○滲んだインクが教えてくれる物
『ひ』『ぃ』『ちゃん』『へ』『!』
その言葉の意味を確かめるより先に、
「読めた!」
私は叫んだ。ついに“彼女”が残したものを見つけることができた。きっと私たちに何かを伝えるために頭をひねって、あらゆる可能性を模索して、この方法にたどり着いただろう“彼女”。その努力が報われたことが、自分のことのように嬉しい!
「お嬢様? 喜んでおられるところ申し訳ありませんが、まずは内容の確認を。ひぃちゃんとは、誰のことでしょうか?」
手紙と一緒に両手を挙げる私を、メイドさんがやんわりとたしなめる。
「メイドさんの癖に馬鹿なことを聞くわね。ひぃちゃんと言えば私のこと、で……」
「お嬢様が、ひぃちゃん、なのですか? ですが『ひ』などどこにも……」
「……確かに」
言われてみればそうね。ひぃちゃんって、誰かしら。私たちの中に「ひ」なんて名前が付く人は居ない。……なのに、どうしてかしら。この手紙が、私に向けられたものであることが分かってしまう。
『ひぃちゃん!』
『ひぃちゃん……』
『ひぃちゃん?』
ずっと私の中にあった彼女の「声」が、意味を持ち始める。……そう。彼女は、私を「ひぃちゃん」と呼んでいたはず。だけど、どうして? 私の名前に「ひ」なんて入っていない。
「っ……!」
「お嬢様?!」
激しい頭痛が私を襲う。思い出すな。そんなフォルテンシアの警告が、聞こえてくるみたい。だけど、私は、負けない。痛みになんて、負けない。ふらついた私を抱き止めてくれたメイドさんの腕の中、私はあだ名の由来を思い出す。
そうよ。確か、最初はメイドさんがそう呼ぶように「レティ」って呼ぼうとして。だけど独占欲が強いメイドさんが、それを拒んだんだわ。だから……。だから?
「……そう。だからあの子は、私の目の色をあだ名にした」
初めて“死滅神”としての姿を見せた時、私は“彼女”を怯えさせてしまった。触れるだけで人を殺せる存在に、怖がらない方がおかしい。
だけど、“彼女”は。それでも私が怖くないと、そう言って、私を抱きしめてくれた。“死滅神”としての私も私であると言うように、あえて職業衝動中の私の瞳の色をあだ名にしたんだったわ。
「職業衝動に飲まれた私の目が、緋色、だったから『ひぃちゃん』……うぐっ」
頭が、割れてしまいそう。痛みでこぼれる涙は、本当に透明? 血の色をしていても、不思議じゃないわね。頭が、心臓になってしまったみたいにドクンドクンと脈打っている。
「――! ――!」
メイドさんが、悲痛な顔で私の名前を呼んでいる。この光景、いつ以来かしら。いつもなら安心感で意識を手放しても良いところなのだけど、今回はそうも言っていられない。
ベッドに座って私を介抱するメイドさんの腕の中、私は震える手で手紙の封を解く。中に入っていたのは、折りたたまれた1枚の便せん。メイドさんの予想通り、新聞の切り抜きを何枚も何枚も貼り付けて、文章が作られていた。
『これをひぃちゃんが読んでるってことは、きっと私はフォルテンシアから居なくなっちゃったんだね』
そんな書き出しで始まった“彼女”からの手紙。だけど、この書き出しのすぐ後に、
『これ、言ってみたかっただけだから、無視して。めっちゃ恥ずいから』
なんて言って、照れ隠しをしている。……そうよ。あの子は相当な、照れ屋だったはず。
『こんな感じの手紙になっちゃって、ごめんね? ほんとは自分の文字で書きたいんだけど、読めなくなっちゃう可能性が高いから。だから、こんな形でお手紙を書きます。……書いてないけど』
所々に見える、お茶らけた雰囲気。でも私は、思い出す。彼女は真面目で、努力家で。なのに、真面目な話を真面目にするのが苦手。だからいつも、こうやって、少しだけおとぼけた雰囲気を出すのよね。また1つ、私の中にある“彼女”の姿に色が付く。
「ぅっ……」
フタをされた記憶を、無理矢理こじ開けようとする。その罪を
『もしこの手紙を最初に読んでるんだとしたら、メイドさんと一緒かな? リアさんかも。だってひぃちゃんだけだと、適当なやつから選んで、読んでそうだもん』
私をよく分かっていて、からかってくる。にししっ、と、いたずらっ子のように笑う“彼女”の笑顔を、取り戻す。
切り抜いた文字の大きさと紙の大きさの関係上、1枚の紙に書かれた文章は、そう多くない。
『まぁ、とにかく。次の手紙は来年。ひぃちゃんのお誕生日にでも読んで? もう二度と会えないかもしれない私からの、お誕生日プレゼントってことで』
泣き虫な私を想ってのことでしょう。しんみりとさせることもなく、軽やかに1枚目の手紙を終えた“彼女”。手紙の裏を見ても、封筒を見ても。差出人の名前らしきものはない。
「ふふっ、あなた、一番大切な自分の名前を書き忘れているじゃない……っ」
こうやって異食いの穴の性質の穴を点けるほど賢いのに、ちょっと抜けている。それは“彼女”が常に、自分ではなく他人を第一に想いやっているから。その優しさと強さを、私は確かに尊敬していた。私は“彼女”への敬意を思い出す。
「メイドさん……。次の手紙を、取ってくれる……?」
「――、――――!」
耳の奥で自分の鼓動が鳴っているせいで、音が聞こえない。ぼやける視界で、メイドさんが泣きそうな顔をして首を振っている。……全く、この従者は。私のことを心配し過ぎだわ。
「私は、大丈夫。だから、お願い……! 私は、思い出さなくちゃ。大切な、人のこと……!」
意思を曲げるつもりがない。それに私はまだ大丈夫。そう笑ってみせると、メイドさんが渋々、もう一枚の手紙を取って来てくれる。
――次の誕生日? そんなの、待てるわけ、無いじゃない。
悪いとは思いながらも、私は“彼女”の手がかりを求めて、次の便せんを読んでいく。
『さすがひぃちゃん。ジョブのこともそうだけど、私の言うこと、全然聞いてくれないね』
冒頭、こらえ性のない私を“彼女”がたしなめる。まるで、私が“彼女”の言いつけを守らないことが分かっていたように。
『まぁ、そうだよね。だってひぃちゃん、わたしのこと好きだもんね? お手紙1枚じゃ、不安だったのかな?』
自信満々に。だけど、どうせ書きながら恥ずかしさに身をよじらせて、この文章書いていたのでしょう。なんて思っていたら、案の定。
『……やば、深夜テンションで書いてるから、私、めっちゃキモイこと書いてる』
と、すぐさま照れ隠しをしている。こういうところも、私は愛おしいと思っていたのよね。
『まぁ、でも。ひぃちゃんが私のことを好きだって信じて。この先も手紙を書いていこうと思います。多分内容は、思い出話ばっかりになるだろうけど。忘れっぽいひぃちゃんに、ちゃんと私のこと、覚えていてもらえるようにね♪』
なんて言って、2枚目の便せんも終わる。本当は、忘れっぽいってところを否定したいけれど。事実こうして、“彼女”のことを忘れてしまっているんだもの。きちんと思い出してから、改めてこう言ってやるのよ。
「あなた、私のこと、何も分かってないのね……」
ってね。
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