第5話 神話と、再会

 ”――世界の始まりには、ただ、マナの海があった。


 全ての生命の源であるその中から、最初に生まれたのは、天と地の二体の大精霊だった。生まれた瞬間から彼らは互いに反目しあい、そして、天と地の間が開かれて空間が生まれた。光と闇の精霊が産み出され、昼と夜が分かたれた。

 多くの荒々しい精霊たち――のちに竜と呼び習わされるもの――が産み出され、世界は混沌に陥った。

 けれど、永劫とも思われた長きにわたる争いの後、精霊たちはついに争いをやめ、和平を結び、土と水、火と風の精霊を生み出して天と地の間に置いた。

 こうして世界の調和は保たれるようになり、マナの海からは他の多くの生命が発生するに至った。最後に産み出された四種の精霊たちが存在する限り、天と地の間には安定が約束されている。”




 それが、この世界に伝わる世界創造の神話の骨子。中央大陸は、精霊たちの戦いの、始まりと終わりの地とされている。

 ファーディア王国の王都の中心にある小さな丘が、その残滓なのだと伝えられて。

 「建国祭」で行われる「精霊寄せの儀式」では、その丘の上にしつらえた祭壇で、世界の調和を図る四つの精霊を呼び寄せ、天地の精霊の和平の誓いを再現し、安定と安寧を祈願することになっている。

 かつて竜の脅威が無かった時代には、各地から、王都にある始まりの丘への巡礼者が、引きも切らさず訪れていた。

 生き物の肉体も、魂も、マナによって成り立っている。マナの巡りが滞れば、生物は病気になる。他のあらゆる生物と同じく、人も、死ねばマナに分解され、世界を循環するマナの一部となる。

 それゆえに、体の不調や病を抱える者たちは快癒を、親しい誰かを無くした者は死者のマナとの再会を、死期の近い者たちは苦しみのない来世を願い、祭壇に祈った。




 とはいえ精霊自体には、人間で言うような人格や意思は無い。

 世界の始まりとされる「天」と「地」と呼ばれる精霊も、実体は単なるマナの集合体で、その意味では、祈ったからと言って何かご利益があるわけでもない。

 ――ニコラをはじめ多くの精霊術師たちは、冷めた思考でそう考えていた。


 精霊たちが人智を超えたものとして崇められたのは、精霊術が未成熟だった大昔の話だ。今では使役するものとしての概念のほうが大きくて、神話はあくまで神話であり、まるで人格があるように扱うのは、現象に対する比喩に過ぎない。

 それでも、精霊術を何か神秘的なもののように考えている一般人からすれば、「精霊の意思」は、今も重要な日常の要素の一つと捉えられていた。 王家の建国祭で「精霊寄せ」の儀式が行われるのも、そうした、惑いやすく信心深い国民に特別な体験をさせて納得させるためなのだ。それが、代々の王家の権威を維持してきた仕掛けでもあった。


 (こんな迷信に、意味はないと思うんですけどねえ…。)

 心の中で呟きながら、ニコラは、メモ書きを頼りにせっせと地面に小石を並べていた。儀式用の陣を簡易的に作ろうとしているのだ。

 彼がいるのは、樹海の入り口の、廃虚の間に広がる空き地のような場所だった。

 草は精霊術で焼き払い、地面もなるべく平らに均してある。本来なら祭壇を作るところだが、そこまでの準備は出来ないため、近くの木から切り落としてきた枝を丸い陣の周囲に飾って、それらしい雰囲気だけ作ってある。

 儀式の最中に燃やすための松明と、祭壇の水盤の代用として置いた水筒の蓋。あまりにも質素だが、必要な要素はひととおり揃っている。

 「こっちは準備出来たわ。どう?」

物陰から、マリアベルから姿を現した。

 髪を下ろし、額飾りをつけ、巫女役らしい格好に着替えている。

 「こちらも大体、出来てます。」

 「それじゃ始めましょう。ちょうど、空もいい感じだし」

彼女は、暮れゆく空に白く輝きはじめた月を見上げた。この儀式は、一日のうち、天と地が交わる瞬間、すなわち、夕暮れか早朝に行うのが正しいとされている。

 ここに来て、マリアベルもニコラも、不安になっていた。

 本当に巧くいくのか。…それとも、何も起きないのか。

 ただの空振りに終わるならまだしも、想定外の結果ということもあり得る。

 「ニコ、警戒はよろしくね。剣も外してるし、今、竜に襲われたらどうしようもないわよ」

 「分かってますよ。姫様は、儀式のほうに集中してください」

言いながら、ニコラは周囲に視線を一巡りさせた。

 この辺りに敵が居ないことは、事前に”探知”の精霊術で調べてある。それに、新たな敵の接近を察知できるようにと、見晴らしの良い場所を選んで陣の準備をしたのだ。


 マリアベルは深呼吸して、ニコラの準備した陣の中心に膝まづく。

 「……天と地の精霊よ。我が声を聞き、我が祈りを受け取りたまえ」

指を組み、瞳を閉じて静かに儀式の文句を読み上げてゆく。

 「天より力の導きを、地より豊かなる心を得たる天地の子よ、我らこの地に生きる者は、汝の加護を祈願する…」

 歌うように紡がれる言葉は、見ている者に分かりやすいよう付け加えられたもので、実際にはあまり意味はない。そもそも精霊に、人間の現代語が通じるかどうかも分からない。

 重要なのは、マリアベルが座っている場所に敷かれた陣だ。決められた形に並べられた小石、天と地をつなぐ柱の代わりに建てられた木の枝。その四方に設置された、四つの精霊を象徴する品。

 頃合いを見て、ニコラが松明に日を灯す。夕刻の風が吹き抜けて、その火を燃え立たせ、水筒に張られた水の表面に火の粉が映し出される。

 マリアベルは言葉を紡ぎながら集中しているようだ。周囲の雰囲気が少しずつ変わり始めた。ぽつぽつと、綿毛のような光の粒が集まりだしている。

 (精霊だ…マナの密度が濃くなると可視化される)

ニコラは、邪魔にならないよう息をひそめたまま、注意深く様子を見守っていた。

 少しずつ暮れてゆく陽の光が空を赤く染め、天地の境界を曖昧にする。


 少なくとも、形の上では儀式は成功していた。

 松明の周囲に群れているのは火の精霊。大きめの石をおいたあたりに固まっているのは土の精霊。くるくると旋風のように渦を巻くのは風の精霊。水筒の蓋のあたりで跳ねているのは水の精霊だ。

 これらの精霊をすべて同時に、可視化されるほど集めるには、精霊術師としての素質と一定以上の訓練を必要とする。

 王家の女性たちは、いずれ儀式で巫女の役を務めるため、幼少時から訓練を積まされる――マリアベルもそうだった。礼儀作法や座学は我儘を言って拒否しても、この儀式のための訓練だけは、文句を言いつつ真面目にやってきたのだ。これが、その証だった。

 だが、精霊たちは集まっても、肝心の白竜が姿を見せる気配は、無い。


 暗く沈んでゆく樹海のほうをちらちらと眺めやりながら、ニコラは、落胆の溜息をついていた。

 (やっぱり、そう巧くはいきませんよねえ…。)

この儀式だって、世の中に存在する精霊の全てを集められるわけではない。

 竜も精霊の一種、とはいえ、呼び寄せる媒介も無しに、そう簡単に誘い出されるわけも無いのだった。




 時間が経ち、辺りは完全に夜に沈もうとしている。集まっていた精霊たちも、少しずつ離散しはじめていた。

 それでも樹海のほうには何の気配もなく、しん、と静まり返っている。そろそろ諦める潮時だ。

 「…姫様」

ニコラが近づいて、声をかけようとした、その時だった。

 森のほうから、落ち葉を踏み分けるような足音が聞こえてきた。

 はっとしてマリアベルが腰を浮かし、ニコラも、警戒の体勢をとりながら、暗がりの中に目を凝らす。白っぽい、上着の裾のようなものが翻っている。

 「ん…?」

警戒するような足取りで、ゆっくりと近づいてくるのは、あの、ユーリと名乗っていた精霊術師の青年だった。


 彼は陣の手前でぴたりと足を止め、怪訝そうな顔で二人を見比べる。

 だがそれは、マリアベルも、ニコラも、同じだった。

 「あんたたちは、一体、何を…?」

 「君、…どうして、ここに?」

同時に口を開き、そのまま、互いの姿を見つめ合っていたのは、ほんの僅かな間のこと。

 足元に描かれた陣に気付いて、ユーリはあからさまに警戒した顔になった。

 「これは…何だ」

 「何、って…”精霊寄せ”の儀式よ」

 「精霊寄せ…?」

 「本来は建国祭で行うものです。天地開闢の地とされる王都の祭壇で、土、水、火、風の四種の精霊を呼び寄せる…」

と、ニコラが説明する。

 「ああ、それで、こんなことを」

ユーリは、陣の周囲に置かれた松明や水筒の蓋を視線で順繰りに辿ると、呆れたような顔で小さく首を振った。

 「確かに、ここはマナの力が他より強い。だからって、こんなところで平和祈願なんかしても意味がないと思うが?」

 「え? まさか。そんなつもりじゃ無いわよ」

 「じゃあ、何のために」

青年は、警戒はしているものの、興味を惹かれている様子だ。

 「巧くいくかは分からなかったけど、かつてこの森の奥に住んでいたっていう白竜を、引き寄せられないかと思って」

 「――は?」

 「”不可侵の琥珀インヴィオラブル・アンバー”。城に居座ってる、あの忌々しい黒い竜と同じ上位竜。竜だって精霊の一種でしょう? この辺りに住んでいるはずだっていうから ――って、あ、ちょっと!」

問いを口にしたとたん、何故かユーリはさっと身を翻し、その場から去ろうとしている。

 慌ててマリアベルは駆け出した。

 「待って、どうして逃げるの?!」

 「冗談じゃない。こんな酷い罠を思いつくなんて…ああ、くそっ。」

 「その反応――何か知ってるのね?」

 「追いかけてくるな!」

 「待ってってば!」

マリアベルは、そのまま青年を追って森の中まで入っていきそうな勢いだ。ニコラは大急ぎで岩陰に立てかけられていた”竜殺し”の剣と荷物を拾い上げ、主人の後を追いかける。

 だが、こちらは走っているというのに、歩いているはずの相手の姿は、どんどん遠ざかってゆく。どうやら、精霊術を使って撒こうとしているらしかった。

 「ニコ! あれ、一体なんの術?」

 「うーん…もしかしたら、”縮地”ですかね…土の精霊の力を借りて一歩を十歩に変える高難度の精霊術です。こんなに自然に使っている相手は見たことがないですね。いやあ、なかなか」

 「って、感心してる場合じゃ…! 逃げられちゃう」

走る速度を上げようとした時、マリアベルは、暗がりに突き出していた木の枝にぶつかって、勢いよく茂みに突っ込んでしまった。

 「きゃ!」

 「わ、姫様。大丈夫ですか?!」

 「いたた…」

儀式のために、普段より薄着になっていたのが災いした。腕のあたりを枝に引っ掛け、さらに地面で膝を擦りむいてしまった。

 「ああ、無茶されるからですよ。すぐに治癒の術を」

慌ててニコラが側にしゃがみこみ、手をかざす。

 と、視界に光が過った。それとともに、思いがけず穏やかな声が頭上から降ってくる。

 「まあ、大丈夫? 道に迷ったの?」

 「えっ?」

振り返ると、品の良さそうな女性が一人、手にランプを下げて立っている。

 質素な普段着だが、白髪交じりの髪は丁寧に編み上げられ、肩からショールをかけて、――ぽかんとした顔の二人に、優しく微笑みかけている。

 「えっと…?」

 「ああ、私はレーナよ。ここに住んでいるの」

にっこり微笑んで、彼女はちらと背後を見やった。

 さっきまで気づかなかったが、すぐそこの木立の向こうに、明かりの灯る民家が見えている。

 (一体、いつの間に…あ)

はっとして、マリアベルはニコラを振り返る。

 「まさか、これも精霊術…?」

 「おそらくは。今までは目眩ましを使っていたのかと。幻影術の一種ですね」

そこへ、さっき森の奥へ逃げて行ったと見えた青年が、渋い顔をして戻ってきた。

 「母さん。出てきちゃ駄目だろ、せっかく家を隠してたのに…。」

 「そうは言ってもねえ。若いお嬢さんの悲鳴が聞こえたものだから。それに、ユーリったら、夕食の最中にいきなり出ていくんだもの。何事かと思って」

 「…”母さん”?」

マリアベルたちは、顔を見合わせた。


 ということは、彼は家族と、ずっとここに隠れて暮らしていたのだ。

 火竜討伐の時に居合わせたのも、儀式に反応して森から飛び出してきたのも、すぐ近所に住んでいたから。――そういうことだったのか。

 「もう日も暮れてしまったし、あなたたち、うちに泊まっていく?」

どこか浮世離れしたような、おっとりとした口調で、レーナは無邪気に二人を誘う。

 「……。」

ユーリは明らかに迷惑そうだが、ここで逃したら二度と話を聞けなくなってしまう。

 マリアベルは、大急ぎでその申し出を受け取った。

 「助かります! ありがとうございます」

 「ふふ、良かった。主人も喜ぶわ、外からのお客様なんて久しぶりだもの。さ、どうぞ。」

ランプを手に歩き出すレーナの後ろについて、マリアベルたちも家へと向かう。

 その途中で、ユーリが近づいて、マリアベルたちに素早く耳打ちした。

 「竜の話は、母さんの前ではするな。いいな」

 「えっ? どういうこと?」

 「二十二年前の戦いに巻き込まれたんだよ。…父さんと母さんは、辛うじて助かったけど、…親戚も、他の家族や仲間も大勢死んだ。思い出させたくない」

それだけ言うと、彼はすっと無関心な表情を作り、二人の側から離れて、レーナをも追い越して、先に家のほうに向かって駆けてゆく。

 「……。」

 今の話が本当だとすると、彼ら家族は、上位竜たちの戦いの後も樹海が伸張して廃虚と化した町が森に飲まれてからも、ずっと、ここに住み続けている、ということなのか。――他の住民たちがこの地を捨てて去ったにも関わらず。

 (徴兵逃れのため? それとも…それだけじゃない…?)

少なくとも、彼らはこちらに敵意は持っていなさそうだ。

 ニコラと目配せしあって、マリアベルは、慎重に歩を進めた。


 樹海、と呼ばれる緑の奥へ向かって。

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