○ほんと、釈然としないわね!

 センボンギサクラさん。


 彼女の名前を思い出した時、ずっと“何か”が欠けていた私の世界が鮮明になる。


 ――今なら。


 ベッドから立ち上がった私は勉強机に置いてあった写真に駆け寄って、確かめてみる。ついさっきまで、誰もいなかったはずの私の隣に、もう1人。深い茶色の髪の毛と、同じ色をした大きくてまぁるい瞳を持つ女の子が、写っていた。


「サクラさん……。サクラさん!」


 サクラさんの名前を呼びながら、私は写真をひしと抱きしめる。机の上に置いていたサクラさんの勉強用の手帳。そこには少し丸みを帯びた可愛らしい字が浮かび上がってきた。


『ひぃちゃん!』


 頭の中。そう言って私を呼ぶ元気な声が、蘇る。私を何度も元気づけてくれた笑顔が、蘇る。彼女が言ってくれた言葉が全て、蘇る。私の中にあった彼女への想いが、蘇る。


 私の中にずっとあった白黒の『センボンギサクラさん』に色がついて、私の大大大好きな『サクラさん』に変わる。同時に、もやがかかったようになっていた記憶にも鮮やかな色彩が乗って、意味を持った記憶……思い出に変わった。


「ふ、ふふっ……。ついに……。ついにやったわ! ふふふ、うふふふっ!」


 サクラさんが居たら「自然な悪役ムーブ……」とか言われそうだけれど、こんなの、笑わずにはいられない。

 だってそうでしょう? 寂しさを受け入れて。胸の痛みと頭痛をこらえて。ゆっくりとだけど、1歩ずつ、1歩ずつ足を動かして。踏み出した先に、答えがあった。大いなるフォルテンシアの意思に対して、私の意思なんてそれはもうちっぽけだったけれど、それでも。


 ――私の意思は、無駄じゃなかった!


 大切な人を取り戻すことができた。異食いの穴を出る時、最後に彼女が言ってくれた言葉。


『愛してる』


 その言葉を、思い出すことが出来たんだもの。こみ上げる感慨かんがいのまま、私は叫ぶ。


「ふふんっ! ざまぁ見なさい、フォルテンシア! グウィ! あなたからサクラさんを、取り戻してやったんだから!」


 高笑いと共に胸を張って、喜びをかみしめた。……のだけれど。


「お嬢様、どうかされましたか?」


 ベッドの上。突然起き上がって駆け出した私を、メイドさんが不思議そうに見ていた。……あれ、おかしいわね。何かしら、この温度差。私の中で首をもたげた嫌な予感に目をつぶって、私はサクラさんが写った写真を手に言いつのる。


「どうしたもこうしたもないわ! サクラさんよ! センボンギサクラさん! 私たちが忘れていた人の名前! ここに写っているじゃない!」


 写真に写るサクラさんを指さしながら、確信をもってサクラさんの名前を口にした私に、しかし。


「サクラ様ですか……? サクラ様とは、誰なのでしょう?」


 メイドさんが、いぶかしむように私を見ている。彼女だけじゃない。ポトトも、リアさんも、ユリュさんも。私の言動に、首を傾げている。


 ――……まさか、よね。


 私の中でどんどん膨らんでいく嫌な予感。それを肯定するように。


「それにですね、お嬢様。申し上げにくいのですが、わたくしには、お嬢様が可愛らしい指で示されているその場所にはまだ、誰も写っていないように見えるのですが……?」


 メイドさんのその様子を見て、興奮から一転。私は、冷や水を浴びせられた気分になった。


「嘘……でしょう? サクラさんよ、サクラさん! メイドさん、彼女と口論して。それでも私が嫉妬するくらいイチャイチャしていたじゃない!」

「サクラ様が、ですか? センボンギサクラ様……」


 うわごとのようにサクラさんの名前を呟いて、考え込む素振りを見せるメイドさん。


「ポトトは?! あなたと一緒に、たくさん依頼をこなした女の子が居たでしょう?! あなたの相棒よ!」

『クルル? クルゥ……』


 ポトトも、実感が湧かないと言った様子。


「リアさん! 〈ステータス〉が無くて魔素の影響を受けにくいあなたなら、思い出せるんじゃない?!」

「はい、覚えています」

「あなたもダメなの?! じゃあユリュさんは……って、え?」


 いま、リアさんはなんて?


「え、リアさんは、覚えているの?」

「はい。サクラ様は、ここ2週間ほど、帰っていません」

「え、ええ、そうね……。ってそうじゃなくて!」


 私はリアさんから、サクラさんについて覚えていることを洗いざらい吐いてもらう。容姿、性格、どこに行って、何をしたのか。その全てをしゃべってもらって。


「『どうしたの、ひぃちゃん? そんな顔して?』」


 お得意の模倣までしてもらって確認してみれば……。


「覚えてるんかいっ!」


 本日何度目かしら。私もリアさんと同じく、サクラさんの真似をしながら、叫んだ。


 元から記憶力が良くて、さっきも言ったように、〈ステータス〉を持っていないから魔素の影響を受けにくい体質をしているリアさん。異食いの穴が、メイドさん推測通り魔素による認識阻害を行なっているとするなら、リアさんはその影響を最も受けにくいと言っても良い。


 ――だ、だけど……。


 なにかしら、この釈然しゃくぜんとしない気持ち。……いえ、もちろん、嬉しいわ。リアさんがきちんとサクラさんを覚えていてくれて。もし彼女がサクラさんのことを思い出していなかったら、私は「勘違いかも知れない」「センボンギサクラさんなんて言う人、この世に存在しなかったんじゃないか」という可能性を疑う必要があった。だから、彼女が私の記憶のしてくれて、嬉しくないはずがない。


 ――だけど……。だけど!


 こう……ね。このフォルテンシアという世界で、サクラさんのことを覚えているのが私だけって言うのも、なかなかに魅力的な状況だったように思うの。だって、それって、私のサクラさんへの想いが誰よりも強い証拠になるような気がしたから。チキュウで言うところの「ろまんちっく」って、こういうことを言うのよね。


「……むぅ。やっぱり、釈然としないわ」


 なんとも締まらない状況。だけど、これも私たちらしい気がするわね。


「死滅神様! センボンギサクラ様とは誰ですか!」


 元気いっぱい。手を挙げて、自分は覚えてないよと主張するユリュさんも、相変わらずね。サクラさんとの関わりが薄かったユリュさんの、その反応は予想通りとして……。

 私がチラと見遣るのは、今も思案顔のメイドさんだ。


「サクラ様……。センボンギ、サクラ、様……」


 記憶力も良くて、何よりきちんとサクラさんとの思い出も覚えていたメイドさん。そんな彼女がサクラさんの名前を聞いても思い出せないのもまた、魔素の影響でしょうね。レベルが高くて、私たちの中では誰よりも認識阻害の影響を受けやすい彼女。私やリアさんのように簡単には思い出せないみたい。……いえ、まぁ、簡単ではなかったけれど。頭が割れるかと思ったけれど!


「はっ! これこそが私の、サクラさんに対する想いの証明になるんじゃ……?!」


 なんてね。それを言うなら、私よりも強く認識阻害を受けているはずなのに、サクラさんへの敬意をきちんと覚えていたメイドさんも、相当サクラさんを気に入っていたんだと思う。今もこうして、一生懸命思い出そうとしているしね。

 結局、私たちはみんな、サクラさんのことが大好きだったということ。


「それよりも死滅神様。もう熱は大丈夫ですか? なら、とお散歩に行きましょう!」


 弱冠1名、感動を薄くしてくれる子もいるけれど。おかげで、涙が溢れずに済んでいるもの。


 ――大丈夫。いつか必ず、全員が思い出してくれる。


 もし思い出せなくても、私が思い出させる。だって、私の自慢の姉で、大好きな人だから。私の家族はこんなにすごいのよって、言いふらして。サクラさんが帰ってくる場所を守らないとね。

 居なくなる前、彼女は確かに言った。


『行ってきます』


 その言葉には、彼女に取って帰るべき場所が“ここ”であることを示していると思う。同時に、帰ってくるという意志表示でもあると思うの。

 私はまだ、サクラさんにあの言葉を言えてない。恥ずかしがり屋の彼女が、珍しく面と向かって言ってくれたあの言葉への返事が……「私も……」のその先を、伝えることが出来ていないんだもの。


「だから、待っているわ。あなたのこと。ずっと、ずっとね」


 いつになるのかは分からない。私は死滅神だもの。ひょっとすると、私を恨む誰かに殺されてしまうかもしれない。……でも、幸か不幸か、私には呪いがかかっている。


 ――死ねない呪い、だったかしら?


 大好きな人が残してくれた、優しくて、温かい呪い……いいえ、約束がある。

 死滅神として生を受けた私。生きとし生けるものを殺し、殺されるべくして生まれた存在。それが、死神と呼ばれる私、スカーレットだ。その使命は、もちろん大事。いつか、必ず、殺されてあげる。


 ――だけど、私とサクラさんの間にある「行ってきます」が果たされる、その日までは……。


 生きたいと足掻いても良いのかしら。殺されたくないと願っても、良いのかしら。わがままを言っても、許されるかしら。そう考えてしまうのは、サクラさんの呪いのせい? それとも、私が反抗期だから? 正しいことは、分からない。

 それでも、人々が私の生を許してくれる限り、私は生きて、生きて、生きる。


「……なるほど。生きるって、許されることなのね」


 認められること、とも言えるかしら。誰かに見られて、認められて。私たちは生きている。人々と出会いを重ねて、繋がって。その分、人付き合いも難しくなるし、悩みも増える。けれど、それと同じくらい楽しみも増えて、思い出も増える。たくさんの人に認められることで、私たちは生きている。

 じゃあ、人々が「あなたは生きていても良いよ」なんて傲慢ごうまんなことを言っているのかというと、そうじゃない。その言葉を言って良いのは、命を預かる存在である私だけだ。

 だからこそ、人々は「あなたに生きていて欲しい」と、そう言うのね。誰かの命を許すのではなくて、誰かの生を願うの。


『ありがとう!』

『大好き!』


 そんな、日々の中にありふれた、だけど、かけがえのない言葉を使ってね。

 そして、私がサクラさんに伝えたいあの言葉もまた、願いの言葉の1つだと思うの。だって彼女が私にその言葉を言ってくれた時、私は、救われたから。だから今度は、私があなたを救う番よ。


 ――だって私は、死滅神……“救う者”だから!


『わたし、生きててもいいのかなぁ……?』


 そんなサクラさんの問いに、真正面から答えられるたった1つの言葉。あの時言えなかった「私も……」の先を伝えるその日まで。私は、生きると誓う。


 ――だから、あなたも。精いっぱい生きてよね、サクラさん。

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