14

「そういえば、シフィア」

「何ですかー?」

「あんた、お店を開きたいのよね? 具体的にどんなお店がいいかとか、決めてるの?」


「うーん、そうですね……雑貨店とかがいいんじゃないかなあって思ってます」

「雑貨店、か」


 わたしの暮らしていた町には、そんなお洒落なお店はなかった。

 昔、お父さんとお姉ちゃんと一緒に、少し遠くの町に出掛けたとき。わたしは生まれて初めて、雑貨店に踏み入れた。


 それはどこか異世界のようで、幼いわたしは胸を高鳴らせながら、店内を何周もしたのだった。


「でも、雑貨店って、結構仕入れ代とか掛かるんじゃない?」


 わたしの質問に、シフィアは何着目かわからないワンピースをクローゼットに仕舞いながら、口角を上げる。


「ヨカちゃん、さては覚えてないですね? ボクの特殊能力」


「え……ああ、氷をつくれるやつ? それならむしろ、かき氷屋さんの方がいいんじゃない?」

「ちっちっち。ヨカちゃん、早計ですよ?」


 シフィアはこっちを向いて、すっと右手を前に出した。


「見ていてくださいね……」


 シフィアはそっと、自身の手の平に視線を落とす。

 彼女の目付きが、どこか暗さを帯びる。終わりかけの夕暮れのような瞳。それはどこか物悲しくて、寂しげで――



 仲間の傷――そうやって彼女は、囁いた。



 瞬間、シフィアの右手に、幾つもの砂時計が生まれた。真っ白な砂の入った、チョコレート色の小さな砂時計。そのどれもが、彼女の手の上で横たわっている。


 驚いているわたしをよそ目に、シフィアは床の上に砂時計たちを並べた。さらさらと砂が動き出す。時間が、動いてゆく。


「とまあこんな感じで、ボクは別に氷以外の物もつくれるんですよ」

「……そう、だったのね」


「はい。ボクはね、『人間の感情』を元に、『物』をつくることができるんです。生まれる物は、感情によって様々。嬉しさも、悲しみも、怒りも――ボクにかかれば、何だって形に残してあげられるんです」


 シフィアはそう告げて、柔らかく笑った。それからわたしに近付いて、真っ直ぐな視線で見つめる。


「ボク自身の感情でなくても、物を生むことができるんです。ヨカちゃん、右手を貸してくれますか?」


 蜜柑色の視線に絡め取られながら、わたしはゆっくりと頷いて、右手を差し出した。


「ありがとうございます」


 シフィアの左手と、繋いだ。彼女の体温は不思議と温かくて、どうしてか自身の全てが包み込まれているように、思ってしまうのだった。


「目を閉じて、何か感情が動きそうなことでも考えてみてくれますか?」


 わたしはゆっくりと頷いて、目を瞑った。


 感情が動きそうなこと――わたしは貧民街に住んでいた人たちのことを、思い出す。


 すぐに暴力に訴えかける短絡的な男。小さな空き缶を手に持ってお金を集める子ども。何故か涙を流しているみすぼらしい少女。


 この感情に何て名前を付けたらいいのか、わからない。これは多分怒りでもあり、悲しみでもあり、やるせなさでもあるんだろう。そういう色んなものが、混ざり合っている気がした。


「……ヨカちゃん、目、開けていいですよ?」


 シフィアの声を聞いて、わたしはゆっくりと目を開ける。

 彼女の右手には、数多の石ころが乗っていた。わたしはそれを見つめてから、半眼でシフィアの方を見る。


「……これ、ただの石じゃない?」

「うーん、その通りですね」

「何だろ、砂時計を見たあとだからかな、絶妙にしょぼく思えちゃうわね。わたしって感情を出す才能がないのかな」


「いや、そんなことないと思いますよ? ボク、今までに色んな自分の感情を物にしてきましたけど、石を生み出せたことはないですし。と言いつつ、雑貨にするという観点から見るとびみょいですねー……」


「もっと違う感情を出してみたらいいのかしら」

「それはありですね。何事もトライアンドエラーですから……もっかいやってみましょう、ヨカちゃん!」


 左手を握りしめて笑うシフィアに、わたしも笑顔を返してみせた。


 *


「うーん……」


 シフィアは難しそうな顔をして、今までに生み出された物たちを見る。


 可愛らしい花々、小さな布切れ、大小様々な石たち。唯一雑貨になりそうなのは、不思議な形をした箱だった。シフィアは箱をつんつん触りながら、考え込んでいる。


「やっぱりボクとは全然違う物ができるんですよねー。でも確かに、雑貨向きじゃなさそうなものが多いです」

「そうね……ところでこんなに沢山の石、どうすんの?」


「河原にでも行って放ってあげましょうか。そういえばふと思ったんですが、ヨカちゃんって今までに、割とマイナスの感情ばっか思い浮かべてません?」


「え……それは、そうだけれど。どうしてわかったの?」


 わたしの問いに、シフィアは人差し指を立てながら説明を始めた。


「なんか硬ーい表情してるんですよ、目閉じてるとき。今度はプラスの感情でも思い浮かべてみませんか?」


「うーん……それ、ちょっと難しいかも。今までの人生で、そんなに楽しかった思い出ないし。……楽しい思い出も、悲しみで塗り替えられちゃってるし」


 暗い表情をして語るわたしに、シフィアは「そうですかー……」と言って、顎に手を当てて考え込み始める。わたしは床に散らばっている石と目を合わせながら、ぼうっとしていた。


「あ、それなら!」


 シフィアは顔を上げて、にやりと笑った。


「超楽しい思いをすればいいんですよ、ヨカちゃんが」

「え……いやまあ、それはそうね。でもどうやってやんのよ」

「そんなの、決まってるじゃあないですか」


 シフィアはスーツケースの中に手を伸ばして、一冊の雑誌を取り出した。両手で持って、ずいとわたしの前にそれを出す。それは彼女が、今日電車で眺めていたもので――



「旅行に行きましょう、ヨカちゃん!」



 わたしは驚いて瞬きを繰り返してから、ふっと頬を緩める。


 本当に、この子と一緒に過ごしていると、新鮮な感動ばかりが溢れてくる。


 そう、思うのだった。

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