○『忘れる』でも『思い出せない』のでもなくて

  “彼女”――記憶から消えた召喚者女の子――の手掛かりを求めて、私たちは“彼女”が使っていたと思われる部屋を探索していた。その過程で見つけたのは、机の引き出しの中に入っていた手紙と、大量の小石だった。

 右下から左上にかけて、5×5に並んだ手紙。そして、左上に行くにつれて1つずつ、順に増える重石おもし


「……なに、これ?」


 意味が分からず、私はすぐ横にあるメイドさんの顔に尋ねてみる。


「ふむ……。ある程度、推測は出来ますが、今は下の段も見て行きましょう」


 机の引き出しは3つある。今の手紙と石は、1段目に入っていた物。メイドさんに言われるがまま、私は下の段も見て行く。


「2段目は……勉強道具ね」


 インク、ペンと何も書かれていない紙。他にも、はさみだったり、物を貼りつける時に使うショーリの樹液が入った瓶だったりが入っている。勉強用の手帳らしきものが入っていて中を確認してみたけれど……。


「私の絵や、メイドさんの解説しか書いてないわね」

「なるほど。余白の部分には、“彼女”の文字が書かれていたのでしょう」


 最後に、3段目。そこには、大量の新聞紙が入っていた。ただ、不思議なことに、その新聞紙は無残なほどに切り刻まれている。


「……日々の鬱憤うっぷんを晴らしていた……とか?」

「んふ♪ お嬢様のそばにずっと居らっしゃったのなら、その可能性もありますが――」

「ちょ、それ、どういう意味よ?!」

「――そうでない可能性の方が高いと、私は思っています」


 余計な一言からかいを挟みながら、メイドさんはこの新聞紙についてはきちんと理由があるのではないかと語る。


「で? この新聞紙の意味は?」

「秘密です♪」

「張り倒すわよ?」


 どうしてこう、もったいぶるのかしら、このメイドは。さっさと、素直に教えてくれればいいのに。……まぁ、こういうところも可愛らしくて、好きなのだけれど。


「新聞紙の意味は1段目にあった手紙を読めば分かるはずです。……“彼女”の狙い通りであれば、ですが」

「手紙を読めば? ……だけど」


 私の予想が正しければ、手紙には何も書かれていないのだと思う。これまでもそうだったように“彼女”の存在を示す記憶や記録、記述は全て消えてしまっている。勉強用の手記を見れば、彼女が残した文字すらも残らないことが分かった。


「お嬢様。少し整理しましょうか」

「整理? 机を?」


 私の問いに、メイドさんが白金色の髪を揺らして首を振る。


「まず、お嬢様は“彼女”について何を、どこまで覚えていますか?」


 質問の意図は分からないけれど、意味は分かる。だから、ここは素直に答えておく。


「えぇっと、そうね。声色や、肌触り。匂いも、なんとなく覚えているわ」

「はい。程度の差はあると思われますが、わたくしもそれは覚えています。恐らく、ポトトも、リアも覚えていることでしょう」

「ただ、あの子が何を言ったのか。あの子とどんなことをしたのか。その姿も。全部、思い出せない……いえ。意味が分からない、と言った方が正しいかしら」


 私の頭の中にいる“彼女”はきちんと言葉を話している。姿形も浮かんでいる。だけど、それが意味のあるものとして認識できない、みたいな感じかしら。“彼女”の容姿を言い表す言葉が見つからない。“彼女”の話す言葉の意味を、理解できない。そんな感じだと、メイドさんに話す。


「それも、わたくしと同じですね」


 目を閉じ、立てた指をフリフリ。解説、あるいは自分の考えを整理する時の癖を見せながら、メイドさんが語る。


「つまり、私たちは彼女が居たことを覚えてはいるのです。確証もある。ですが、それを証明するあらゆる物証が消え去っている。文字も、髪の毛の一本すらも、この部屋には存在しません」

「ええ、そうね」


 枕やベッド。床には、髪の毛一本も落ちていなかった。うちのお手伝いさん達は優秀だけれど、それでも髪の毛すら存在しないのは異様だわ。


「ですが、“彼女”が残しているものもあります。例えば、指輪であったり、お嬢様のグラスであったり。目の前にある手紙だってそうです」

「ええ、そうね」


 片目だけ翡翠色の瞳を覗かせて、私が頷いたことを確認したメイドさんは続ける。


「これらのことから察するに、もともとフォルテンシアにあったものは存在したままなのでしょう。……いいえ、この表現は正しくないでしょうか」

「……どういうこと?」

「たとえ小さくとも、何かしら物を消し去ると、世界に多大な影響が出てしまいます。なので、ひょっとするとなのですが……」


 そこで、メイドさんが自身の考えを整理する時間を置くこと3秒ほど。


わたくしたちは『“彼女”にまつわる事象を認識できないようなっているだけ』なのではないでしょうか?」

「認識、出来ない……」


 というと、なにかしら。例えば、勉強用に彼女が使っていただろうこの手記。ここには実際に文字が書かれているけれど、私たちはそれを見えないものとして認識してしまっているということ? もしくは、この部屋には実は髪の毛は落ちているけれど、見落としてしまっていると?

 尋ねた私に、メイドさんが頷いて見せる。


「はい。そうすれば、世界への影響をより少なく、“彼女”の存在を消すことができますから」

「……なるほど。少なくとも、文字や物を消すよりは、まだ現実的に思えるわね」


 異食いの穴の性質が、レベルが下がる時に発生する“記憶の消滅”ではないこと。記憶にもやをかけていることだってことは、ウーラで分かっていた。

 だけど、本当はそれも少しだけ違うのね。正確には記憶にフタがされているんじゃなくて、私たちは認識できなくなっていただけなのではないかと、メイドさんは推測したみたい。


 ――じゃあ、そこに文字があると思って見れば、見えるのかも。


 そう思って手記に目を凝らしてみるけれど、ダメね。そう上手くはいかない。


「だからこそ“彼女”はこの方法を選んだのかもしれません」

「この方法……、あっ、手紙のことね」


 回り道をしたけれど、ようやく手紙に話が戻って来る。


「はい。その手紙は恐らく、新聞の文字を切り取って書かれたものだと推測できます」


 初めて異食いの穴に行った時。中で書いた地図や文字が消えた(あるいは認識できなくされた)ことを、私たちは“彼女”に話したのかも。


「文字、記憶が認識できなくなることを、分かっていたのでしょう。ならば“物”であれば? そう、“彼女”は考えたのかもしれません」

「……と言うと?」

「身体を“物”だと考えるのであれば。疲労は、わたくしたちが動き回った結果、得られた状態だと言うことになります」

「……そう、なるのかしら?」


 確かに。思えば、異食いの穴を出た時、身体についた傷や失ったスキルポイントが元に戻っていることは無かった。疲労していたことを考えても、迷宮内部で起きたことが“無かったこと”になっているわけではなかったはず。


「また、私たちはその疲労した状態を認識できていた、つまり……」


 何らかの手を加えてとある状態にした“物”であれば。その過程は思い出せなくても、結果だけは残り、認識できる可能性があることを示しているのではないか。そして、“彼女”はいち早くその可能性に思い至り、こうして新聞を切り抜いて作った手紙を遺したのではないか。そう、メイドさんは語る。


「そして、今。こうしてわたくしたちは、手紙を認識できている。ということは……」

「新聞の切り抜きを使って作り上げた結果、生まれた“物”である文字の羅列も、読むことができる?」

「かもしれませんね」


 そこは、断言して欲しかったけれど。とりあえず、まだ可能性が残っていること。そして、何より。私たちの仲間だった召喚者の女の子がびっくりするくらい賢いということは分かった。


「でも、どれから読めばいいのかしら?」

「それはもちろん、右下。手前側にある、重石おもしが1つだけの物でしょう。恐らく石の数が、書いた順番、もしくは、読む順番を示しているのでは?」


 言われてみたら、もう、そうにしか思えないから不思議よね。

 ひとまず、引き出しを上から見れば一番右下、引き出しに向かって手前の右側にある手紙を取り出してみる。


「ご、ごくり……」


 表面は、白紙。ただ、裏返した時だった。


 手紙の右下。そこにはメイドさんの予想通り、色も字体も様々な、新聞を切り抜いて書かれた文字の羅列がある。

 恐らく手紙の宛名あてなとして書かれたと思われるその場所には、




『ひ』『ぃ』『ちゃん』『へ』『!』




 そんな文字が、並んでいた。

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