○だって私は……私たちは――

 メイドさんに頼んで、全部の手紙を運んで来てもらう。すると、いつの間にかポトトを抱えたリアさんが隣に居ることに気付いた。どうやら、熱っぽくなってしまっている私の頭を冷やそうとしてくれているみたい。桶に水を張ってタオルを濡らし、額を冷やしてくれる。


「ありが、とう……。リアさん」


 息を荒くしながらお礼を言うと、リアさんがほんの少しだけ微笑んでくれた。

 3枚目の便せんには、私たちの出会いについて書かれていた。リリフォン近郊にある霧深い森、フェイリエントの森。その中で、私たちは出会ったらしい。


 ――そう。森で迷子になっていた私を、“彼女”がスキルを使って助け出してくれたんだったわ。


 その後、砂浜で。ヒズワレアを知るきっかけになった出来事もあった。


 ――あの時に、彼女は初めて、私が死滅神であると知って。それでも私に触れて、抱きしめてくれた……。


 真正面から、ひぃちゃんは怖くないとそう言って。いつも抱きしめてくれた。私の中に知識としてだけ存在していた“彼女”の柔らかさを、体感として思い出す。私が泣きそうなときに握ってくれた手の温かさを思い出す。泣いてしまった私の心を安らげてくれた花のような匂いを、思い出す。

 すると、どうしてかしら。ついさっき嗅いだばかりの、“彼女”が使っていた枕が、無性に恋しくなる。ベッドに居る都合上、すぐそばにあった枕を抱いて、もう一度匂いを嗅ぐと……。


 ――そう。これよ。この匂い。安心できる、あの子の匂い。


 ついさっき変態じゃないと言っておいて、なんだけど。今なら、私の枕を嗅ぎに来るリアさんやユリュさんの気持ちが分かると言うもの。お腹の奥がきゅんとなって、心が満たされるこの感覚。少しだけ、癖になりそうだわ。


「ぁぐ……っ」


 頭が割れていないのが不思議に思えるくらいの頭痛。なんなら、私の顔が腫れあがっていてもおかしくない。そう思えるけれど、実際はどうなのかしら。私を心配そうに見下ろすメイドさんとポトト。懸命に濡れタオルを交換してくれるリアさんの姿が目に映る。

 でも、不思議と、“彼女”の香りがする枕を抱いていれば痛みが和らぐ気もする。メイドさんの膝枕の上。枕の匂いを嗅ぎながら、次々に手紙に目を通していく。


『次は、ディフェールルだったよね。奴隷の話で喧嘩けんかして。あ、飛空艇とアイリスさんに初めて会ったのもここで――』


 そう。このアイリスさんとの出会いが、リズポンを倒す手掛かりになった。


『別荘だと、メイドさんにクリスマスのサプライズしたっけ。ヘズデックにひぃちゃんが襲われるっていうアクシデントもあったよね。……怖い思いさせちゃって、ごめんなさい』


 メイドさんにあげたストールの話ね。ヘズデックのことは、忘れていたわ。同じ場所に居て、同じ出来事を体験しても、人によって「思い出」は変わるのね。


『ウルセウ! ビュッフェの時のひぃちゃん、犬みたいで可愛かった! あとエルラに行く途中でテレアさんに会って、和弓(わきゅう)も作ってもらったっけ』


 そうそう。“彼女”、弓の名手だったわ。身体よりも大きな弓を使う姿には、完成された美しさがあった気がするわ。


『エルラって、ほんと、ファンタジーだったよね。時間が倍になるって何? って感じ。あ、ひぃちゃん。賭け事はほどほどにね? あと、カーファさんには優しくしてあげて。親戚のおじさんっぽくて、ちょっと親近感あるし』


 分かってないわね。遊びだからこそ、一か八かの賭けをするんじゃない。カーファさんにはもちろん、会いに行くわ。従者だし、私の知らないことをたくさん教えてくれる。きっと、お父さんって彼みたいな存在のことを言うんじゃない?


『フィッカス。ひぃちゃんは私との約束、今も覚えてくれてるかなぁ。……約束、守れなくてごめんね?』


 謝らないで。大丈夫。私の中に、あなたは今も、ずっと居るわ。むしろ、私の方こそごめんなさい。あなたのこと、忘れようとしたの。


『ジィエル。ここは濃厚だったよね、狂人病とか、リアさんとか。今もグラス使ってくれてる? あんまり日常使いしてくれなくて、私的にはちょっと寂しいな』


 当たり前じゃない。大切なグラスを割ってしまうようなことがあったら、たぶん私、立ち直れないわ。


『師匠……ハルハルさんに会ったのはこの後だっけ。あ、そう言えば篠塚しのづか君。噂によるとアイリスさんと良い感じらしいよ?』


 そうなの?! どこ情報よ?! 剣の鍛錬をしていた時に“こいばな”でもしたのかしら。確かにアイリスさん、お見合いだとかなんだとか言っていた気がするけれど……。でも、ショウマさんになら、アイリスさんも任せられるわね。お似合いだと思うわ。


『ファウラルで、ひぃちゃんとリアさんが居なくなって。多分この時、私は自分の気持ちに気付いたのかも。でも、メイドさんとポトトちゃんとの旅も新鮮で、楽しかった。あと、メイドさんは可愛い過ぎだよね。ひぃちゃんのこと、好きすぎ』


 メイドさんが可愛いことには激しく同意だわ。ただ、メイドさんが私を好きすぎるのかは、分からないけれど。それに、サクラさんの言う自分の気持ちって何? 教えて欲しいわ?


『イーラ。ひぃちゃんは物足りないって思ってるかもだけど、いいとこだと思うな。こんなに平和で落ち着ける町って、他にないよ? それから。私まだ、ひぃちゃんが自分のこと死んで当然って考えてるの、認めてないから』


 いいわ、その喧嘩、受けて立とうじゃない。殺されるまでが死滅神。そのこと、何度でも言い聞かせてあげる。


『ナグウェ大陸、しんどそうだったね? “悪い人”だけがひぃちゃんが殺す相手じゃないんだって、初めて知った。それと、実はひぃちゃん達がタントヘ大陸に行ってる時、私、転移陣使ってナグウェ大陸に行ったことあるんだよ? フォルテンシアのアイドルさん達が見たくて』


 そうだったのね。シズクさんの影響だったかしら。あなたがそういう“オタク趣味”に詳しくなったのは。

 夢中で読み進める中、気づけば残す手紙は2枚だけになっていて。ついでに、いつの間にか私の腕の中には枕と一緒にユリュさんが抱かれている。

 手紙の内容も、そのユリュさんに関わることだった。


『ユリュちゃん。私、うざかったかな? 実は私と同じ人見知りの子って、フォルテンシアに来て初めてなんだよね。ひぃちゃん達、なんやかんやでコミュ力お化けだから』


 “彼女”が人見知り? 明るく振舞っていたし、そうは思えなかったけれど。でも、どうしてかしら。妙に納得してしまっている自分もいる。だって“彼女”、私たち以外とは常に一線を引いて、人と接していたような気もするから。きっと、ずっと自分の中にあった罪悪感――シズクさんを殺してしまったという責任感――が、“彼女”を少しだけ臆病おくびょうにしていたのね。


『でも私、子供好きだし。ユリュちゃん、めっちゃ可愛いし、仲良くなりたかったなぁ。異食いの穴に行くまでに、仲良くなれると良いんだけど……』


 ふふっ、安心して? 完全に、とは言えないかもしれないけれど。ユリュさんはあなたに、心を開いていたわ。場を整えてくれたリアさんにも感謝しないとね。

 そして、最後の手紙。その封筒に書かれた宛先だけは、


『みんなへ』


 そう書かれていた。つまり、この手紙には私たち全員に向けた“彼女”からの伝言が書かれているということ。


「メイドさん、ポトト、リアさん。それに、ユリュさん。……見て?」


 私は全員を注目させて、全員に、視線で開けることを伝える。みんなから頷きが返って来たところで封を開く。最後に一体、何が書かれているのか。全員が固唾かたずを飲んで見守る中。ゆっくりと便せんを開いてみると……。




『あ』『り』『が』『と』『う』『!』




 わざわざ大見出しの文字を使って、でかでかと。元気いっぱいに、感謝を言ってくれる。


「……っ」


 何も言わずに顔を逸らしたのは、メイドさん。


『ルゥ……』


 どこか悲しそうに泣く、ポトト。


「はい。……いいえ、モヤモヤ、です」


 困惑するように眉尻を下げる、リアさん。


「……?」


 首をかしげる、ユリュさん。相変わらずなこの子のおかげで、私は少しだけこみ上げてきた感情を押さえて、冷静さを取り戻す。私の頑固さに根負けしたのかしら。もうとっくに思い出そうとするときに走っていた強烈な頭痛は消えている。


 ――だからこそ、いま私が流しているこの涙は、痛みによるものなんかじゃない!


 痛くも、悲しくも、寂しくもない。温かさに満ちた涙だと言うことが分かる。


「ふふっ、ねぇ、みんな。ここを、見て欲しいの」


 起き上がった私は、これまで見て来た手紙を、みんなに示して見せる。正確には、手紙に残された、とある痕跡。私が指先で示したその場所には、インクがにじんだ跡があった。


「ここだけじゃないわ。ここも、ここも。全部の手紙で、インクが、にじんで、いるの……」


 最後の6文字なんて、一瞬、何が書いてあるのか分からないレベル。だから、ユリュさんは首をかしげたのでしょう。逆に、それ以外の面々は、“彼女”が、どんな顔をして、どんな思いでこの手紙を書いたのかを察した。

 だから今、“彼女”がこの手紙を書いた時と同じ顔をしているのだと思う。ポトトやリアさんですら、ね。


「そうね、そうだったわ……」


 そうよ。思えば、最初から、この感情だけは覚えていたんだわ。だから私は“彼女”を想う度に苦しくなったし、悲しくなったし、寂しくなった。だからこそ、居なくなった事実を認めたく無くて、忘れようとして。それでも、忘れられなかった。……だって。だって、私は。私たちは。






「サクラさんのこと、大好きなんだもの!」






 理屈でも、記憶でもない。心が覚えていた単語――名前を口にした時、初めて。涙でぼやけていた世界が輪郭を結んだ。

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