21

 敵国の、都市の中。


 手練れに出くわしてしまったと、ぼんやりとした意識の中で思いました。


 身体の色々なところにできた傷から、さらさらと赤い血が零れていました。ボクは息を吐いて、口を開きます。


「暴風の中……」


 こうして剣をつくるのが何度目になるかもわからないまま、ボクは敵兵に向かって駆けます。剣を振るうと、身を捻ってかわされました。


 相手の剣を身を屈めて避けて、ボクは剣を突き刺そうとします。首を刎ねることに構っていたら、勝てない相手でした。



 ぐらりと、視界が傾きました。



 ボクは地面に倒れ込みます。煉瓦道にもろに身体を打ち付けて、唾液を飛ばしました。後ろを見ると、仕留め損なった別の敵兵にくるぶしを掴まれたのだと、わかりました。


 戦っている敵兵が、ボクに向けて剣を振り下ろそうとしていました。


 ――ああ、


 目を閉じます。


 ――これで、終わりですか。


 呆気ない最期だなあ、と他人事のように思いました。


 こんな状況になっても、生きたいという願望が浮かんでこない自分は、やっぱり何か大事なものが欠けているんだと、そう深く感じました。


 欠陥品。


 そうやって、自分を嗤いました。


 ……でも、いつまで経っても、痛みは襲ってこなくて。


 頬に何か、生温かいものの感触を感じて。錆の香りが、鼻腔の中を漂って。


 不審に思って、目を開きました。


「あ」


 口から、声が漏れ出ていました。

 血を流して動かなくなった敵兵と、

 ……嘘、

 嘘だ、

 嘘じゃない。


「テア、くん」


 脇腹を剣で貫かれた、

 かれのすがた。


「ああ………あああ、ああ……」


 言葉にならない声を漏らしながら、ボクは立ち上がりました、後ろを見ると、ボクのことを転ばせた敵兵も、死んでいて、でもそんなことはどうでもよくて、重要なのは――


「……そんな顔、すんなよ。シフィア」


 ――テアくんだけ。


 ボクはテアくんに駆け寄りました。


「嘘……嘘でしょ、テアくん! 嘘ですよね!? ねえ、何で、どうして……」


 ――ボクのこと、助けたんですか。


 その問いは声にならなくて、ただ息だけが、自分の口から漏れたのがわかりました。

 テアくんはふっと頬を緩めました。すごく悲しそうな、笑顔でした。


「理由なんか、いらないでしょ……だってさ、オレ……」


 戦争が終わったら言うつもりだったんだけど、とテアくんは笑いました。



「お前のこと、好きなんだもん」



 そんな陳腐な愛の言葉が、今までずっとバカにしてきた愛の言葉が、今のボクには堪らなく痛くて、苦しくて、どうしようもありませんでした。


「返事はいいよ。だってお前、オレのこと別に、好きじゃなかったでしょ? 恋愛的な意味で」


 見透かされていました。


 ああ、何でボクは、テアくんのことを好きにならなかったんでしょうか?


 こんなにも近くにいたのに。

 ずっと、笑い合って、慰め合って、勇気付けられてきたと、いうのに。


 ボクはやっぱり、薄情な人間でした。


「……でも、テアくんのことは大切でしたよ」


 けれど、これくらいの真実を述べるくらい、いいですよね?


 嘘つきなボクだけど、もうテアくんには嘘をつかなくていいかなって思えるくらい、大切なんですよ。


 愛情とかわかんない。

 でもボクは、テアくんが大切。


 それじゃあ駄目ですか?


 大切という気持ちには全部、愛という名前を付けないと、怒られてしまいますか?


「あはは……嬉しいよ」


 テアくんは本当に嬉しそうに、そうやって言いました。


「ねえ、お前って、自分以外の奴の感情も……形に、残せるの」


 テアくんはもう、喋ることすら辛そうで。

 ボクは泣き出しそうになりながら、頷きました。


「うん。できますよ……」

「ちょうどよかった。それじゃ……頼むよ」


 言葉足らずだけど、彼が何を望んでいるかなんて、全部わかりました。


 ボクはテアくんの手を取りました。ごつごつしていて、大きくて、豆だらけで――そんな、男性の手でした。


 周りにはボクたちと死体以外に、誰の姿もありませんでした。だからボクは、落ち着いてテアくんの感情を、物にできました。



 ――真っ赤な宝石が二つ、右の手の平に生まれていました。



 ああ、それは余りにも美しくて。


「見せて」


 そう言われて、ボクは彼に見えるように、宝石を見せました。


「綺麗じゃん。あげるよ」

「……ありがとうございます」


「あのさ」

「何ですか」


「手、繋いだままで、逝きたい」

「そんなの、いいに決まってるじゃないですか」


「あと」

「何ですか」


 テアくんは涙を零しながら、微笑みました。


「お前、やっぱり、戦場で生きるの、やめなよ」

「……何でですか」


「人生って、意外と楽しいことあるよ」

「信じられませんよ、こんなときに」


「それもそうか……あ、悲しんでくれてんの?」

「自明のことを、わざわざ言葉にしなくていいですよ……」


「はは、悪い。……でもほんとに、楽しいことあるから。旅とかしてみなよ。仕事も、もっと違うことやりなよ。感情で物つくって、売るとかさ」


 そこまで言って、テアくんは血を吐きました。

 ボクは彼の右手をぎゅっと握りながら、口を開きました。


「だいじょぶです。ボクは絶対に、だいじょぶですから。だから……心配しないでください。いつか、楽しいこと、見つけてみますから。

 心の底から、笑ってみせますから……約束、しますから。だから、心配しないで……」


 テアくんは、安堵したように微笑んで、目を閉じました。


 ……そうして、事切れました。


 ボクはようやく、もう涙を流してもいいんだと思って、泣き喚きました。


 彼に、心配を掛けたくなかったから。

 ずっと、泣くのを我慢していました。


 でもそれは間違いだったかな? ボクが泣いた方が、彼は喜んだかな?


 わかんないですよ。

 そんなの、わかんないです。



「いたぞ、あそこだ!」



 ボクの泣き声によって現れたであろう敵兵たちを、歪んだ視界で見ました。


 ――ああ、こんなときでさえ、世界はボクを悲しみに浸らせてくれないんですね……


 それは確かな、絶望でした。

 ボクはゆっくりと立ち上がって、口角を歪めました。


「かかってこいよ……全員、殺してやりますから」


 そう、呟きました。

 それからいつものように、囁きます。



 暴風の中――



 *



 ――やがて、戦争は終わりを迎えました。



 *


「本当に、軍を辞めてしまうのか?」


 上官にそう尋ねられ、ボクは「はい」と微笑みました。


「これから、どうやって生きていくつもりだ」


 そう問われ、ボクはすっと目を細めて、口を開きました。


「雑貨店を開こうと思うのです。それで、多くの人の笑顔を見たいと思いまして」


 上官はどこか、呆れたように息をつきました。


「それでは、失礼します」


 ボクは彼に背を向けて、部屋を後にしました。


 *


 青空が、広がっていました。


 ボクは立ち止まると、右手を上方に伸ばして、そっと口を開きました。



「……彼の事」



 悲しいな、と思いました。


 右の手の平に、数多のガラス玉が生まれました。


 それをポケットに仕舞って、ボクはスーツケースを引きながら、再び歩き出しました。




――『感情雑貨店グレーテア』fin.

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