戦わない竜と、竜殺しの姫様

獅子堂まあと

第1話 姫様と精霊術師

 なだらかな斜面の向こうの陽だまりで、赤まだら模様のある灰色の”竜”が半分ほど目を閉じて寝そべっている。

 大きさは標準的で、四頭立ての幌付きの荷馬車ほど。馬面に牛の胴体、蛇のような尾、それに鶏のような羽根、と、農場の住人を全て一緒くたにしたかのような見てくれをしている。竜という生き物の見た目はまちまちで、大抵は何種類かの生物を混ぜ合わせたような格好をしていることが多いのだ。

 この奇妙な格好の生物は、午睡でも楽しんでいるように見えた。

 だが、これは決して長閑な風景ではない。

 人前に姿を表す竜は、大抵、人間や他の種族に害をなす凶暴な個体なのだ。この竜も例外ではなく、つい最近も、ここから馬で二日ほどの距離にある村が焼き払われ、川沿いの小さな港が破壊されたばかり。その時に目撃された特徴は、今まさに目の前にいる個体と同じだった。

 竜の居場所から崩れた建物を幾つか挟んだ場所では、一組の若い男女が、気配を押し殺し、用心深く相手の容姿と手元の手配書とを慎重に見比べている。彼らはまさに、その害獣と化した竜を討伐するためにここへ来ているのだった。


 一人はまだ十代後半と思われる、細身の少女。快活そうに澄んだ青い眼差しに、体格に見合わない大ぶりな剣を携えている。

 金色がかった栗毛はきつく束ねて結い上られ、レースの白いリボンで纏められている。武装した格好の中、年頃の少女らしく見える装いは、そこだけだ。

 「どう? ニコ」


少女が尋ねると、同行のもう一人、二十代も後半かと思われる落ち着いた風貌をした年かさの青年が、手元の手配書に記載された特徴や素描と目の前の竜を見比べながら、ゆっくりと頷き、答える。

 「ええ、間違いありませんね。討伐依頼の出ている竜、村を焼き払った火竜です」


 「よし」

剣に手をかけながら、少女は勢いよく立ち上がる。

 気配に気づいた竜が振り返り、小さく唸り声を上げながら迎撃体制に移るのも、おかまいなしだ。

 「行くわよ、ニコ。ちゃっちゃと倒しちゃいましょう」

言いながら、少女――マリアベルは、形のよい唇を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 「ああ、まだ準備が…って、もう遅いですね…。」

同行の青年――ニコラは、慌てて手配書を荷物に仕舞んで構える。その腕には、精霊術を強化する際に使う腕輪が嵌められている。

 「いつも通りお願いね」

 「はいはい、分かっておりますよ」

言葉尻を、せっかちな竜の咆哮がかき消してゆく。

 口から炎の息を噴き出そうとしているのを見て、二人は、左右それぞれに大きく跳んだ。

 「おっと」

躱した背後で、炎が、僅かに残されていた廃虚の木材を瞬時に燃え上がらせる。かなりの火力だ。火の精霊の同位体である火竜の中でも、力の強い個体らしい。

 「あの熱は”盾”の精霊術でも近距離では完全に防げませんよ。私が挑発して引き付けますので、その間に額を狙ってください」

 「分かってる。廃虚を足場に使うわ、近くまで誘導して」

 「かしこまりました」

竜の相手をニコラに任せ、マリアベルは、相手の視界から隠れるようにして、鬱蒼と茂る木々の合間に点在する廃墟の間を走り出す。

 手にした刃が青白く輝いた。

 精霊の一種である竜を倒せるのは、彼女が手にしている特殊な剣だけ。

 そして、生身の人間が竜を倒すには、その剣に精霊の力を宿し、唯一の弱点、額にある精霊石を貫く他に方法は無いのだ。


 竜を殺すためだけに作られた剣を扱える、精霊を操る精霊術の素養を持つ剣士――

 その条件に合致する数少ない者たちを、人は、”竜殺し”と呼んだ。




 とはいえ、”竜殺し”の歴史は、そう古くはない。

 マリアベルが生まれる以前、ほんの二十数年前まで、この中央大陸では、竜は滅多に姿を見かけないもので、人間と衝突することも無かったからだ。

 精霊は、世界を構成する生命力――”マナ”の濃い場所に自然発生する。竜もまた精霊の一種と言われている。この中央大陸にはマナの濃い場所が何箇所かあり、その周囲では、常に大小様々な竜が目撃されていた

 だが、そうした場所は大抵、山奥や人里離れた秘境にあって、かつては人間との接触は最低限に留まっていた。竜が自ら人前に出てくることも、まして人を襲ったり、町を荒らしたりすることも無かった。

 状況が変わったのは、西大陸から黒い巨体を持つ竜が飛来したニ十数年前のこと。

 その時から、大陸中で、暴竜と呼ばれる害をなす凶暴な竜が出現しはじめたのだ。


 飛来した竜は、西大陸で厄災として恐れられていた最上位の竜。”狂喜の尖晶石ラプチャー・スピネル”の二つ名で呼ばれる。

 およそ百年ほど前に北大陸を蹂躙し、その後は東大陸でも他の竜たちと戦い続けていたという。その後、二十年と少し前からこの中央大陸に侵入してきた。

 まるで、竜の世界での「世界征服」を狙っているかのような動きだった

 それに対して、この中央大陸に元から住んでいた古竜が反撃に出た。言い伝えでだけ知られていた、ほとんど伝説のような古竜だ。

 二体の上位竜の戦いは凄まじく、何日も続いたと言われる。

 戦いの場となった、ここ、かつてのヴィエンナ領は、徹底的に破壊しつくされた。領主も、領民も、その時に多くが命を落とし、今ではほとんどの町が廃虚と化している。

 さらに戦いのあと、かつて竜の住処があったという森が、どういうわけか膨張を始めた。廃墟の一部は鬱蒼とした緑に覆われ、「樹海」と呼ばれるようになっていた。


 マリアベルたちが居るのは、まさに、その樹海の入り口なのだった。

 竜たちの戦いの後、この辺りにはやたらと強力な竜が集まるようになっている。

 しかも、相打ちとなって消滅したと思われていた黒竜、西大陸からの侵略者は生きていて、二年前に活動を再開していた。

 今や竜殺しは、人間が生きていけるかどうかの瀬戸際の中で、唯一の希望となっていた。




 (この程度の相手に手こずってる場合じゃないのよ)

マリアベルは、竜の額の真ん中にある、透明な石を睨むように見上げながら距離を測っていた。

 竜は例外なく額に二本の角を持ち、その間に「精霊石」と呼ばれる石がある。マナの結晶体、いわば竜の心臓であり、表面に露出している唯一の急所だ。

 手にしている剣は、黒竜によって故郷を追われ、東方大陸から亡命してきた人々の携えて来た冶金技術によって作られている。この剣ならば竜を倒せることは立証済みで、彼女自身、これまでに何体もの竜をマナに還してきた。

 だが、ただの人間が剣ひとつで竜に挑めるはずもない。

 大抵の竜は空が飛べるし、肉体の強度では人間など軽く凌駕する。まともに打ち込んでも、硬い体皮に弾き返されるだけだ。

 そのために補佐の精霊術が必要なのだ。竜自体が精霊の一種なのだから限定的な効果しかないが、精霊術師と竜殺しの剣士で協力して急所を狙えば、勝ち目はある。


 ニコラはいつも通り、相手の属性に合わせて巧く水の精霊術で威嚇攻撃をしている。対極にある属性の精霊術なら多少は効く。というより、相手に不快感を与えることくらいは出来る。

 (こいつは、角もそんなに長くない…斜め下からでも狙えそうね。よし!)

大きな剣を抱えたまま、彼女は、竜のやや背後にある廃虚の、崩れかけた煉瓦壁に素早くよじ登った。こういうことは、幼い頃から王城を抜け出すのに日常的にやっていたから、慣れっこだ。

 竜のほうは、ニコラに意識を集中させている。

 人に危害を与えるような暴竜は、力が強いわりに知能があまり高くはないことが多い。ほとんど野山の獣同然だ。細腕の少女など敵にもならないと思っているらしい。

 けれどそれは、ずいぶんな過小評価だった。


 一呼吸して、マリアベルは剣を掲げて跳んだ。「竜殺し」の刃に、微かな青白い輝きが揺らめき宿る。

 気配を感じた竜が、はっとして振り返るところまで計算済み。顔をちょうどこちらに向けたところで、額の真ん中に攻撃を叩き込む。予想していたより浅いが、攻撃は確かに効いている。斜めからの攻撃で、精霊石の表面に大きな傷が刻まれた。

 「ギャア…ッ!」

急所を攻撃された竜が吠え、大きく体をのけぞらせる。

 「ニコ、今!」

 「はい!」

もう何度も共に竜の討伐をしてきたのだ、やり方は判っているし、息も合っている。

 ニコラは”拘束”の精霊術で竜の動きを鈍らせる。

 人間はもちろん、中型の獣程度であれば完全に動きを止められるほどの術。竜が相手だと効果は半減だが、それでも、翼を広げて舞い上がるのを一瞬、遅らせることくらいは出来る。

 その一瞬に、マリアベルは、竜の鼻先で体制を整えながら両手で構えた剣の切っ先を、真っ直ぐに、額の真ん中の精霊石を目掛けて、重く、深い攻撃を叩き込んだ。

 澄んだ音をたてて、石が割れた。

 輝きを纏った剣の刃は、さらに奥の肉と骨の隙間を貫き通す。

 「――ググ、ガ…。」

小さく呻いて、竜が白目を剥いた。

 (いける!)

だが――


 予想外のことが起きたのは、その瞬間だった。

 息絶える、と思った竜は、最期の足掻きとばかりに、大きく身を震わせ、息を吸い込んだ。

 「え?!」

 「姫様! 避けて下さい!」

後ろでニコラが叫んでいる。

 竜が頭を振り上げ、マリアベルを宙に放り出すと、ぱかっと大きく口を開いた。喉の奥の暗がりから、炎がせり上がってくるのが見える。火を吹くつもりなのだ。

 (まずい…!)

慌てて、彼女はニコラの展開している”盾”の精霊術の範囲に体を滑り込ませた。しかし、それでも、この至近距離では炎から完全に身を守るには不十分なことは判っている。

 最悪、腕の一本くらいは丸焦げにされるかもしれない。急所さえ外せば、即死しなければ治癒の精霊術で…、

 けれど真正面から迫ろうとしている炎の勢いは、そんなか細い希望を容赦なく打ち砕いた。

 (ウソでしょ。こんな相手で、死ぬ?)

最悪の結末さえ考えが脳裏をよぎった。


 視界の端に、何かが過ったのは、その瞬間だった。


 自分に向けて放たれると覚悟していた竜の吐息が、ふいに向きを変えた。

 「?!」

廃墟の向こうで、木々が瞬時に炭化して、炎が枯れ草に燃え広がる。

 それが、正真正銘、最期の攻撃だった。

 命尽きる直前の息をすべて吐き出し終えると、竜の眼から光が消えた。と、同時に姿が薄れ、身体が端から灰色に変わってゆく。

 竜という存在は、精霊石を依り代としてこの世界に存在する。依代を失えば、存在を形成するマナは四散し、この世に存在することが出来なくなってしまうのだ。

 宙に放り出されたままのマリアベルを、ニコラの”緩衝”の精霊術がふわりと助けて、地面に無事、着地させる。

 彼女が着地すると同時に、ニコラ本人も駆けつけてきた。

 「姫様! ご無事ですか?」

 「え、ええ…。だけど、今の…。」

二人は、まだ小さな火が燃え盛っている森のほうを見やった。

 竜が最後に攻撃したもの。

 まさか、何もないところに向けて攻撃するはずもない。あの瞬間、その方向に何かの気配があったのは、マリアベルも感じていた。

 「何かが居たの、多分」

 「え、樹海に入るんですか?! 危険ですよ」

 「そんな奥までは行かないわよ。すぐそこ、確かめるだけ」

ニコラは小さく溜息をつき、足元に転がったままの割れた精霊石――存在の消えた竜がこの世に残していくのは、それだけだ――を拾い上げ、主人の後を追った。




 竜の炎は凄まじく、途中にあった廃虚の煉瓦は溶け落ち、木はほとんど蒸発して吹き飛ばされたようになっている。地面ですら、熱で硝子細工のような塊をいくつも作っている。

 「こんなの、至近距離でまともに食らってたら…。」

ぞっとした顔で呟くマリアベルの後ろで、ニコラも絶句している。

 炎の威力は、奥へ入るほど弱まり、やがて木が吹き飛ばされている場所のいちばん奥までやって来た。周囲の黒焦げになった木は、まだ形を残している。

 二人はそこに、うつ伏せに倒れている人間の姿を見つけた。若い男性のようだが、髪も服も焦げていて、はっきりとは分からない。

 「…人? こんなところに?」

驚いているマリアベルの横を、ニコラがいち早く駆け抜けた。

 彼は素早く上着を脱いで倒れている人物にかけながら、脈をとる。万が一、すでに事切れていたら、マリアベルを近づけないようにするつもりだったのだ。

 しかし、その心配はなかった。まだ生死を確認していないうちに、倒れていた人物は意識を取り戻していた。

 「…うう」

小さく呻いて、顔をしかめながら起き上がる。

 乱れた栗色の髪に、薄い茶色の瞳。地味な色合いだ。ニコラよりは年下だろうか。身につけているのは、清潔感のある、質素だが上品な仕立ての衣類だ。傭兵や野盗の類ではなく、それなりにちゃんとした家の出なのだろう。


 青年は、顔の上に散らばっていた焦げた落ち葉を振り払い、煤で黒ずんだ手を見下ろして眉をしかめた。その腕には、ニコラが身につけているものとよく似た腕輪がある。精霊術を強化するか、制御するために使うもの。つまり、この青年はニコラと同じく精霊術の使い手ということだ。

 「大丈夫なの?」

ニコラの後ろから、マリアベルが覗き込んだ。

 「目立った怪我はありませんね。あの炎を食らって、良く生きていたものです」

 「!」

はっと顔を上げると、青年は二人を見比べた。それから、慌てて飛び起きると、数歩後すさって距離を置く。

 ついさっきまで気絶して転がっていたとは思えない俊敏さだ。

 薄茶色の瞳が、明らかに警戒した色を浮かべてこちらを見つめている。

 「あ、心配しないで。わたしたち、竜の討伐に来たの。竜殺し、知ってるでしょ。それより君、もう動いて大丈夫なの?」

 「…防御は、した」

青年は、視線を逸しながらぼそりと呟いた。

 「勢いでふっとばされて、木に頭をぶつけただけだ。問題ない」

 「そうは仰いますが、衣類がだいぶ焦げていますよ」

ニコラが、苦笑しながら指摘する。強がってはいるものの、やや癖のある髪も端のほうが焦げていて、直撃ではないにせよ、かなりの熱風を食らったことを示している。

 「自分で治癒の術をかけたにしても、ずいぶんと治りの早いことで。なかなかの使い手とお見受けします。助太刀に感謝いたしますよ」

 「…別に、そんなつもりじゃ」

 「竜の気が逸れたのは、君のおかげでしょ? お陰で助かったわ。ありがと」

マリアベルがそう言って微笑んでも、青年は、何やらばつが悪そうな、早く立ち去りたそうな顔で焦げた前髪を撫でつけている。

 「そうだ、あなたのお名前は? どちらにお住まいなんでしょうか。姫様のお命を救ってくださったのですから、是非、お礼をしなければ。」

 「…”姫様”?」

青年は、怪訝そうな顔になった。

 「ええ、そうです。」

ニコラは、こほんと一つ小さく咳払いして続けた。

 「こちらのお方は、こう見えて、ファーディア王国の第一王女、マリアベル・クラウンロッサ・ファーディア様なのです」

 「ちょっとニコラ、”こう見えて”は余計でしょ」

少女はむっとした顔で言い返す。

 「…亡国の王女か」

と、見知らぬ青年。

 笑みを浮かべていたマリアベルの表情が、瞬時にこわばった。

 ぎょっとしたニコラが慌てて補足のために口を開こうとするが、それより早く、マリアベルが言い返していた。

 「ファーディアは、まだ滅んでいないわ! ただ、二年前から城に黒竜が居座って…王都に戻れなくなっているだけで…!」

 「あいつは得たものを手放す気はない。人間にはどう足掻いても倒せない。遷都でもしない限り、王都は今のままだぞ」

 「……!」

 「いつか状況が好転すると思っているなら間違いだ。今日程度の相手に手間取るようなら遠からず命を落とす。生き延びたいなら、諦めてどこか遠くに避難していたほうがいい」

あまりに率直な物言いに、マリアベルは頬を紅潮させたまま、口をぱくぱくさせている。

 その隙に、青年は素早く身を翻し、どこかへ立ち去ろうとしている。

 我に返ったマリアベルは、大急ぎで声をかけた。

 「ちょっと、君! こちらは名乗ったのよ。せめて、名前くらいは教えなさい」

足を止め、青年は僅かに足を止め、ぶっきらぼうに名乗った。

 「…ユーリだ」

それだけ言って、振り向きもせずに森の奥へ消えて行く。

 「なんて無礼なの! 言いたい放題にも、ほどがあるわ」

 「まあ、言ってることは、正論ですけどね」

ニコラは肩をすくめて、地面に落ちたままの上着を拾い上げると、どこか嬉しそうに呟く。

 「にしても、彼、若いのに随分な使い手ですねー。正直、私より上の相手に出くわしたのは久しぶりです」

 「え? そうなの?」

 「はい。でなければ、姫様より早く私が丸焦げです。竜が最期に攻撃したのが彼でしたからね。私たち二人より、彼一人のほうが脅威だと判断したんでしょう。ま、だからこそあの態度だったのかもしれませんが。」

 「…どういうこと?」

 「徴兵逃れの精霊術師、と思われます。」

マリアベルを促して廃虚のほうに向かって歩き出しながら、ニコラは、意味深に声を潜める。

 「姫様ならご存知でしょうが、…ファーディア王国には、二十年以上前、竜の被害が増え始めた頃に制定された徴兵法があります。訓練しさえすればどうにかなる剣士と違って、精霊術師は、生まれ持った素質が無ければ育たない。そこで、ある一定以上の素質を持つ子供たちは、例外なく全員が素質を測る試験にかけられ、一定以上と見なされれば養成学校に入れられることになった」

 「ああ、――なるほど。確かニコも、それで訓練を受けさせられたのよね?」

 「えぇ。お陰で孤児院に入れられるのを免れて本家に引き取られたわけです。まあー、そのあとの竜討伐戦で自分以外の本家の人たちが全員戦死して、当主までやらされるとは思ってもいませんでしたけど。あっはっはっ」

ニコラは、冗談めかして陽気に笑う。

 「と、いうわけで、素質はあっても子供を兵士にしたくない親は、必死で子供を隠したわけです。何しろ、精霊術師に期待される役割は、竜殺しの剣士の補佐役。人数が足りない以上、最前線に送られるのは必至、死亡率も高い。彼はどう見ても正規兵ではなさそうでしたし、あの言い方からしても、あまり王国に好意は抱いていなさそうでした」

 「……。」

マリアベルは、無言のまま俯いている。


 『人間にはどう足掻いても倒せない。』


ユーリ、と名乗った青年が言ったことは、既にマリアベルの父である国王も、竜や精霊について研究する有識者たちも、うっすらと気づいていたこちだった。


 ”狂喜の尖晶石ラプチャー・スピネル”――凶暴な竜の中でも最上位に位置する、真っ黒な体に赤い眼を持つ竜。

 およそ百年ほど前に北大陸を荒らし周り、二十数年前にはこの大陸に飛来して、今いるまさにこの場所で、元々この大陸を縄張りとしていた白竜と壮絶な死闘を繰り広げた存在。

 相打ちになったと思われていたそれが復活し、再び大陸中を荒らし回るようになったのが二年前。


 その二年前には、大陸中央部にある王都ロッサベルグが陥落し、薔薇冠の王国は玉座を失った。

 騎士団も、宮廷に仕えていた精霊術師隊も壊滅し、国王は重症を負い、王妃は多くの臣下たちとともに、城を包む炎の中に消えた。


 竜が精霊の一種である以上、この世界の摂理の一部であり、天災にも等しい存在だ。もとより、人間には勝てるわけがない存在とも言える。

 だが、それを認めるということは、もはや逃げ道がないことを悟ることでもある。

 元々の縄張りだった東大陸はほとんど人の住めない土地と言われているし、既に北大陸は荒らされた後。南大陸は元より厳しい気候の土地だというし、西大陸ははるか大洋の果てだ。逃げるとして、一体、どれだけの人数を連れてゆけることか。

 それに、もし仮に別の大陸へ逃げたとして、いずれあの黒竜は追ってくるのではないか。


 マリアベルの深刻な表情に気づいて、ニコラは、少し表情を緩め、元気づけるように言った。

 「まあ、とはいえ、今の我々には『竜殺し』の剣を作る技術もあります。昔は、人間が竜を倒すことすら夢物語だったんですよ? 少しずつ、前には進んでいるんです。今は、やれることをやるしかありませんよ、姫様。」

 「…そうね。あの黒竜だって竜には違いないんだもの。弱点は他の竜と同じ。攻撃が当てられさえすれば、勝ち目が無いなんて誰にも言えない。そのためには、コツコツ、竜退治をして情報を集めなきゃ!」

 「そうそう。その意気ですよ」

 「よーし、急いでローグレスへ戻りましょう! 今回の討伐の報告をしないと」

絡み合う木々と廃虚の陰鬱な風景を抜けると、目の前には明るく開けた丘陵地帯が広がっている。


 町も村も見当たらないのは、この辺り一帯は二十数年前の竜たちの戦いで、いちど、全てが失われているからだ。草に覆われた大地のあちこちにはもよく見れば、引っ掻いて削り取られたような谷間や、大きな穴が穿たれたままになっており、当時の戦いの凄まじさを物語っている。

 竜が多く集まるせいもあり、今では、竜殺し以外に近づく者もいない場所だ。


 ふと、そのことに気づいたマリアベルは、背後の樹海を振り返る。

 (そういえば、さっきの人、こんなところで何をしてたんだろう…?)

剣を持っていなかったから、竜殺しではない。竜には決して致命傷を与えられない精霊術師。それが、たった一人で、ほとんど手ぶらの状態でウロついていた。

 不思議な気配の青年だった。

 少なくとも、今までには出会ったことのない種類の人間だ。マリアベルの身分を知っても遠慮一つせず、しかし無礼というわけでもなく、皆が言いにくいようなことを包み隠さず、真っ直ぐに口にした。

 それだけ、自分の語る言葉に確信があったということだ。それに、罰を受けることなど少しも恐れていない。

 (…次の討伐の時にここに来れば、また会えたりするのかしら)

決して友好的な出会いとはいえなかったはずなのに、何故か、妙に気になっていた。



* * * * * 



 馬を駆って去ってゆく二人の姿を、青年は、木立ちの上から眺めやっていた。

 (良かった…。何も疑われてないみたいだ)

はあ、と一つ、安堵の溜息をつく。

 (にしても、ファーディアの王女と出くわすとは…。)

茶色い瞳は、光に照らされているせいか、うっすらと金色に輝いて見える。

 あの少女は、まだ、十代後半くらいの年齢に見えた。勝ち気で責任感の強い性格なのは、すぐに分かった。しかも竜退治の手際自体は手慣れている様子。――ということは、もう何度も実戦の場に出ているのだろう。

 強い意志を秘めた瞳だった。「人間には勝てない」と言われたからといって、それで納得するように性格には見えなかった。


 最後の瞬間まで全力で足掻き続ける。希望が見えなくとも、何とか道を探そうとする。

 あの少女ならきっと、そうするだろう。

 だとしても――。


 (…勝てない、という現実は変わらない。)

諦めとも、哀愁ともつかない表情で小さく首を振ると、彼は、立っていた太い枝の上からふわりと跳んだ。

 その姿は、樹海と呼ばれる深い緑の奥へと吸い込まれるように消えていった。

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