトドメを刺してやりたいの」
「だからって…!」
二人の言い合いを、ユーリは、眉を寄せたまま黙って見つめていた。
「ユーリさん、あなたも止めてくださいよ。このままだと、うちの姫様、竜を見つけ出して交渉するまで引きませんよ」
「そんなこと、言われても…。」
「言ってやってくださいよ、こう、ズバっと! いくら上位竜だろうが、竜と交渉なんか出来るわけないだろ、って」
「そうなの? 出来ないの?」
「……。」
ユーリは、何故か頭を抱えている。
「…ん?」
「あれ、もしかして…。」
マリアベルは、ニコラと顔を見合わせた。
「…もしかして、出来る余地がある…んですか?」
「出来なくは…ない。人間の言葉は通じる…父さんたちとも昔、話をしたことが…」
「本当に?!」
「だけど、無理だ」
「どうして」
「戦う、とか無理なんだよ!」
思わず声を荒らげたあと、彼は、はっとして口をつぐんだ。
それから、焦ったように席を立つ。
「そいつは、あんたたちが思ってるほど強くもないし、戦い慣れてるとかでもない。ただ図体がデカいだけの臆病者で…。昔の戦いだって、互角なんかじゃ…。」
言いながら、逃げるようにして玄関のほうへ向かっていく。
「あ、ちょっと。ねえ、まだ、聞きたいことが――」
マリアベルの声を遮るように、扉が無情に閉ざされる。
「はあ、どうやら込み入った事情がありそうですねえ」
「そうね。もしかしたら彼、白竜と知り合いだったりするのかしら? それで、まだ怪我の治ってない友達を戦わせたくなくて、あんな言い方をしてるとか」
「その可能性もありそうですね。ただ、だとしたら…うーん、そもそも、白竜と交渉して黒竜と戦って貰うという作戦自体が、難しくなりそうですが」
「そうね…。」
少なくとも、彼は嘘は言っていない。直感がそう告げている。
「どうします? 姫様。さっきの様子じゃあ、白竜の居場所を教えてほしい、と言っても、全力で拒否されそうな気がしますが」
「無理に聞き出そうとしても難しそうね…。だけど、この森のどこかには居る、ってことでしょ? だったら、わたしたちだけで、探してみましょう」
「ええー、結局、樹海探検なんですかぁー? 迷って戻って来られなくなったら、どうするんですかあ」
「行き倒れにはならないわ、多分。そうなる前に、お人好しのユーリが助けに来てくれるわよ」
マリアベルは、あっさりしたものだ。
「…うわー、この姫様、何だか悪女みたいなことを言い出しましたよ。出会ってすぐの男を利用する気満々だなんて…。」
「人聞きの悪い言い方をしないで。そこまでじゃないわ。ただ、彼って判り易すぎるじゃない。」
「そりゃ、そうですけど…。というか、姫様が年の近い男性と普通に話せてるなんて、久しぶりに見ましたよ」
「どういう意味よ。あなたとはいつも、普通に話しているでしょ?」
「そりゃあ、私はまぁ、長い付き合いですから。それ以外で、です」
ニコラは、何故か意味深な笑顔になる。
「――いやあ、これで少しはそれらしい振る舞いを覚えていただければ、少しは楽に…」
「ん?」
「あーいえ、こっちの話しです。兎に角、明日は樹海探検ですよね。頑張りましょう」
「ええ、…そうね」
あんなに反対していたニコラが妙に協力的になったことに首を傾げながらも、マリアベルは、うなずいた。
ほどなくして、イングリットが寝室の準備が出来たと呼びに来た。
「寝所にご案内いたしますわ、お客様! どうぞ、こちらへ」
「あら、ありがとう。ずいぶん手慣れているのね。どこで習ったの? そんな喋り方」
マリアベルが尋ねると、くりくりした瞳の少女は誇らしげに答えた。
「わたくしの、おじい様からですわ。祖父は若い頃、ヴィエンナ領主様のお屋敷に勤めていた侍従長でしたのよ。」
「ふうん、成る程。それで…。」
「外からのお客様は、初めてなのです。しかも王女様とお付きの方だなんて、光栄ですの! 精一杯、おもてなしさせていただきますの」
「ええ、よろしくね」
小さな執事に導かれ、二人は、思っていたより立派な予備の寝室へと通された。
そしてその日は久しぶりに、旅宿の硬いベッドではない、もてなしの行き届いた柔らかい寝床で眠りについたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます