四章 Syphia, 約束の事

18

 鮮血の香り――それは多分、死の象徴でした。


 傷付いた肉体が漏らす異臭にも、ボクはもう慣れ切ってしまいました。両手が真っ赤に染まっています。


 目の前には、倒れている敵兵の遺体。さっきまでは生きていました。ボクが殺しました。それ以上でも、それ以下でもありませんでした。


 遠くの方から新たな敵兵が何人も、こっちに向かってきています。ボクは双眸を鋭くして、そっと口を開きました。刃零れした剣を、手から滑り落とします。



「――暴風の中」



 幼い頃、一人ぼっちだったときの記憶。強い風に打たれてひとり泣いていた、そのときの重い孤独感を、鮮やかに思い出します。


 気付けば右手には、鋼の剣が出来上がっていました。ボクは二、三度それを振ってみました。うん、殺傷能力には問題がなさそうです。問題なく殺せます……だいじょぶです。


 ボクは駆け出しました。地面を蹴って、広がる美しい空に嘲笑われながら、ボクは剣を振るいました。赤色の血が、舞いました。できるだけ苦しまないように、敵兵の首を刎ねていきます。


 目が合いました。敵兵は、涙を溢れさせていました。ボクは唇を噛みました。


 ――人殺し。


 ふと思ってしまった事実に、ざくりと心を斬られたように思いました。


 ――罪悪感とかそういうことを考え出したら、動けなくなってしまいますよ?


 言い聞かせながら、何度も剣を振るいました。柄の冷たい温度が、ボクの手に纏わり付いていました。


 最後の一人を斬り終えて、ボクはゆっくりと息を吐きました。荒い呼吸を整えようとしていた、そのときでした。


 ……殺意を、感じ取りました。


 ボクはばっと振り返ります。男がボクに向けて、剣を振りかぶっていました。横に跳んでかわしながら、口を開きました。


「暴風の中……」


 思い出すだけで、左手には大きな鋼の盾が生まれていました。男の剣戟をそれによって防ぐと、ボクは再び右手に剣を持ちました。


 首を斬ろうとしました。そのとき、相手の攻撃によって剣が弾かれてしまいます。剣は宙を舞って、遠くの方に落ちました。まずい――そう思って、盾で攻撃を防ごうとした瞬間でした。


 男の頭が、ぽとりと地面に落ちました。


 ボクはその有り様を、ただ呆然と眺めていました。


 崩れ落ちた男の身体の向こうには――『彼』の姿が、ありました。


 燃えるような真紅の髪と、夜空を想わせる紺色の瞳。背が高くて細身ながら、確かな筋肉の付いた肢体。右手に持っているのは、べたりと血液が付着した剣。


 彼はボクと目を合わせると、いつものような飄々とした笑顔を見せました。



「気を付けなよ、シフィア。お前、オレがいなかったら死んでたかもしれないよ?」



 憎まれ口を叩かれながら、ボクはにっと口角を上げました。



「ええ、そうですね? ありがとうございます、テアくん」



 彼――グレーテア=ネイティネルは、どこか満足そうに、微かに頬の辺りを歪めました。

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