15

 アパートも店を開く物件も、簡単に見つかった。


 と言うのも、シフィアが驚くほど有能だったのだ。普段のちょっと不思議ちゃんな印象は、公の場に出ると途端に隠される。


 お金、頭のよさ、愛嬌、コミュニケーション能力――交渉において大事となる要素を、彼女は全て兼ね備えていた。


 シフィアはわたしに、今までの経歴を明かしてくれなかった。「ボクはね、ずっと旅人だったんですよー」と彼女は笑った。


 その言葉は、どことなく嘘の香りがした。ただの旅人の少女が、こんなに財力があるはずがない。


 でも、彼女が話したくないのなら別にいいか、とも思った。そもそもわたしたちは、出会ってまだ日が浅い。


 そんな人間に、全てを包み隠さす明かすことができる方が心配になる。現にわたしも、シフィアに語っていない過去なんて幾つもある。


 けれどやっぱりわたしは、シフィアのことが好きだった。


 彼女には不思議な魅力がある。


 話すだけで惹き込まれてしまうような、そんな目をしている。


 それだけではない。会話のノリとか、優しさとか、間伸びした口調とか――そういうシフィアの様々な特徴を、わたしは結局のところ、純粋に愛してしまうのだった。


 *


 サクラソウの町を、わたしとシフィアは歩いている。ここは商店街で、様々なお店が立ち並んでいた。訪れるのもこれで数度目となり、見慣れた景色が視界に広がっている。


「いやはや、明日から旅行ですねー!」

「そうね。楽しみだわ」


「旅行から帰ってきて数日後は、開店予定日。もう楽しいことしか待っていませんよー、ワクワクです」

「そういえばお店の名前、何だっけ」


 わたしの問いに、シフィアは頬をぷくっと膨らませる。


「何回聞くんですかー、そろそろ覚えてくださいよ!」

「いやごめん、申し訳ないとは思ってるんだけど、いかんせん記憶力が悪くてさ……」


「まあしょうがないですね、と言いつつボクの名前は割とすぐ覚えてくれましたよね?」

「ああ、そうね。……似てたから」


「何にですか?」

「内緒」

「むう、教えてくれてもいいのにですー」


 シフィアは唇を尖らせる。それから柔らかく微笑んで、言葉を紡いだ。


「グレーテア、ですよ」

「ああ、そういえばそんな名前だったわね」


「そうです! 店の名前はこれにするって、ずっと前から決めてたんですよ?」

「そんな思い入れのある名前なんだ。由来とかあるの?」


 わたしの質問に、シフィアは人差し指をそっと、自身の唇に近付けた。


「内緒です」


 黄緑色の睫毛の下で、大きな蜜柑色の瞳が、わたしのことを見つめていた。


 不思議に思った。いつもなら適当な嘘をつくはずの彼女が、初めて真っ向から秘密を提示したから。きっとそれだけ彼女の内面に関わってくる、大事な由来なんだろう。


 それなら踏み込まない。わたしとシフィアは、まだそういう関係性だから。


「ならいいわよ。覚えておくわ、グレーテア、ね」

「はい! 店員が自分の店の名前を言えなかったら致命的ですし、頑張ってくださいね?」

「それもそうね、了解」


 シフィアは満足そうに、大きく伸びをした。それから、前方に見えてきた一つのお店を指さす。


「あ、ヨカちゃん! あれです、今日ボクが行きたかった店!」

「えーと……あの、桃色の屋根の?」

「そうですそうです、ほら、早く行きましょう!」


 シフィアはわたしの手を取ると、駆け出した。わたしは彼女に引かれるようにして、走り出す。シフィアは楽しそうに、あははっと笑う。


 少ししてお店の前に辿り着いて、体力のないわたしは早い呼吸を繰り返す。シフィアはぴんぴんしていて、興味深そうにお店を眺めていた。


「そもそも……何のお店なの、ここは」

「アクセサリーをつくってくれる店ですよ? それではレッツゴーです!」


 シフィアは鼻歌をうたいながら、お店の扉を開く。わたしはそれに倣って、店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 金髪の店員さんに軽く会釈をする。シフィアは彼女に歩み寄って、懐から透明な一つのケースを取り出した。中には、真っ赤な宝石が二つ入っている。鮮やかで、思わず目を奪われてしまうような色彩だった。


「こちらを、イヤリングにしていただきたいのですが」


 そう告げるシフィアの横顔を、わたしは見ていた。


 それはどこか寂しそうな、悲しそうな――でもそれでいて優しげな、不思議な表情だった。

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