17

 深夜、わたしは目を覚ましてしまう。


 喉が渇いたんだ――そう気付いて、むくりと起き上がる。わたしは眠りが深い方だから、珍しいなと思った。水を飲んで一息ついていると、啜り泣く声が聞こえた。


 二つあるベッドの、奥の方――シフィアの、場所からだった。


「……どうしたの」


 わたしはそう、尋ねた。


 返事はなかった。寝息を立てている。ああ、この子は眠りながら、泣いているんだ――そうやって、気付く。


「あんたは、」


 わたしは震えた声で、問いかける。


「何を、抱えているの」


 聞きたいことは山程あった。でも彼女は今、眠っている。わたしはその事実を理由にして、シフィアに踏み込もうとしない。そんな自分の臆病さが、嫌だと思った。


 わたしは自分のベッドに潜り込んだ。

 目を閉じる。


 夢の中で出会えればいい。

 そうすれば、涙を流しているシフィアの頭を、撫でてあげられる。


 側にいて、あげられる――


 *


 帰りの電車の中で、わたしとシフィアは揺られていた。


「ねえ、ヨカちゃん」

「何?」

「今、どんな気持ちですか?」


「そうね……何だかちょっとだけ、寂しいかな」

「まあそうでしょうね、旅の終わりとは、そういうものですよ?」


 シフィアの言葉に、わたしは笑う。


 電車には、わたしたち以外人がいなかった。まるで、わたしとシフィアだけの世界になったみたいだった。それはどこか、甘美な空想だった。


 彼女の横顔を見る。暗さなど何も感じさせない、その表情。


 でももう、わかっている。この子は何か、大きな傷を抱えているんだ――


 意を決して、口を開いた。


「ねえ、シフィア」

「どうしたんです、ヨカちゃん?」


「わたしたち、結構仲良くなれたと思うのよね」

「そういうことは、わざわざ言葉にしなくてもいいんですよ? 自明ですから」


 シフィアは微笑んだ。こうして彼女の微笑みを見るのも、もう何度目になるだろうか?


「折角だし、お互いに内緒にしてること、一つだけ明かしてみようよ」

「えー、ヨカちゃんに隠し事なんてしてませんよ?」


「嘘つき」

「あらあら、バレましたか」


「あんたが嘘つきなことくらい、ずっと前から気付いてるわよ」

「おおっ、驚異の観察眼ですねー」


 くくく、とシフィアは笑う。わたしは口を開く。


「フィア」

「……フィア?」

「わたしのお姉ちゃんの名前。だからあんたの名前、すぐ覚えられたの」


「ああ、そうだったんですか」

「うん。お姉ちゃん……流行り病で死んじゃったから。もういないけど」


「そうですか……だいじょぶですよ、死んじゃった人は皆空の上にいて、ボクたちを見守ってくれていますから」


 蜜柑色の瞳には、窓の向こうに広がる空が映し出されていた。

 少しだけ、静寂があった。電車が走っている音が、耳に届いた。


「昔のボクと、同じ目をしていたから」


 そう、シフィアは口にした。


「……誰が?」

「キミが」

「わたし?」

「そうですよ?」


 シフィアは、どこか寂しげな笑顔を浮かべていた。


「未来に絶望している目。キミがそういう目をしていたから、ボクはヨカちゃんと一緒に、店を開きたいと思ったんです」

「……何よそれ」


「ん、だって本当なんですもん。未来に絶望している奴は、未来を愛している奴と関わるといいんですよ。そうすると、段々楽になるんですよ。だから――」


 シフィアはそこまで言ってから、可憐な微笑みを見せた。



「一緒に、最高の店をつくりましょうね?」



 わたしは少しの間、彼女を見つめていた。


 幾つもの嘘に包まれた彼女の『本当』がわかるのは、いつになるのだろうか?


 わからなかった、けれど。


 だからこそ、わたしはしっかりと、頷いた。



「勿論よ、シフィア」



 シフィアは、嬉しそうにはにかむ。


 彼女の右手から、沢山のクローバーの葉が零れていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る