第4話 国王と妹姫

 大陸のほぼ全土にまたがるファーディア王国は、その成り立ちから、幾つかの小国の同盟から成り立つ集合体として存在している。

 それぞれの小国には小国王とでも言うべき領主がおり、中心となる町を持ち、半独立の政治を行う。「竜殺しの町」のあるロッシュ領も、そのうちの一つだ。

 そんな中でもコノール領は、王都に隣接する広大な領地を持つ大陸有数の領地で、図抜けた経済力と軍事力を持つ。

 現在の領主ガリアードは、数年前に父から領主の地位を引き継いでいらい積極的に領地の開拓を推し進め、竜と戦うためと称した武装を進める野心的な領主だった。しかも、王都から脱出した国王と第二王女、つまりマリアベルの父と妹はコノール領に身を寄せている。

 今やコノールは、王国の中心として王宮の代理さえ務める、強力な立場にあった。


 マリアベルにとっては、それが気に食わないのだった。

 そもそもコノールは、領主としては新興の家柄だ。領地を急拡大させてきた手腕には疑わしいところもあるが、立証できないために誰も表立っては口にしない。

 しかも、マリアベルは昔からずっと、ガリアードのことが信用出来なかった。

 一見して好青年のように振る舞いながら、行動の随所で腹黒さのようなものを感じるのだ。それに、野心家であることを隠そうともせず、他人を小馬鹿にしたような態度もとる。マリアベルに対してさえも。

 国王の亡命先として名乗りを上げたにのも、きっと何か裏があるに違いないと、誰もが思っていた。

 「お父様とアンジェ、元気にしてるかしら。ガリアードにいびられてないといいんだけど」

コノールに向けて馬を走らせながら、マリアベルはずっと、そんなことをぶつぶつ言っている。

 「姫様、さすがにそれは無い…と、思いますが…。」

 「分からないわよ? あいつ、何かと自信満々だし、王位狙ってそうじゃない」

 「まさか。それなら、まず国王陛下と姫様を暗殺でもしないことには…。少なくとも、そうした怪しい動きや噂は、今のところありませんよ」

 「でも、王都が竜に焼かれたあと、王都からの亡命者をまとめて保護する、なんて真っ先に言い出したのは怪しいじゃない。どうせ何か見返りは求めてくるに決まってる。このまま、お父様とアンジェをあいつのところに住まわせているのは落ち着かない」

 「……。」

実を言えば、ニコラも、ガリアードのことはあまり信用していなかった。というより、会話が全く噛み合わないのだ。

 庶子とはいえ、一応は”名門貴族の当主”という立場のニコラは、公的には、マリアベルの夫候補の一人だった。

 従者として側近くに仕えていられるのも、こうして二人きりで旅をすることが許されるのも、だから、精霊術師としての腕前を買われての護衛を兼ねた、「異性関係の身辺警護」の役割も担っている。

 ――そのことを、以前、王宮でガリアードに茶化されたことがあったのだった。

 「もし彼に野望があるとしても、竜の脅威に晒されているのは、この中央大陸全土です。コノールだっていつ襲われるか分からないんですよ。玉座が竜に奪われている今、人間世界での王になったところで、あまり意味がないとも思いますがねえ」

 「そう思いたいところだけど、だとしたら、竜の脅威が取り除かれた後は要注意ってことになるわよ」

 「まあ、…それは」

ニコラは口ごもる。

 「そもそも、ガリアードが家を継いだ理由だって怪しいわ。彼は次男で、本当なら優秀な兄上が継ぐはずだったんでしょう」

 「カリオン殿のことですね。私の大先輩にあたる方で、かつては神童と呼ばれていた精霊術師」

 「そう、その人よ。病気だか何だかで廃嫡されたって聞いたわ」

 「もう二十年以上も前の話ですから、私も噂でしか聞いたことがないのですが…何でも、十歳を少し越えたくらいの頃に、ひどい皮膚病に侵されて、人目に触れられない見た目になってしまったんだとか。それいらい、領主館の奥に閉じこもったまま、人前に姿を現さなくなってしまったんですよ」

 「それでガリアードがコノール家の後継者に収まったのよね。病気が本当なら良いんだけれど」

 「さすがに、陰謀にかかって幽閉されてる、なんてことは無いはずですよ。というか、当時はまだ、ガリアード殿が生まれたか、生まれていないかくらいの時期のはずです」

話しているうちに、目の前にはコノールの中心、マクシムスの町が迫っていた。




 領都マクシムスは、ガリアードが家を継いで以降にいちから建造に着手した、新しい町だ。歴史は浅いが、そのぶん、使い勝手よく整備された町でもある。

 いびつな楕円形に広がる町の周囲は、ローグレスと同じように竜を撃退するための備えのある分厚い城壁を備えている。中には東西と北南の二つの大通りが直角に交わり、その間に、長方形に区切られた区画が整然と並び、二年前の惨劇の後に王都ロッサベルグやその近辺の集落から逃げ出してきた住人たちが多数、仮住まいを与えられられている。お陰でこの町は、出来たばかりだというのに、かつての王都を凌ぐほどの繁栄ぶりを見せつけているのだった。

 明るく開放的な町並みには、 真新しい建物が軒を連ね、大通りには露店が並び、にぎやかな声がそこかしこから聞こえてくる。

 「相変わらず、栄えてるわね…。」

マリアベルは、不機嫌そうな表情で大通りに馬を進めている。

 「姫様、コノール領の経営が巧くいっているからって、嫉妬はよくないですよ」

 「分かっているわ。この町が引き受けてくれなきゃ、王都の住民もお父様たちも路頭に迷うところだった。そこは…感謝…は、してる。一応…。」

そうは言いながらも、表情には不満げな気配がありありと溢れていた。

 実際、通りを行き交う人々の中には、かつて王宮で働いていた者か、城下町に住んでいた者たちも多い。マリアベルの姿に気づいて軽く頭を下げてくる者もいる。

 少なくとも、彼らがここで暮らしに困っている様子はない。領主のことが気に入らないのとちもかく、彼らが露頭に迷わずに済んだのは、少なくとも表面上は、ガリアードのお陰に違いないのだった。




 領主館の別館にたどり着くと、マリアベルは、すぐさま父に面会を申し込んだ。

 「急ぎ、ご相談したいことがあるの。話が終わったら直ぐに発つから、宿泊の準備はしなくていいわ」

泊まっていくとなれば、ガリアードと夕食を一緒に、などということになりかねない。どう取り繕っても友好的な会話など進められる気がしない。だったら最初から、墓穴を掘るような真似はしないに限る。


 通された客間で待っていると、ほどなくして、質素なローブを身に着けた片足の国王、クロヴィス・クラウンロード・ファーディアが、杖をつき、従者に支えられながら姿を現した。後ろには、マリアベルの妹アンジェリカも付き添っている。

 ここに戻ってくるのは半年ぶりのことだが、その間に、クロヴィスは少し痩せたように見えた。

 そして、マリアベルより二つ年下のアンジェリカのほうは、年の差をほとんど感じさせないほど思慮深く大人びて、落ち着いた色のドレスのせいもあるだろうが、姉よりも先に、大人の女性のような雰囲気を纏っている。

 「お父様、お久しぶりです。アンジェも元気そうで良かった」

 「お姉様こそ…。よく、ご無事で」

妹姫は、姉に駆け寄って涙ぐみながら手をとった。

 国王クロヴィスは、従者の手を借りながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろすや、口を開いた。

 「それで、マリアベル。今日はまたどういう用件なのだ? 急ぎと聞いたが」

 「ええ、ようやくあの忌々しい黒竜をどうにか出来るかもしれない方法を見つけたんです。」

 「ほう」

従者が部屋を出ていくのを横目に見送ってから、マリアベルは口を開いた。

 「樹海の入り口で、”精霊寄せ”の儀式を試みます。そのために、”巫女の額飾りティアラ”を貸していただきたいんです」

 「また、どうしてそんなことになったのだ」

 「二十二年前にあの場所で黒竜と戦った、もう一体の竜…白竜を、何とかおびき寄せられないかと思っているのです」

父の向かいの椅子に腰を下ろし、マリアベルは、これまでのことを説明した。

 ローグレスの町で鉄苗ティーミャー族のメイリと話したことや、領主のアーサー・ロッシュに聞いたことも。

 「――と、いうわけです。巧くいかない可能性もありますが、もし少しでも反応があれば、…その白竜が生きていることさえ分かれば、少しは前進出来るんじゃないかと」

 「なるほど…。」

クロヴィスは、眉を寄せながらあご髭に手をやって考え込んでいる。

 「だが、危なくはないのか? もし巧くいってその竜が寄せられたとして、襲って来たりはしないのか。」

 「それは、…わかりませんが、元々、暴れるどころか人前に姿を見せることもなかったほどの竜ですから、多分無いと…」

 「他の竜が先に寄ってくる可能性もありますよ。お姉様、どうしてもお姉様がやらないといけないのでしょうか」

アンジェリカも、心配そうな瞳でマリアベルを見つめている。

 「心配ないわ。危なくなったら逃げるから。ねえ、ニコ」

 「え、そこで私に振るんですか?! いや、まあ…その」

ニコラは、もぞもぞと口の中で言葉を転がしながら、気まずそうに視線を彷徨わせている。大丈夫です、とは言い切れないのだ。それに、本心ではこの試みには反対している。

 「…無策に樹海に突っ込むよりは、こっちの作戦のほうがマシかな、と」

 「ふうむ。仕方なく賛成、というところだな」

娘の性格をよく知っているクロヴィスは、全て察したような諦めの眼差しを娘に向けた。

 「マリアベルよ。お前は相変わらず、無茶なことにニコラを巻き込んでいるようだな」

 「まさか。竜殺しは続けていますが、安全第一で戦ってます」

 「……。」

堂々と言い切るマリアベルの後ろでは、ニコラが何とも言えない渋い顔で口を貝のようにつぐんでいる。

 「…わしが、このような状態でなかったなら」

言いながら、国王は小さくため息をついて、二年前に膝から下を失った片方の足に手をやる。

 「本来なら、竜退治の陣頭指揮を取るべきはわしなのだ。それをお前に肩代わりさせている。お前には…苦労をかけているな。」

 その腕の細さに気づいたマリアベルは、思わずはっとした。

 かつては勇猛果敢で知られた剣士でもあった父の腕。筋肉の束のように太かったその腕が、今は一回りも、二周りも細くなっている。腕のみならず、体全体が小さくなってしまったようにさえ感じる。

 自ら戦えない日々のせいだけではない。それだけの心労が重なっているのだろうと、マリアベルは解釈した。


 彼女は、ぐっと唇を引き結んだまま、真っ直ぐに父を見つめる。

 「そんなこと、お気になさらないでください。幼少時から剣術の訓練を受けて来たのは、こういう時のためなのですから。この国のために、出来ることは何だってします。もちろん、自分の命だって大事ですよ。死んでしまったら王位を継げないのですから」

 「マリアベル…。」

娘をじっと見つめたあと、国王は、片手で目元を覆った。

 「――アンジェリカ。”巫女の額飾りティアラ”を持ってきなさい」

 「わかりました」

心配そうな面持ちをしながらも、妹姫は部屋を出てゆく。

 彼女が出ていくのを待ってから、クロヴィスは、重々しく口を開く。

 「無茶はしない、と約束してくれ。次期王位継承者であるお前に何かあっては、元も子もないのだ。」

その口調に、マリアベルは、いつにない雰囲気と、微かな緊張を読み取った。

 「何か、あったのですね?」

 「ガリアードから正式に、アンジェリカへ結婚の申込みがあった」

 「!」

彼女は、思わず息を呑む。

 「まさか…承諾されたのですか?!」

 「断りきれるはずもあるまい。わしたちも、民も、奴のもとで世話になっているのだ。」

 「だからって…!」

マリアベルは、膝の上で強く拳を握りしめる。

 馬が合わないだけではない。そもそもが信用できない。

 何が、と立証することは出来ないが、怪しいところがある――そんな人物がまさか、最愛の妹の夫になる、など、とても、我慢の出来ることではない。

 肩先を震わせる娘を見て、クロヴィスは声を落とした。

 「マリアベル、お前の考えていることはよく分かる。わしも、ガリアードは何やら腹に一物ある男だと思っている。だが、王妃と国民の喪に服するという言い訳も、二年経った今では説得力がない。婚礼は秋に、あの子が十六になった時にと決められた。それまでに状況を変えられないかは、わしも試みてみる。今は、こらえてくれ」

 「……。」

強く唇を引き絞り、マリアベルは、ただ黙って頷いた。

 父の言うことは確かだ。

 ここで反対して騒いだところで何も変わらない。父も妹も、ここで世話になっている食客の立場。それに、コノール領の兵力はいまや、近隣諸侯をも凌ぐほどに膨れ上がっている。




 しばらくして、アンジェリカが両手に箱を捧げ持って戻ってきた。

 「お持ちしました、お姉様」

 「ありがと。中身、見せてもらうわね」

布張りの箱の蓋を開くと、大きな精霊石をあしらった銀の額飾りが入っている。磨かれて水のように透明な石は、滅多に見つからない、最上級の精霊石。高密度のマナの結晶体だ。

 「…うん、間違いないわね。大事に使わせてもらうわ」

 「分かっておると思うが、それは王室に伝わる国宝の一つだ。壊したり、無くしたりしないように」

と、クロヴィス。

 「もちろん、心得ております、お父様。それじゃ、行ってくるわね!」

 「いってらっしゃいませ」

 「……。」

父と妹に見送られ、マリアベルは、表面上は明るく、元気に部屋を後にする。


 だが、館を出た瞬間、彼女は、押し殺した低い声でつぶやいた。

 「…許さない」

後ろをついて歩いていたニコラは、驚きもせず、小さく溜息をついた。

 部屋を出たあたりからずっと、殺気にも似た気配を漂わせていたのだ。外に出るまで口に出さなかったのなら、今回は、よく我慢したほうだろう。

 「ガリアードのやつ、よくも、恥ずかしげもなくアンジェに…! こんな結婚、絶対に阻止してやる。あの黒竜を追い出して、王都を取り戻せさえすれば…アンジェを、あんな奴に嫁がせずに済む!」

 「姫様…。」

 「行きましょ、ニコ。急がないと」

今は、何を言っても無駄だ。

 ニコラは黙って、厩へと急ぐ彼女の後を追って歩いていった。




 二人は気づいていなかったが、その時、頭上の窓辺には、裏庭から大急ぎで出てゆこうとする客人たちを見下ろしている男の姿があった。

 口元に薄い髭を生やし、立派な天鵞絨の衣裳に身を包んだ若き領主。――ガリアード・レクス・コノールだった。

 男は、手のひらの中で足掻く小鳥の動きを楽しむかのように、薄っすらと笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る