第3話 緑の瞳の猫

 領主館は、町の中心にある小高い丘の上にある。

 町に集まる商人たちが落とす関税でかなり儲かっているはずの領地だが、館は、外も内も飾り気もない質素なものだ。庭は殺風景な広場で、少しばかり花が植えられているだけで噴水や生け垣などは無し。壁は厚ぼったい飾り気のない石積みで、窓枠にはすべて、無骨な鉄枠が嵌め込まれている。

 玄関には絨毯も敷かれておらず、廊下には装飾品なども無い。「館」というよりは「城砦」という言葉のほうが相応しい作りだ。

 「相変わらずの殺風景ね」

マリアベルが言うと、アーサーは笑って返す。

 「いつ竜が町に攻めて来るか分かりませんからね。つい最近、館の中心に地下室を作ったんです。建物から逃げ出せなくても、そこに逃げ込めばひとまず即死は免れる」

 「念入りね…。ここを直接攻撃してくるなんてこと、あるのかしら」

 「正直、そうなってほしい、と思っています。その時はきっと、”竜殺し”が竜たちにとって本当の脅威になっているでしょうから」

皮肉めいた笑みを浮かべ、彼はそんなことを言う。


 階段を上がってゆくと、その時には続き部屋の書斎と客間が並んでいる。

 客間に入っていくと、窓辺で書類の整理をしていた若い女性が顔を上げ、こちらに向かって微笑みかけた。

 「あら、お父さま。姫様とご一緒だったんですね」

アーサーの一人娘、ジェニファー・ロッシュ。マリアベルより五歳ほど年上で、清楚で堅実な女性だ。商才もあり、若い女性ながら父親の片腕として働いている。

 「ちょうどいちでお会いしてね、午後のお茶にお誘いしたんだ。ジェニー、準備を頼めるかい」

 「わかりました。」

スカートの端をつまんで軽く一礼すると、彼女は、滑るような足取りで部屋を出てゆく。洗練された立ち居振る舞いだ。

 彼女が部屋を出ていくのと入れ替わりに、ドアの隙間から、毛の長い茶色い猫が一匹、するりと入室してきた。

 「にゃあ」

翡翠色の瞳が、奇妙な声で鳴いて来客たちを一瞥する。

 「あ、ベリルじゃない。おいで~」

マリアベルはしゃがみこんで笑顔で手を差し出すが、猫は、全く素知らぬ顔でぷいとそっぽを向いたまま、長椅子の端にぴょんと飛び乗った。

 アーサーは苦笑している。

 「ベリルは、誰にも懐かないんですよ。申し訳ない」

 「相変わらずねえ。そのわりに来客があると必ず出てくるし、人間が好きなんだか嫌いなんだか分からない」

客のほうを見向きもせず、前足を舐め始めたベリルを見やりながら、マリアベルは、諦めて向かいの椅子に腰を下ろした。アーサーはベリルの隣に腰を下ろし、それを待ってから、ニコラもマリアベルと同じ側に座った。


 半分開かれた窓からは町が一望出来、晴れた午後の気持ちのよい風が吹いてくる。

 今のところ、想定されているような竜の襲撃が起きる気配もなく、平和そのものだ。

 「それで…。”不可侵の琥珀インヴィオラブル・アンバー”の件、でしたよね?」

アーサーが話し始めると、声に反応して猫の動きがぴたりと止まった。

 「ええ。王城に居座ったままの黒竜を、どうやったら倒せるかを考えていたの。人間では倒せない。それなら、あの竜と互角な力を持つ竜をぶつけて、その隙を突くしかないでしょう」

 「二十二年前に起きたことの再現…ですね」

アーサーは、ふうむと唸って顎に手をやった。

 「正直、あまりお勧め出来る方法ではないのです。ご存知のとおり、あの戦いでは、ヴィエンナ領が丸ごと吹っ飛びました。当時はまだ”竜殺し”の数も多くはありませんでしたが、質としては高かったのです。その全員が消息不明、要するに痕跡すら残さず消滅しました。そのくらい凄まじい戦いだったのです。黒竜を弱らせることが出来たとして、上位竜同士が戦っている至近距離まで近づくこと自体が至難の業でしょうね。」

 「だったら、あいつを倒すために、他に思いつく方法がある?」

 「――それは…。」

しばしの沈黙が落ちる。


 窓の外からは、場違いなほど明るい鳥の声が響いてくる。マリアベルは、考え込んでいる様子のアーサーをじっと見つめている。

 「…そもそも、白竜がまだ生きているかどうか、です。かつての戦いでもう死んでいるのなら、そもそも、この話は成立しない」

ようやく、ニコラが口を開いた。

 「アーサー殿なら、何かご存知なのでは? 探しに行くべき場所、というか…心当たりなどは」

 「心当たりというのなら、先日、姫様たちが竜の討伐に行かれた、あの場所です」

 「あの場所? 旧ヴィエンナ領?」

 「そうです。『古代樹の森』。今は”樹海”と呼ばれている森の奥に、かつては白竜の巣があったそうなのです。もし生きているとすれば…巣に戻っているのかと」

 「と、いうことは、結局、樹海の奥に入るしかないんですかね」

ニコラが、小さく溜息をつく。

 「生きて帰れる気がしませんよ…。なんとか誘い出す手段はありませんか」

 「難しいですね。白竜は慎重な性格で、ちょっとやそっとの挑発では動かないそうです。そもそも、かつて竜同士の戦いがあの場所で起きたのも、挑発に乗らない相手に業を煮やした黒竜が、巣に直接攻撃を仕掛けたからと言われているんですよ。そこまでされて、ようやく戦いに応じたという話ですからね。」

 「…なるほど」

長椅子の端で、緑の瞳の猫は再び毛づくろいを始めた。だが、耳はぴんとそばだてたままで、まるで会話を聞き漏らすまいとしているように見える。

 「それに竜の巣というのは、マナの集まりやすい場所でもあるとされています。竜は精霊の一種、マナによって体を構成しています。傷を癒やすつもりなら、巣に籠もるでしょうね」

 「あ…もしかして、あの場所に強力な竜が集まりやすいのも、そのことと関係しているの? 討伐依頼の出る竜は、大抵、あの辺りに集まってくるわ」

 「おそらくは。竜はマナを食料として生きているとも言われますし、竜の巣の近くは居心地がいいのかもしれませんね」

 「その話は、王宮の研究者たちからも聞いたことがありますよ」

と、ニコラ。

 「黒竜が東の大陸から飛来するまでは、竜は、”たまに見かける珍しい鳥”くらいの認識でしたからね。精霊術の訓練はマナの濃い場所で行うので、私も子供の頃には時々、そういう場所でくつろいでいる竜を見かけたものです」

 「その頃に戻したいのよ。竜が暴れるようになったのは、黒竜が渡ってきてからよ。あの黒竜がけしかけているんでしょう?」

 「その可能性もある、とは言われていますが」

 「それなら、あいつを倒せば、”竜殺し”は必要なくなるはず」

マリアベルの瞳には、強い輝きが宿っている。

 「わたしたちは、どうにかして黒竜を倒す方法を見つけなければならないの。他に方法がないのなら、樹海の奥まで探索に行くしか無いわね」

 「姫様、姫様。”樹海”って名前の意味、おわかりですよね? やみくもに踏み込んでも戻れない――」

ニコラは必死で頭を働かせようとしている。

 「ええっと…。あそこはマナが濃すぎて、”道標”の術は使えない…方位磁針も狂うという話だし、ううーん…。」

 「植物の成長が凄まじく、地形もしょっちゅう変わるという話ですから、地図を作るのも無理そうですね」

アーサーも、腕組みをして考え込んでいる。

 「あっ、長い縄を入り口から引っ張っていく、とかは、どう? 長い長ーいのが必要になりそうだけど…」

 隣では、毛深い同席者が、ふわあ、とひとつ欠伸をした。

 そして、鼻をひくつかせる。ちょうど、お茶の良い香りとともに、ジェニファーが部屋に戻ってきたところだ。

 「お待たせしま――あら? どうなさったの、皆さん」

 「ああ、いえ…。ちょっと議論が白熱してしまいまして」

 「はあ。毎度、姫様の言い出すことには心臓が持ちませんよ」

 「でも、一番、現実的な方法でしょう? ほら、文句言わないで何か案を出して頂戴」

軽く頬を膨らませながら、彼女は、ジェニファーが並べてくれる白い茶器を眺めている。

 「一体、なんのお話をされていたんです?」 

 「樹海の奥に隠れている白竜を探し出す、っていう話よ。まだ生きているのなら、だけど。」

 「ああ、確か、二十年ちょっと前に黒竜と戦ったっていう…。うーん、そうですねえ。昔の話を知ってる方から聞くに、用心深くて、どっちかというと臆病にも思えるので…、探しに行くとかえって逃げてしまうかもしれないですね。」

 「それ、メイリからも聞いたけど、本当なの? 竜って、もっと凶暴な生き物だと思っていたんだけど」

 「上位の竜ほど滅多なことで喧嘩はしない、…という伝承はあります。その中でも白竜は、黒竜との戦いに姿を表す以前は、目撃情報すらほとんど無い伝説上の竜でしたし…。あの深い森自体、誰からも見つからないように作った”隠れ家”だったんじゃないかって思ってます」

 「じゃあ、やっぱりおびき寄せるしかないのかしら…。あ、そうだ。寄せるといえば、”精霊寄せ”の儀式なんてどうかしら?」

 「ええ? それ、毎年の建国祭でやってるあれですか?」

 「そうよ。わたし、お母様に教わって巫女の役を務めたことがあるから、やり方は知ってる」

 「ううーん…。」

ニコラは、あまり乗り気ではないようだ。

 「王家に伝わる神聖な儀式ですよ。勝手にやるのは、さすがに…」

 「それなら、お父様に許可を貰うわ。王都が奪われてからもう二年もお祭りやってないんだし、どのみち、あの儀式自体には意味は無いから」

 「ふうむ。世界の始まりとなった天と地の精霊を讃え、世界創造の際に生まれた四大精霊を集めて創造の時を再現する、という儀式…まあ確かに、今となっては皆で集まって平和祈願する、くらいの意味に捉えられていますが。」

言いながら、アーサーは何故か、ちらりと傍らの猫の方を見やった。

 「ただ、確かに竜は精霊の一種ですが、個体としての意思がある。そう簡単に引き寄せられてくれるとも思えません」

 「試してみるだけなら問題ないでしょ。それで駄目なら、もう本当に樹海を切り開いてでも進むしかないんだから」

 「ひ、姫様~…。」

 「ふふ、なんだか面白そうなお話ね」

お茶を注ぎ、配膳を終えたジェニファーは、にこやかに微笑みながら盆を抱えた。

 「巧くいくといいわね。ね? ベリル」

 「…にゃあ」

 「それじゃあ、ごゆっくり。」

猫は軽く一礼して去ってゆくジェニファーのほうをちらりと見やったあと、猫は、長椅子の端で丸くなってしまった。

 「わあ、いい香り。このお茶、どちらから?」

 「それは西の茶園で採れた、今年の春摘み紅茶ですよ。つい昨日、商人から買い付けたばかりで…。」

人間たちのほうは世間話に興じながら、優雅にお茶をすすっている。




 それから小一時間ほど話をして、マリアベルとニコラは館を去って行った。

 「ふう…。」

アーサーが立ち上がるのと同時に、横に居たベリルも大きく伸びをして体勢を崩す。

 同時に、ジェニファーが片付けのために盆を持って戻ってきた。

 「ずいぶん難しい顔をされていますね、お父さま。」

 「うーん…。いや、マリアベル王女のほうから例の白竜の話をされるとは思ってもみなくてね。それに…」

 「…まさか自分と同じことを考えているとは思わなかった、ですか?」

ジェニファーは、いたずらっぽい眼差しで父親の顔を見上げる。

 「何年も前から、密かに行方を探らせていらっしゃったじゃないですか。正直にそうお伝えして、協力を仰げば宜しかったのに」

 「いやあ、切り出し方がどうにも思いつかなくて。それに、私が王女に直々に依頼したとなれば、話が大きくなってしまう。どこかから噂が漏れないとも限らない。…心配性なだけかもしれないが、用心深い白竜が相手では、密かに動いたほうが良い気がしていてね。ただ、精霊寄せの儀式を使おうとまでは…。」

彼は、小さく溜息をつく。

 「何か、まずいんですか?」

 「いや。本格的すぎると思っただけだ。お前も知っての通り、ファーディアの王都のある場所は、神話上の『天地開闢の地』、すなわち天と地の精霊が和平を行った場所――と伝えられている。だからこそ、その地を統べる者は、精霊術師としての才能をもつ一族の出でなければならないとされてきた。」

 「ええ、建国祭では王家の女性が、天地の和解を促す巫女役を務めていましたよね。先代の巫女は亡き王妃様、マリアベル王女は後継者」

 「そうだ。彼女が巫女役をするのなら、儀式自体は成功するだろう。…問題は、成功しすぎた場合にどうなるかが読めない、ということだ。たとえば…そう、目的の竜ではなく、他の竜を呼び寄せてしまう、…とか」

組んだ腕の肘の先で指を忙しなく上下させながら、彼は、一つ溜息をついた。

 そして、長椅子の背もたれにちょこんと腰を下ろしている猫のほうに、視線を向けた。

 「――どう思う? ベリル…いや、翠玉スイギョク

そう呼びかけられた途端、それまでただの猫と見えていたものが、口を開いて人の言葉を発した。

 「ま、いいんじゃない? 試せるものは何でも試せば。どんなヘッポコでも、自分の巣の目の前で起きてることくらいは把握出来る。アイツが生きてるんなら、お姫様が何か始めた時に様子見に出てくるくらいはするでしょ。」

 「ふむ。」

アーサーもジェニファーも、驚いた様子はない。彼らにとっては、ベリルが喋ることはごく普通のことなのだ。

 「あのコ、王家の血筋だけはあって流石に、精霊に好かれる才能はあるわよ。せめて大物が釣れるといいわね」

 「ベリルも毎回気にして、わざわざ同席しているくらいですものね」

と、ジェニファー。

 ベリルは、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 「別にー。気にしてるっていうか、いちおう王女だし? この王国には頑張ってもらわなきゃ困るのよ。じゃなきゃ、アタシがわざわざ恥を忍んで、こんな姿になってまでこの大陸に亡命してきた意味がないじゃない」

 「そうね。あの黒竜は、ベリルたちの元いた東大陸をめちゃめちゃにした、仇敵でもあるんですものね。」

 「ええ。クソ忌々しい”尖晶石スピネル”、今度こそ息の根を止めてやる」

緑の瞳を爛々と輝かせてドスの効いた声で言ってから、ベリルは、ふと語気を弱めた。

 「――ま、そのためには、あのポンコツを何とかして巣の中から引きずり出さなくちゃならないんだけど。」

 「本当に生きてるものでしょうか。黒竜が活動を再開してからこの二年、どれだけ探索者を送り出しても何ひとつ手がかりは無い」

 「殺したって死なないわよ、アイツなら。よっぽど巧く隠れてるんでしょ。それこそ、アタシみたいに何か別のものに姿を変えてるとか、じゃなきゃ、人間の協力者を抱え込んでるとかね。」

 「ふむ…。」

 「ま、今は”果報は寝て待て”よ。それじゃ、アタシはお昼寝に行くから。」

 「行ってらっしゃい」

ただの猫に戻ったベリルは、ジェニファーが開けた窓から庭の木に飛び移り、そのまま、どこかへ姿を消してしまった。

 アーサーは、その窓から町並みのほうに視線をやっている。

 「伝説の白竜、…か。生きていたとして、もう一度、あの黒竜と戦ってくれるものやら」

 「考えても仕方ないですよ、お父さま。」

言ってから、彼女は、こほんと一つ咳払いをした。

 「ところで…さきほど整理していた書類の件なのですけれど。今月の決算書類、まだお父さまの確認印がついていないものがかなりありましたよ?」

 「うっ」

 「町の視察も来客対応も終わりましたし。これからはお時間ありますよね?」

 「うっ…」

娘の笑顔に圧されるようにして、アーサーは、書斎に追い込まれた。

 「未確認のものは机に置いておきましたから、今日中にご確認お願いします」

 「ええー、ジェニー、代わりにやっておいてくれよぉ」

 「だめです。これは当主のお仕事。書類仕事は嫌いだからやりたくないだなんて、そんな我儘は通りませんよ」

聞こえてくる泣き言を遮断するように、扉は無情に閉ざされた。

 あとには、大量の書類を前にして頭を抱えているアーサー一人が、部屋の中に残されていた。

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