第2話 竜殺しの町

 ローグレスは、シシリー川とレナ川の交わる場所にある交易都市だ。

 けれど今では、「竜殺しの町」という別名も持つ。

 というのも、”竜殺し”の使う剣は、その町に住む鍛冶屋でしか作られておらず、竜に関する情報も、竜殺しも、その町に集まるしかないからだ。


 町は高く分厚い石の城壁に取り囲まれ、城壁の上には太い鉄柱を打ち出すバネ式の強力な弓がずらりと装備されている。もちろん、人間用ではない。竜が襲撃してきた時の備えだ。

 他にも、水際の港には水門が備え付けられ、防衛のための精霊術師も待機している。さらに、町の中心にある丘の上の領主館には万が一のための地下道が作られているという噂だ。かつては商品を盗賊から守るために備えられていた軍備だが、今では、主に竜の襲撃のために備えられているのだった。


 川にかかる橋を渡り、狭い城門をくぐってゆくと、燃えにくい石造りの建物が並ぶ町並みが目の前に広がる。通りは碁盤の目状に整備され、東西南北それぞれに門が備えられていて、万が一の際にも逃げやすい、分かり易い作りだ。

 その町を、マリアベルたちは川沿いに並んでいる鍛冶場を目指して歩いていた。剣の手入れも、竜の討伐報告も、そこで一括して受付されている。マリアベルと同じ剣を提げた同業者たちも、目指す場所は同じだ。

 鍛冶仕事の音が響く建物に入っていくと、受付の前にいた赤毛の少女が、すぐさま二人を見つめて大声を上げながら手を振った。

 「あ、姫様! ニコラー! おかえりぃー!」

深みのある赤い色の髪に、青黒い肌。ぴんと尖った耳と、ややつり上がった切れ長の瞳。全体的に毛深いせいだろうか、尖った耳や顔立ちの全体像は、どこか、猫に似た印象を受ける。

 彼女を含め、この鍛冶場にいる人々は、他では見ない特徴的な外見をしている。黒竜に荒らされた東大陸から亡命してきた、世界で唯一、竜殺しの剣を打つ技術を持つ人々なのだ。

 「ただいま、メイリ。討伐完了よ」

 「わお、さっすがぁ」

 「こちらが、証拠の品です」

ニコラがいそいそと、袋に入れて持ち帰ってきた精霊石の欠片を取り出して並べる。メイリと呼ばれた少女は、鍛冶屋らしく逞しい手でそれを取り上げると、慎重にランプの灯りに翳して検分した。

 「どう?」

 「間違いなく火竜のもの、だね。かすかに火の精霊の気配を感じる…それも、前報告にあったとおり、かなり強い力を持つ個体。苦戦しなかった?」

 「ぜーんぜん。いつもどおりよ。…って言いたいところだけど、最後の一撃はちょっと危なかったな。援護が来なかったら、やられていたかも」

 「援護?」

 「徴兵逃れの隠れ精霊術師…多分。助けてはくれたけど、そそくさと逃げちゃって」

 「ああー。相手が姫様だもんねえ…。」

メイリは一人で納得して、うんうんと大きく頷いた。

 「ほんとは姫様たちに行ってもらう予定じゃなかったんだけど。ここのところ、出現する竜がだんだん強力になってきてて、全然間に合ってないんだ。それに、このくらいの強さの竜を倒せる”竜殺し”は滅多に居ないし」

 「別にいいのよ、いくらでも声をかけてもらって。そのためにこの町にいるんだもの」

 「うーん。でもね。姫様に万が一のことがあったら困るっしょー」

ぴくぴくと長い耳を動かしながら、メイリは、後ろで黙って立っているニコラのほうに視線を向けた。

 「どう? 従者的には、主人が竜退治ばかりって、心配じゃない?」

ニコラは思わず、苦笑する。

 「まぁ、本音を言えば、いい加減、少しは女性らしいこともしていただきたいのですが…言って聞く相手なら私がお目付け役にされていませんし、このご時世ですからね」

 「わたしは、わたしにしか出来ないことをしてるだけよ。女の子らしいことは妹に任せてあるし。」

ばっさりと言い切って、彼女は、腰から剣を外してメイリの前に置いた。

 「これ、いつもどおり、手入れしてくれる?」

 「はいはーい、了解。」

言いながら、メイリはさっき受け取った精霊石を、無造作に背後の石臼の中に放り込んだ。

 水車の力によって回り続けるその中には、他にも、同じように倒した竜から回収されてきた精霊石が入っていて、鋼製の臼の中でごりごりと削られ続けている。


 硬い精霊石も、この臼で一週間も挽き続ければ粉になる。それを混ぜ込んで作られるのが、竜の攻撃にも耐えられる盾や鎧の材料となる特別な金属だ。精霊石を砕く威力を持つ”竜殺し”の剣も、同じようにしてここで作られている。

 だが、その剣がどう作られているのか、具体的なところはそれ以上、何も知られていない。

 メイリたちの一族が代々受け継ぐ、秘伝の技術だからだ。

 鍛冶場では、彼女と同じ、猫のような外見を持つ異邦の鍛冶師たちが、粉になった精霊石を鋼に混ぜ込んで、温度を調整しながら何度も打ち延べている。水車の力を借りても、手間と技術の必要な作業なのは間違いない。

 王都が竜に占拠されてから、丸二年。ここでは、昼夜を問わず一日中、竜との戦いに備えた品が作られ続けている。

 「――そういえば、今回の討伐で助けてくれた精霊術師に、『”狂喜の尖晶石ラプチャー・スピネル”は人間では倒せないから諦めろ』って言われたのよ」

メイリが剣を研いでくれている間、手持ち無沙汰のマリアベルは、何とはなしに雑談をはじめていた。

 「あはは、それ、姫様に対しては最大級の挑発だね。どうせ、むっとして言い返したんでしょ」

 「まあね」

後ろでは、ニコラが無言のまま、うんうんと頷いている。

 「メイリたちミャーミャー族…? は、あいつに追われて東大陸から亡命してきたんでしょ。竜を殺せる剣が作れても、敵わないものなの?」

 「鉄苗ティーミャー族だよ! この剣の技術がようやく完成したの、亡命直前くらいの時期だったらしいし、…それに、あたしたちは、あくまで鍛冶師だからさ。剣は作れるけど、自分たちじゃ巧く扱えないんだよね~。」

 「そうなの?」

 「うん、だってこれ、剣術の技術に、精霊術師の才能も無いとただの金属の棒だもん。攻撃するとき刃が薄っすら光るでしょ? あれは、使い手が剣を通して精霊術を使ってるからなんだ。この剣は、そのままだと半減してしまう精霊術の効果を一点に集中させて威力を上げる役目も担ってるの。だから姫様みたいな女の子でもデッカい竜が倒せる、ってわけ。」

 「ふーん…。」

 「まあ、うちの姫様は昔から男まさりで剣ばかり振り回していた分、そこらの女の子よりは筋肉があ…痛っ!」

足を思い切りふみつけられ、ニコラは悲鳴を上げながら後すさる。

 「うう…。そういうところですよ…」

マリアベルは、ぶつぶつ文句を言っているニコラを無視して話を続ける。

 「じゃあ、剣の技術と使い手が揃っていれば、あの黒竜を倒せる可能性も無くはないわけ?」

 「前から言ってるけど、『攻撃を当てられれば可能性はある』くらいだよ。そもそも、そこが難しいっていうか…弱らせることが出来ればまだ、勝ち目はあるんだけどさ。二十二年前が最大の好機だったんだよー、あの時は絶対、巧くいったと思ったんだけどなぁ~」

 「…それって、あの、樹海のあたりで白竜と戦った、っていう話よね」

 「そう。”不可侵の琥珀インヴィオラブル・アンバー”、この中央大陸で最強の上位竜。」

研ぎ終わった剣を鞘に納めると、メイリは、猫のようにきらきらと輝く瞳で振り返る。

 「真っ白で、ものすごーく綺麗な竜なんだって! 一度見てみたかったなぁー」

 「黒竜とは互角の強さを持ち、三日三晩の激闘の果に相打ちとなって共に消えた。――当時は、そういう話になってましたね」

と、ニコラ。

 「うん、だけど、死ねば残されるはずの精霊石はどちらも回収され無かったし、トドメを刺したと申告する”竜殺し”も現れなかった。竜たちだけじゃなく人間側もほぼ全滅だったらしいんだよねー。戦いの現場になったヴィエンナ領は町も村も消し飛んじゃって、目撃者も居なかったし。だから死んだって思うしかなかった。それが、まさか二十年以上も経って片方だけが復活してくるなんて」

 「そうよね。…しかも、よりにもよって、生き残ったのが凶暴なほうだったっていうのが最悪」

剣を受け取りながら、マリアベルは溜息をつく。

 「ですが、もし仮に、その二十年というのが傷を癒やすための潜伏期間だったとしたら、実は、もう一方の竜もまだ生きているのでは?」

 「ああ、その可能性はあるね。白竜の巣は、あの樹海の奥にあるらしくて、誰も奥まで入って確かめられないんだよ。」

マリアベルは、微かに興味を惹かれた。侵入者の黒竜と、元からこの大陸に住んでいた白竜が戦った、という話は知っていたものの、今まで、白竜のほうがどうなったかなど考えてもみなかったのだ。

 「どんな竜なの? 白いほうの竜って」

 「んー、そうだね。竜の二つ名は瞳の色で決められてるから、瞳の色は琥珀色のはずだよ。真っ白な体に琥珀色の瞳。なんか、臆病だか慎重だかで、人前に姿を現すことは滅多に無い、引きこもりの竜だったって噂。」

 「引きこもり、って…。」

 「あ、それと最上級の上位竜は角の数が多いんだ。普通の竜だと二本しかない角が四本あったら、そいつで間違いないよ。」

言いながら、メイリは手の指で頭の上に角の形を作って見せる。

 「もし、その竜が生きていたら、また黒竜と白領は戦うのかしら」

 「さーね。だけど、もしそうなら隙は作れるかもね」

 「うん。…人間には倒せない竜、竜同士でも互角、だったら…弱ったところにトドメさえ刺せれば…。」

 「姫様、姫様。物騒な顔になってます」

慌ててニコラが横から囁く。

 「また、無茶なこと考えてないですよね?」

 「気のせいよ。さて、と。それじゃ、わたしたち宿のほうに戻ってるわね。また依頼があったら声をかけて」

 「はーい。ゆっくり休んでてくださいねー!」

にこやかな笑顔で元気に手を振るメイリに見送られて、二人は、鍛冶場を後にした。




 水車の回る音が、背後に遠ざかってゆく。

 大通りに出ると、道行く人々がマリアベルに気づいて手を振ったり、会釈したりする。

 ここでは、彼女は有名人の一人なのだ。「王女でありながら、自ら剣を手に人々を苦しめる竜と戦う凄腕の竜殺し」。話題性は抜群で、王国側も彼女を再興の”希望”として扱っている。

 二年前に凶暴な竜の襲撃で王都が陥落し、王国軍もほぼ壊滅したファーディア王国が、今も何とか「国」の体を保っていられるのは、王女自らが最前線で戦い続けているお陰でもあった。

 にこやかに手を振り返すマリアベルの少し後ろを歩きながら、ニコラはふと、彼女が何か考えこんでいる様子なのに気が付いた。

 「…もしかして、まだ、さっきの白竜の話が気になってます?」

 「え? よく分かったわね」

 「はあー、やっぱりかー…。」

ため息をつくと、ニコラは小さく首を振った。

 「まさか、探しに行こうだなんて考えてないですよね」

 「そのまさか、だけど。白竜のほうも生きてるかもしれない、って、あなたが言い出したことでしょう」

 「いやいや、無茶ですよ。生きてはいるかもしれませんが…一体どうやって、もう一度、黒竜と戦わせるんです? 戦わせられたとして、隙を突くなんてムリですよ。かつてのヴィエンナ領がどうなったのか、忘れたわけでもないでしょう」

 「それは…、分かってる。近くにいた人間もほぼ全滅。近づくことも出来ないかもしれない。だけど、わたしはファーディアの王位継承者なのよ。お父様は、あの時の怪我で遠出が出来るお体じゃないもの。わたしが、何とかしなくちゃならないの」

真っ直ぐに行く手を見つめながら、マリアベルは、きっぱりと言い切った。無茶なことを言っていると自分でも分かっていながら、その眼差しには、少しの迷いもない。

 (やれやれ。いつもの姫様だな)

ニコラは、苦笑しながら後ろに続く。

 (だからこそ、皆も勇気づけられてはいるのですが…。)

彼は、足を止めてこちらを見つめる兵や竜殺したちの姿に、それとなく視線をやった。


 相次ぐ竜の被害で疲弊した人々は今も、期待を込めた眼差しで王女を見つめている。

 彼女を失えばおそらく、ファーディアの国民は、あの暴力的な黒竜に対抗する気力を失ってしまう。絶望的な状況に耐えきれなくなる。

 だからこそ、彼女を絶対に死なせるわけにはいかない。

 マリアベルに遠慮なく物言いの出来る唯一の従者として、思い立ったら決して曲げず、どんな危険にも飛び込んでゆく主人を、なんとかして少しでも安全なほうに導かなければならない。

 (黒竜に玉砕を挑まれるよりは、白竜探しのほうがまだマシ…か)

彼は、頭の中で冷静に危険度と、その後のマリアベルの行動を予測しながら、言うべき言葉を慎重に考えていた。

 「まあ…、黒竜にまともに正面から挑んでも人間に勝ち目がないのは確かですし、少しでも勝てそうな可能性があるなら方法を考えるというのは、悪くはないですね。」

 「でしょう?」

 「ですが、全く目撃情報もないものを探すのは難しいですよ。本当にまだ生きているとして、ですが」

 「うーん…。出てきたら戦いになるから隠れてる、ってのはあり得るじゃない。誰か、もう少し詳しい情報を持ってる人が見つかるといいんだけど。」

歩いているうちに、二人は街の中心に近い広場まで来ていた。

 その辺りは、かつて交易拠点だった時のまま、市が開かれ、商人や買い物客が集まって賑やかだ。

 「おや。あれは…」

人混みの中に、ひときわ目立つ、痩せぎすな背の高い男がいることにニコラはすぐに気がついた。

 年の頃は壮年に差し掛かった頃合い。灰色の髪は丁寧に後頭部になでつけられ、口元にはよく手入れされた洒落た髭が揃っている。肩から斜めにかけている幅広の帯は、町の代表者の証だ。


 アーサー・ロッシュ。代々、抜け目なく商才を発揮してきたロッシュ家の、現在の当主。

 東大陸から亡命してきた鉄苗族の支援者でもあり、このローグレスを「竜殺しの町」として完成させた人物でもある。鉄苗族を通じて竜退治の情報のほとんどは彼のもとに流れているはずだった。

 「ちょうどいいわ、アーサーに聞いてみましょ」

言いながら、マリアベルはアーサーのほうに近づいていく。

 市場を視察していた相手のほうも、すぐに気がついた。

 「おや、これは。マリアベル王女ではありませんか。いつも竜の討伐、助かっております」

言いながら、慇懃に頭を下げる。

 「何言ってるの、竜殺しの町を経営してもらっているんだから、助かっているのはこちらよ。それより、少し聞きたいことがあるの。」

 「どのようなことでしょう?」

 「”不可侵の琥珀インヴィオラブル・アンバー”という竜の情報を、何か持っていない? この大陸で一番強い竜、だったらしいのだけれど」

 彼は少し驚いた顔になったあと、困ったように微笑んだ。

 「……さては、鍛冶場で鉄苗ティーミャー族に何か吹き込まれましたかね」

 「ということは、知っているのね」

 「勿論ですよ、高名な竜ですから――どうです? このあと館に戻るのですが、午後のお茶をご一緒しながら、お話しませんか」

 「有り難くお請けするわ」

 「では、どうぞこちらへ」

貴族的な物腰で、男は優雅にマリアベルを誘って歩き出す。

 彼らを通すように、市場の人混みが自然と割れた。この町で、ロッシュ家の当主の顔を知らない者はいない。ここで商売をするからには、彼の許可が必要なのだから。

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