○心変わりは、よくある……ことだわ……?
あっ! ひぃちゃん!
雑踏の中、聞こえた声。そんなはずはない。彼女が居るはずない。理性が首を振るけれど、心が彼女を探してしまう。
高鳴る鼓動。私の全身が、彼女の声を、匂いを、感触を、求めている。
――どこ……?! どこなの?!
懸命に首を振っていると、
「こっち、こっち!」
もう一度、自身の存在を知らせるように声が聞こえた。
――間違いない! 聞き間違いなんかじゃないわ!
探して、探して。極限の集中が、余計な音を遮断してくれる。同時に、目に映る光景がゆっくりになる。そうして必要最小限の音と色だけになった不思議な世界で、彼女を探し続けて。
『クルル!』
ポトトの声と視線で、ようやく……。ようやく、見つけた。
「っ……」
大人びた彼女の姿を見つけたとき、なぜだかすぐには、声が出なかった。真っ先に感じたのは懐かしさと、安心感。そして、その全てをかき消してしまうほどの、圧倒的な喜び。
なのに涙が出ないのは、きっと、彼女が私の中にずっと居てくれたからかしら。いつでもそばに居て、私の生きる意味になってくれていた。だから私は今まで生きて来られたし、これからも、一生懸命に生きるのだと思う。
焼肉屋さんの前。私を見つけて嬉しそうに手を振る彼女に「……ええ、今行くわ!」とだけ答えて、私は駆ける。
――早く、早く!
――あと少し。もう少しで、あなたに届いたのに……。
諦めそうになって。それでも、やっぱり諦めきれない身体が無意識に手を伸ばす。頼りなく、当てもない。ただ人を殺すことしか出来ない、そんな私の小さな手を。
「よっと」
人の壁を割るようにして向かい側から伸びてきた手が、ぎゅっと握りしめる。そして、力強く引っ張られたかと思うと、私の身体はようやく人の波を抜けた。
ケリア鉱石張りの店内から漏れる明かりと、明るい照明に照らされた焼肉屋さんの店先。そこには、この数年間、私がずっと、ずっと待ち続けていた人物の姿がある。
それでもまだ、夢なんじゃないかって思って。だけど、私のこの手を握る温かさも、柔らかさも、どうやっても夢だとは思えなくて。
「サク――」
「ひぃちゃん、捕まえた♪」
私が名前を呼ぶよりも早く。彼女が強く、強く、私を抱きしめてくれた。感じる柔らかさも、匂いも。私が覚えているそれとは少し違う。だけど……。
「ふふっ、香水で誤魔化しきれない汗の臭いだけは、変わらないのね?」
「あ~! 久しぶりの再会でそれ言う?! 全く、わたしがどれだけひぃちゃんのこと、探したと思ってるの?」
頭の上から聞こえる抗議の声は、全然変わらない。よく知る声に抱きしめられながら、私は彼女と話す。
「ひぃちゃんはびっくりするくらい、変わんないね。小っちゃくて、可愛くて。それに……泣き虫だ?」
「な、泣いてなんか、無いんだから……っ」
「あはは! 強がるところも、全然変わってない。……で? 本当は?」
「泣くなという方が無理な話じゃない! 私こそ、どれだけあなたを探して、待ち続けたと思っているの!」
あの日、名前を思い出して。だからこそ、より一層、寂しくなった。恋しくなった。
「居なくなってから、今日まで。あなたを想わなかった日は無いわ!」
「おぉう……。久しぶりに聞くと、強烈だなぁ……。でも、嘘だ。異食いの穴から居なくなってからしばらくは、忘れてたくせに」
「そうね! 名前は忘れていたけれど。ずっと、ずっと。あなたのことを、考えていたんだから」
「素直なところも、ぜんっぜん変わらないなぁこの子は!」
当然よ。だって、あなたが褒めてくれたから。自分の気持ちに正直でいること。その大切さを、他でもない、あなたが教えてくれたんじゃない。
鼻水と涙で服を汚す私を、それでも彼女は優しく抱きしめてくれる。
「ちょっと時間がかかっちゃったけど。約束通り、戻って来たよ、ひぃちゃん」
「ぐすっ、ええ……。ええ!」
抱きしめた私に、彼女は「こんなに早く迎えに来てくれて、ありがとう」なんてことを言う。会いに来てくれたのは彼女の方だから、その言葉の意味は、正直、分からなかったけれど。
ひとしきり彼女の服で涙と鼻水を拭いた私は、身を離す。そして、優しい顔でこちらを見つめる茶色の瞳に、待ちに待った言葉を伝えた。
「お帰りなさい、サクラさん!」
すると、彼女……サクラさんも大きく頷いて。
「うん! ただいま、ひぃちゃん!」
私との再会を喜んでくれる。
匂いも、手触りも、雰囲気も大人になったサクラさんだけれど。少し照れたようにはにかむその笑顔は、少しも変わっていなかった。
「それじゃ、私も約束を果たそうかしら」
「ん? 約束……?」
茶色い髪を揺らして、不思議そうに首を傾げるサクラさん。そんな彼女に、私は常に首からネックレスとして提げていた装飾品――指輪を、サクラさんに示した。
「これ、受け取ってくれるわよね?」
「っ……」
指輪を見て息を飲んだサクラさんのその態度を了承と受け取った私は、彼女の左手をむんずと掴む。そして、薬指をそっとつまむと、
「私も。あなたのことを、愛しているわ。サクラさん?」
別れの日、異食いの穴で言えなかった言葉を、指輪と一緒に伝えた。……のだけど。
――……もしかして。
私の中で不安が大きくなるのに、そう時間はかからなかった。当然と言えば、当然よね。サクラさんにも、チキュウで過ごしたたくさんの時間がある。その中で、きっと、出会ったのでしょう。彼女にとっての、特別な人に。
「え、えぇっと……。そう、よね。ええそうよ。これはあくまでも、約束を果たしただけというか。だからサクラさんは重く捉えてくれなくて良いの」
自分でも驚くほど、言葉が上滑りする。
「あ、だけど、しばらくの間、あなたを私の中の“特別”にさせて欲しいわ。迷惑もかけないし、なるべく早いうちに忘れようとするから――」
「ダメ」
小さく。それでいて、確かな否定の声が、聞こえた。
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