16

 電車を幾つも乗り継いで、わたしとシフィアはこの国の南に位置する、ハイビスカスの町に来ていた。


「うーみですよー!」


 シフィアはそう言って、浜辺を駆ける。


 大きなリボンの付いた麦わら帽子に、広がっている空を溶かしたような水色のワンピース。いつもとは異なる装いをした彼女は、少し先の方で振り返った。


「ほら、ヨカちゃん、早く来てくださいよー!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 何だか砂がふかふかすぎて、上手く先に進めないのよ……!」


「そんなんで海の守り人が務まると思ってるんですかー!」

「いやわたし、海の守り人じゃないし! 何よその謎設定は!」


「てへ、冗談ですよ? ヨカちゃんは……石ころの守り人ですもんね!」

「ちっがーう! バカにしてるでしょ、あんた!」


「気のせいですよー、バカにした方がバカになっちゃう世界で生きてますから、ボク!」


 わたしはようやくシフィアに追い付いた。打ち寄せる波は、潮の香りを漂わせながら、綺麗な透明で砂を覆っている。


「入りますか!」


 シフィアはそう言って、サンダルを脱いで海に踏み入れてゆく。


「ま、待ってよ!」


 わたしも履いていたサンダルを脱いで、海へと一歩を踏み出す。もうすぐ冬になる季節だから、南の町だとは言えやっぱり水は冷たくて、思わず「ひゃあっ」と声が出た。


「あー、足気持ちいいです。やっぱ海はいいですね……」

「そ、そうね……どちらかと言うと、ちょっと寒いけど」

「そんなヨカちゃんには……えーいっ!」


 シフィアは笑って、わたしに水をかける。また格好悪い声を漏らしてしまってから、わたしは口角を上げる。


「やったわね……えいっ!」


 わたしもサンダルを持っていない方の手で、シフィアに水をかけた。


「うひゃあーっ、冷たいですっ!」

「ほんとそうよね!」


 わたしたちは笑い合う。広がる海の始まりに、足を浸しながら。


 *


 わたしたちはハイビスカスの町で、様々なことをした。


 カヌーに乗って、二人とも操作が下手で、木に突っ込んでちょっとだけケガしたり。


 森林のハイキングで、余りの足場の悪さに泣きそうになっていたわたしに、シフィアが手を貸してくれたり。


 夕暮れを受けて濃い赤色になったブーゲンビリアを、のんびりと眺めたり。


 様々なお店を見て回って、自分たちのお店の参考になる点を炙り出そうと言いながら、結局はショッピングに夢中になってしまったり。


 ここでしか食べられないご飯を注文して、お互いの食事を分け合ったり。


 そんな色んな体験をして、楽しいね、って笑い合った。


 時折わたしはシフィアに右手を差し出した。シフィアは左手を出して、繋いで、そうして色んな物を生み出した。


 幸福だと、思えた瞬間があった。


 そのとき、シフィアの手には――美しい色とりどりの貝殻が、生まれたのだった。


 二人で顔を見合わせて、綺麗って言葉が重なってしまって、それで何だかおかしくなって、笑い合う。


 どうしようもなく、幸せな旅だった。


 *


「ねえ、シフィア」

「ラララ……ん、どうしたんですかー?」


 楽しかった旅も明日で終わる、そんな夜。ソファで横になりながら鼻歌をうたっているシフィアに、わたしは声をかける。


「ここの宿屋って、部屋に付いてるお風呂の他に、大浴場もあるらしいわよ。最終日だし、よかったら行っておかない?」

「ん……あー、そうなんですか。なるほどー」


 シフィアは少しの間、沈黙していた。


「……まあ、ヨカちゃんにならいっか」


 そう小さな声で呟いて、シフィアはソファから起き上がる。


「行きましょう!」

「うん」


 わたしは頷いた。シフィアの言葉の真意を、少し後で、わたしは知ることになる。


 *


 先に行っていてください、とシフィアに言われた。だから頷いて、わたしは一足先に大浴場に赴いて、シャワーを浴びていた。


「隣、失礼しまーす」


 シフィアの声がした。顔を洗っており目を閉じていたわたしは、「どうぞ」とだけ言って洗顔を継続した。それをシャワーで流して――隣を、見た。


 息を呑んだ。


 色白の肌を踏み荒らすように、様々な傷跡が彼女の身体に残っていた。

 切り傷の跡のようなもの、擦り傷の跡のようなもの、打撲の跡のようなもの――そんな痕跡が、確かに存在していた。


 それらはどうしようもなく、痛々しくて。

 見ているだけで、暗い気持ちになってしまって。


 ああ、わたしはやっぱり、この子について知らないことだらけだ――


 そう、思わされる。


「……? どうしたんですか?」


 シフィアが、わたしのことを見ていた。

 わたしは少し逡巡してから、ゆっくりと首を横に降った。


「何でもないわ」

「そうですか? それならいいんですけど」


 シフィアは設置されている鏡の方を向いた。そうして、すっと目を細めた。


 その横顔は、どことなく物憂げで。


 見続けることに罪悪感があって、わたしも再び前を向いた。

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