10
シフィアさんは顔を上げて、目を輝かせる。
「すごい、すごいですよラビトくん! すごく絵が上手いじゃないですか! 感動しちゃいますよー、ねえ、ヨカちゃん?」
「……うん。正直めっちゃ悔しいけど、認めざるを得ないわ。ラビト、本当に絵が上手いのね」
そんな二人の言葉が、嬉しくて堪らない。絵を描いてきたことを、絵をこれからも描きたいと思っていることを、しっかりと肯定されているようで。
その判断を他人準拠にしてしまうのは、誤っているのかもしれない。でも多分、自分はずっと不安だったんだろう。そうやって、今更気付いた。
「……ありがとうございます、二人とも」
絵から顔を上げた二人に、笑いかける。
「俺、実は……美術系の高等教育機関、全落ちしてるんすよ、受けたとこ。だから正直、自信なくしてました。だから、嬉しいっす」
「え、そうなの? やばいわね、美術系の高等教育機関……わたしだったら多分、門前払いだろうなあ……」
「あれ、自分の画力のなさを認めるんすか?」
「う、うるさいわね! 流石にわかるわよ、わたしが絵がちょっぴり下手なことくらい!」
「ちょっぴり……?」
「うがー! やっぱり腹立つわね、あんた!」
かっかと怒るヨカさんに「ごめんなさい、つい」と頭を下げる。俺たちのやり取りをにこにこしながら聞いていたシフィアさんが、人差し指を立てた。
「確かに芸術には、技術的な巧拙はあるかもしれませんね? でもボクは思いますよ、それよりももっと大事なものがあるって」
「……もっと大事なもの、っすか?」
尋ねた俺に、シフィアさんは「はい」と頷いた。
「それはね、『思い』です。ボク、結構美術館とかに行くんですが、そういうところの絵はやっぱり上手いです。すげーってなります。でもボクはそれと同じくらい、ラビトくんの描いた絵を素敵だと思う」
シフィアさんは視線を落として、俺の絵を隅々まで見る。そうしながら、口を開く。
「勿論、上手ですよ? でもそれに加えて、キミの絵はどこか……優しいんです。色使いとか、描き込みとか、そういうところに、何だか優しいものを感じるんです。
ああ、この人はこの絵を通して、大事なことを伝えたいんだろうなって、思わされるんです。そうだなあ、言うなれば――」
シフィアさんは柔らかく微笑んで、俺を真っ直ぐに見つめる。
「――心が、動かされるんです」
それは、俺があのときからずっと、目指してきたもので。
ああ、もう駄目だった。
年甲斐もなく、涙が溢れてくる。そのまま雫となって、ぽろぽろと零れてゆく。木でできた床に、ぽつりぽつりと染みが生まれていく。
「ど、どうしたのよ、大丈夫?」
ヨカさんはそう言って、ハンカチを渡してくれた。彼女の髪のような、雪の色をしたハンカチ。ありがとうございますと震えた声で言って、涙を拭う。石鹸の香りがする布に、悲しみが包み込まれていくようだった。
「俺……絵を描きたい……」
心から漏れた言葉は、もう止まりそうにない。
「絵を仕事にはできないって、思ってた。だって俺は不合格だって、言われたから。だから諦めなきゃって、思ってて、」
「うん」
シフィアさんは相槌を打ちながら、俺の手を握ってくれた。その温度が優しくて、だから俺は泣き続けてしまう、吐き続けてしまう。
「でも……諦められない。嫌だ。絵を描けない仕事なんか、したくない。描きたい。描いて、描いて、描いて……誰かの心を、動かしたいよ……」
「動かされましたよ」
ぐしゃぐしゃの顔で、シフィアさんを見る。
「少なくともボクは、動かされました。本当に」
ああ、どうしてそんなにも、優しい言葉をくれるんだ。
「……俺、絵を描いて、生きていたい……」
ヨカさんが腕を組んで、どこか呆れたように口を開く。
「そんなの、他人が決めることじゃないわ。あんたが決めればいいじゃない。それに、このお店は色々描く仕事もあげられると思うし……まあ、雑務はあると思うけどさ。休みは二日もあるんだから、ゆっくり描きたいものも描けるわよ。
それでいつか、独立してみたら? 上手くいったら、たまに顔見せに来てよ。上手くいかなかったら、また戻ってくればいいし。そういうのはどう?」
「……いいっすね、それ」
俺は泣きながら、笑ってみせた。
ようやく心が落ち着いて、シフィアさんの手を離す。
「ごめんなさい、ハンカチありがとうございます。洗って返します」
「ああ、別にいいのに……まあそしたら、お言葉に甘えようかしら」
「はい」
ヨカさんはにっと笑ってくれた。その表情を自分に向けてくれることが、とてもありがたかった。
「見てください、ラビトくん」
シフィアさんに言われて、俺は彼女の手の平を見る。
そこには幾つもの――小さな時計が、生まれていた。
「ごめんなさいね、勝手にやってしまって。でも、キミのその感情は素敵だったから……形にして残しておきたいなあって、思ったんです」
そうだ、シフィアさんは。
人間の感情から物をつくり出すことができる――
――そんな、生まれながらにしての、創作者だった。
「これ一つ、腕時計にしてあげますよ。あと、ラビトくんがもしよかったらですけど、これも雑貨にしませんか? そうして誰かの元に届いたら、何だかキミの夢も叶うような気がするんです」
「……はい、ぜひお願いしたいっす。よろしくお願いします!」
「おっけいおっけいです」
シフィアさんは微笑んで、時計たちをポケットに滑り込ませる。それらが俺の感情から生まれたというのは、何とも非現実的でいて――でもそれでいて、すんなりと受け入れることができた。
時間は沢山、かかるかもしれないけれど。
俺は最高の絵描きになって、そうして――数多の人の心を、動かそう。
そう、強く思うのだった。
*
俺はカウンターの前に立っている。
かららん、と扉が開く音がして、家族連れらしきお客さんが入ってくる。
「いらっしゃいませ!」
笑顔で、彼等のことを出迎える。
壁に掛けられた四枚の絵画が、入り込んだ陽光によって、微かに煌めいた――
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