○私は自分が嫌い……大嫌い!
陸に打ち上がった魚のように、暴れ回るリズポン。巨体ゆえに、彼(近づいたから確証を得たわ)が動くたびに
そんなリズポンを背にして私の方に歩いてくるのは、美しい白髪を揺らす少女、リアさんだった。
「スカーレット様」
さっきまでリズポンに食べられそうになっていたというのに。そして、〈ステータス〉も無しにリズポンに深手を負わせたというのに。いつもの無表情のまま、トテトテ歩いてくるリアさん。そんな彼女を、私はひしと抱きしめる。
「リアさん……。リアさん!」
「はい。スカーレット様の、フリステリアです」
リアさんの身体に傷一つないことをしっかりと確認して、私はほっと安堵の息を吐く。そして、改めて、リズポンの方を見遣る。
リアさんの狙いすましたナイフ
――スキルポイントが、残り
荒く息を吐くリズポンが、足元で意識を失っているティティエさんを捕食しようと動く。けれど、その動きもゆったりで。
「させません!」
遠く。サクラさんの治療をしていたシュクルカさんが、持ち前の敏捷性を生かして、ティティエさんを
「ルカの前では、誰も死なせません!」
気迫のこもった声とともに立ち止まった彼女の足元には、ユリュさんの姿もある。ポトトも無事みたいね。攻撃に関するスキルを持たないシュクルカさんだけは、リズポンの討伐ではなく、私たち全員の生存を第一目標として動いてくれていたらしかった。
ティティエさんという餌を奪って行ったシュクルカさんを、恨めしそうに見つめるリズポン。
「〈
念のため、と言うように、シュクルカさんが半透明な黒いドームを作って、ポトトを含めた負傷者全員を護る。
「な、何よ! 来るなら来なさい!」
私がリアさんを背後にかばって虚勢を張ってみると、リズポンが言われた通りヨタヨタとこちらに向けて歩いて来た。……えっ、来るの?! って、当然よね。だって私たち、魔物にとってのご馳走とも言える、ホムンクルスだもの。
『ガルゥ……ガルゥ……』
「リアさん、さっきまでいた穴の所までさがるわよ」
「はい」
2人でリズポンの動きをしっかりと観察しながら、一定の距離を保って後退する。
右後足の
「死滅神様!」
「大丈夫! シュクルカさんはそのままみんなを守っていて!」
遠くで叫んだシュクルカさんに命令をして、ゆっくり、ゆっくりと
「安全策、安全策を……」
職業衝動もあった以上、リズポンは殺さないといけない。となると、リアさんを迷宮の外に逃がして、リズポが隙を見せた瞬間に〈瞬歩〉と〈即死〉。リアさんがアフイーラル達に襲われる前に、異食いの穴を脱出する。これしかないわね。
みんなが死に物狂いでより合わせてくれた勝利への細い糸。それを、私が
――絶対に、失敗は許されない!
だから、今日だけは。今日だけは“やらかし”なんてしていられなくて――。
「あっ」
リズポンの観察、後ろ歩きに、考え事。器用なくせに不器用だと言われ続けた私に、3つのことを同時に出来るはずもない。水で濡れたブーツ。リアさんを護るために全力疾走した足。あと、何気に不眠不休の時間が長くて、実はちょっとだけ眠いこと。緊張。それら色々と、言い訳は出来るけれど、やっぱり、私の
足をもつれさせた私は、
「「きゃぁっ」」
背後にかばっていたリアさんともども、転んでしまった。
リアさんの柔らかな胸のおかげで、頭を打たずに済んだ私。すぐに思考を回転させて、挽回を図る。
――大丈夫! 大丈夫! まだリズポンとの距離はあるし、リアさんを起こす時間はある!
焦らない! そう自分に言い聞かせて、取り急ぎ、リアさんを起こすことにする。
「ごめんなさい、リアさん! 起きて……リアさん?」
「…………」
リアさんが、目を覚まさない。打ち所が悪かったのでしょう。気を失ってしまっているみたいだった。
――…………。…………。ど、どど、どうしよう?!
ちらりと前方を見れば、リズポンが20mくらいの場所まで来ている。リアさんを抱えて逃げる? 朝焼けのナイフを借りてリズポンに立ち向かう? 一か八か〈即死〉を使おうとしてみる?
――けれど、失敗したら?
最悪、私1人だけの命なら、良いの。だけど、もし私が殺されて、食べられて、リズポンが回復するようなことになったら? いいえ、その前に。私が今しくじれば、リアさんも巻き添えを食うことになる。というよりもう、巻き込んでしまっていて……。
――……そっか。
私、何もしていないのね。いいえ、たった1つだけ、私がやっていることがある。それは、みんなの足を引っ張ること。ユリュさんの時も。リアさんの時も。私が余計なことをしたから、2人を危険にさらしてしまった。
――2人だけじゃ、ないじゃない……。
私の命令のせいで動けないシュクルカさん。その足元で寝ている、みんな。彼女たち全員の努力を、私が一瞬で無駄にした。メイドさんの信頼を。ポトトの勇気を。リアさんの奮闘を。ユリュさんの尊敬を。シュクルカさんの慈愛を。そして何よりも、サクラさんの意志を。
――私が行動したせいで、全部、全部……。無駄にした。
涙がこみ上げてくる。泣いている場合じゃ、無いのに。もうすぐそこまでリズポンが来ているというのに。ひとりぼっちになった私は、立つことすらも出来ない。
本当に、自分のダメさ加減が嫌になる。大事なところでいつも失敗してばかり。その不甲斐なさですぐに一杯になって、涙を流してしまう私のちっぽけな心が嫌い。1人だと意識してしまっただけで動けなくなってしまう自分の弱さが、嫌い。すぐに暗い方、暗い方に考えてしまう自分の性格が、嫌い。
みんなに支えられて、守られて。1年も生きたくせに。結局、何一つ成長できなかった自分が、
――大嫌い!
「ぐすっ……。みんな、ごめんなさい……。私の、せいで――」
「泣かないで下さい、レティ!」
不意に、メイドさんの声が聞こえた。……良かった、気が付いたのね。遠くの音を聞く〈聞き耳〉のスキルで状況を把握しているのでしょう。泣いている私を、
「何をメソメソしているのです! あなたは
傷が深くて自分は動けない。けれど声くらいは出せる。そう言いたげなメイドさんの言葉に耳を傾けていれば、自然と、涙が止まっている。
『クルールッルー!』
次に、ポトトの声が、聞こえた。彼女が、私とリアさんを守ろうと一生懸命に駆けて来てくれる。嬉しいし、ありがたいけれど。
「来ないで!」
『クルッ!』
私の叫びにポトトが首を振って、なおもこちらに駆けてくる。もう目と鼻の先と言って良い距離に居るリズポン。彼もちらりとポトトを見たけれど、その目はすぐに、私とリアさんに向けられた。
「どうして止まってくれないの?! あなたを巻き込みたくないのに!」
『クルッ!』
「お願いだらか言うことを聞いて! シュクルカさんと一緒に、サクラさん達を出口まで運ぶの!」
叫ぶ私の足腰が、少しだけ浮く。けれど、そんな私の頭上から、生臭さを帯びた生温かい風が送られてくる。見れば、リズポンが鼻先を寄せて、私とリアさんの位置を匂いで確かめていた。
目の前で開かれる、大きな口。立ち並ぶ牙。糸を引く唾液。リズポンが吐く息は“死”そのものだ。
「ひっ」
私の喉が鳴って、再び腰が抜ける。恐怖でまとまらない思考。震える手足。もう、何も聞こえない。粘り気を帯びたリズポンの舌が私の身体を巻き込む。同時に、左右から迫るリズポンのあご。1058の死を積み上げた私を断罪する鋭い牙が静かに閉じられる。
――あ。私、死ぬのね。
私の視界が、真っ暗になる。飛び散る鮮血。遠のく意識。
意識が暗転する直前、私の名前を呼ぶ、誰かの声が聞こえた気がした。
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