07

「とは言っても、ノープランすぎるんすよね……」


 俺は地元にあるアネモネ・ストリートを歩きながら、ひとり溜め息をつく。平日の午前中だからか、人の姿はまばらだった。


 ぼうっと、求人募集の出ている店がないか確認していく。ちらほら見かけたが、お菓子屋とか靴屋とかで働くというのは、今の俺にはいまいちピンと来なかった。そもそも、二つ仕事をしてみてわかった。


 俺はやっぱり、絵を描かなくては生きていられないんだ。


 それだけは、捨てられない。捨ててしまえるのなら、あの理由探しの時間に捨てられていたはずだ。より強固な意志を持って戻ってきたから、もう自分というものに深く、こびり付いてしまっている。


 でも絵を描く仕事は、やっぱり美術系の高等教育機関を卒業していないと、中々採用してもらえない。単なる巧拙だけでなく、経歴も重んじられる世界なのだ。その現状を思うだけで、ずっしりと胸が痛くなる。


「どうすればいいんだろうな……」


 ひとりごちながら、歩いていた。


 ――そのとき、だった。


「こんにちは」


 声を掛けられる。氷細工のような響きだと思った。冷たくて、でもどこか繊細で。


 顔を上げると、そこには――美しい少女が、立っていた。


 胸の辺りまで伸ばされた、雪の色をした髪。暁の空を溶かしたかのような、薄紫色の瞳。両側頭部からは、山羊の角のようなものが生えている。


「よかったら、いかがですか?」


 少女は綺麗に微笑んで、優雅な所作で一枚の紙を差し出した。俺は少し戸惑いながら、その紙を受け取った。


 俺はその紙を見て――衝撃を、受けることになる。


 この世のものとは思えない異形が二体、不気味な笑顔を浮かべてこちらを見ている。周りに添えられているのは……何だこれ、花か? 花にしては何とも不気味だ、地獄があるとしたらそこに生えていそう。空は夕焼けとか比じゃないレベルに赤い。世界終わりそう。


「ひっでえ絵……」


 俺は無意識に、そう言ってしまう。


「え」


 声がして、しまったと思った。白髪の少女が、完全に固まっていた。俺は慌てて、口を開く。


「あー、違います、違うんすよ! えっと何というか、ものすごく個性的だなあ、みたいな? ほら、この……化け物みたいなのとか、狂気的な花とか、恐ろしい空が相まって、終末世界が描き出されてますよね? す、すごいなあ、見事な終末世界っすよ!」


 俺が頑張って言葉を重ねるたびに、少女はぷるぷると震えながら、顔を赤くしていく。完全に言葉を選び間違えたことを、少し遅れて認識する。


 少女はがっと俺の胸ぐらを掴んだ。俺が驚く間もなく、少女は口を開く。


「あんたねえ……っ、人をバカにするのも大概にしなさいよ! まずその二人は化け物じゃないわ! わたしとシフィアに決まってるでしょ!」


 いきなり口調が変わった少女とその言葉の内容に、俺は思わずびっくりしてしまう。


「え、これ君なんすか!? 嘘だ、君はもっとお綺麗っすよ!」

「え……あ、ありがと……?」


 少女はそう言って、俺の衣服から手を離して、恥ずかしそうに俯いた。


 ――と思ったら、再び俺の胸ぐらを掴んだ!


「とでも言うと思ったか! そもそも狂気的な花と恐ろしい空って何よ!? 綺麗な花と美しい空の間違いでしょ! 夕焼けを浴びているブーゲンビリアよ!?」


「夕焼けを浴びている……ブーゲンビリア……!?」

「何でそんなに愕然としているのよ! あーもう信じらんない、ほんとに信じらんない! 折角頑張って描いたのにー!」


「え、これ、君が描いたんすか?」

「そ、そうよ! 何か文句でもある!?」

「いやなんか……ホッとしました。そうっすよね、たまには上を見るのではなく、下を見るのも大事っすよね」


「よくわかんないけど、めっちゃ失礼なことを言われてるのはわかるわ! ……はあ、なんか疲れた……」


 少女はようやく、俺の衣服から手を離してくれた。フェイントでないことを確認して安心しながら、彼女の方を見る。初めは心優しい美人かと思ったら、どうやらかなり間違えていたようだ。人を見る目がないかもしれない。


 俺は改めて、紙を眺めた。先ほどは絵の方ばかりに注目してしまったが、何やら色々文字が書いてある。『感情雑貨店グレーテア アネモネ・ストリートに移店のお知らせ』――俺は顔を上げて、少女に尋ねる。


「感情雑貨……って、何すか?」


「ああ、それはうちのオリジナル用語よ。シフィア――店長はね、人間の感情から物を作り出すことができるの。そうして生まれた物を、加工して雑貨として販売してるのよ」

「それって……」


 俺は目を見張った。仕舞われていた記憶が、一気に溢れ出す。


 この世界には、『何か』を代償にして、『何か』を生み出すことができる一族が存在している。長い年月をかけて総数は減っていき、今はもう数えるほどしかいないという。


 それを知った十五歳の頃、その話に感銘を受けて、一枚の絵を描いた。燃え盛る炎を眺めながら、自身のいる一帯に煌めく氷を生んでいる男の絵。


 あのとき描いた奇跡を生み出す存在に、今こんなにも接近している――俺はいてもたってもいられなくなって、衝動的に口を開いた。


「あ、あの!」

「何よ」

「その、君のお店、働く人を募集してたりしませんか!?」


「ど、どうしたのよいきなり。一応、一人くらい増やしたいねってシフィアと話してはいるけど……」

「それじゃあ、俺を雇ってください!」

「は、はあ? 何よいきなり!」


「今無職なんすよ! 仕事探してるんすよ!」

「知らないわよ! そこにあるアイスクリーム屋さんでアイスクリームとか売ったらいいじゃない!」


「却下します!」

「却下された! ……だってあんた、わたしの描いた渾身の絵、バカにしたじゃない! そんな奴と働きたくないわよ!」


「いやだって……あの絵は衝撃的だったものでして……」

「衝撃的とか言うなバカー!」


 少女がかっかと怒る。まずい、このままだと働かせてもらえない――そんな危惧が、頭の中に浮かんだときだった。



「何の話してるんですかー、ヨカちゃん?」



 どこか幻想的な、美しい声がした。

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