○最弱が牙をむいた日

 最終的には直径40mくらいになっていた水球がリズポンを押しつぶす。骨が砕けるような音がして、リズポンに大きな傷を負わせることができたことだけは分かった。

 けれど、弾けた水球が辺り一帯に巨大な波を生み出して、あらゆるものを押し流していく。当然、リズポンと対峙していたティティエさんも。その背後にいたポトトとリアさん。サクラさんを背負うシュクルカさんも例外じゃない。


「んー……」

『クルックー……!』

「きゃ……」

「馬鹿ユリュ様ー……!」


 気を失っているサクラさん以外の全員が悲鳴を上げながら、散り散りに流されていく。やがてその波は離れた場所に居た私にまで届いて、静かにブーツを濡らした。


「ふんっ、の勝ちですっ!」


 倒れ伏すリズポンの背中の上で、勝利を確信したユリュさんが跳ねている。尾ヒレでリズポンをペシペシと叩いて、一度吹き飛ばされた鬱憤うっぷんを晴らしているみたいだった。

 だけど、私は経験上、知ってるのよね。そういうことをすると、絶対に痛い目を見るの。なんて思っていたら、案の定。


『グルァァァッ!』


 寝ころんだまま遠吠えのようなものをしたリズポンが、飛び跳ねていたユリュさんを前足で振り払う動作を見せた。ただ、私とユリュさんの違いは、反応速度というか、本能的な部分なのかしら。


「〈瞬歩〉」


 スキルでさらっとリズポンの反撃を避けて、私の隣まで移動してくる。こういうちゃっかりしたところは、ユリュさんだなと思わざるを得ないわね。


「見てくれましたか、死滅神様! がアイツにとどめを刺しまし……た……」

「ユリュさん?!」


 紺色の瞳をきらきら輝かせ、褒めて褒めてと催促してくる。けれど、その途中で不意に全身を弛緩させ、倒れた。とっさに伸ばした私の腕が、ぎりぎりでユリュさんを抱きとめる。頭を打たないように慎重に寝かせながら、


 ――リズポンの攻撃を貰った代償……? いいえ、外傷もないし、呼吸も普通。となると……。


 スキルポイント切れ。倒れた原因をそう推測する。あれだけの呪文を使ったんだもの。ちょっとやそっとのスキルポイント消費では無かったでしょう。しかも、毎秒1ずつスキルポイントを持っていくヒズワレアを握っていたり、〈鑑定〉や〈瞬歩〉も使っていた。


「お疲れ様」


 安らかに寝息を立てるユリュさんを見届けた後、立ち上がった私は状況に目を配る。

 ユリュさんの水球のおかげでリズポンは今なお立ち上がれずにいるくらいの大怪我をした。一方で、水球のせいでみんなが散り散りになってしまったのも事実。遠くの方でティティエさんがシュクルカさん達と合流してくれたのは見えている。けれど、一番遠くまで流されたリアさん達が孤立し、さらには迷宮の出口から遠のいてしまった。


 ――もし今リアさん達が襲われたら……。


 なんていう想像が的中するのは、きっと、リズポンも同じ考えをしているから。本能的なものか。あるいは、私たちの動きを見てかは分からない。けれど、誰が一番弱いのか。誰なら簡単に殺して、食べることができるのかを知っているのね。


 ――って、違うわね。リズポンは魔物。つまり、ホムンクルスを優先して狙っている。ただそれだけだわ。


 とにかく、まばたきの間に姿を消したリズポンは、再びリアさん達の目の前へと移動していた。


「リアさん……っ!」


 間に合わないと分かっていても、動き出さずにはいられない。

 ヒズワレアは、口にくわえていたティティエさんの手元にある。一瞬でリアさんの所へ移動できるでしょうけれど、リズポンがリアさんを殺す方が先でしょう。そんなリアさんを守るのは、彼女と同じ場所流されたポトトだった。


『ク クルルゥ……』


 涙目で、それでも黒い翼を大きく広げて、リアさんを守っている。動物である以上、リズポンに敵わないことなんて本能で分かっているでしょう。腕を振り下ろされれば、一思いに潰されてしまうことも。それでも、自分の役割がこうだというようにリズポンの前に立ちふさがって、リアさんを背後にかばっていた。


 ――さすがククル! 最高よ! 格好良いわ!


 少し時間を稼いでくれれば。あるいは、少しでもリズポンの注意を引いてくれれば、ティティエさんが駆けつけられる。私だって、間に合うかもしれない。


 ――お願い、持ちこたえて!


 そんな私にとって都合が良すぎる願いは、当然、叶わない。リズポンが、ポトトに対してひょいと腕を振り下ろす。私でもその動作が見えるようになっているということは、もうリズポンも相当消耗しているのでしょう。けれど、フォルテンシアにおいてステータスは何よりも無常だ。


『ルルゥゥゥー……』


 踏ん張ることすら許されず、ポトトが払いのけられてしまう。ただ、『落ちた先の宝箱』だったのは、リズポンが腕を横なぎにしたこと。そのおかげで、ポトトは潰されずに済んだ。

 分厚い羽毛が衝撃を和らげ、丸い身体のおかげでコロコロと地面を転がってさらに衝撃を殺す。ポトトは無事だ。だけど、もう、リアさんとリズポンとを阻むものは無くなってしまった。

 リズポンまで、あと50m。たったそれだけの距離が、届かない。


『リアたちを、どうか……』


 メイドさんの言葉が蘇る。もし私の〈瞬歩〉が、メイドさんと同じで長距離を移動出来たら。私の手元にヒズワレアがあれば。ティティエさんが、リアさん達の近くに流されていれば。意味のない仮定の話ばかりが、頭に浮かんでは消えて行く。

 リズポンに、余裕は無い。裏を返せば、もう油断は無い。


「ん」

『ガルァッ』


 一か八かで飛び込んだらしいティティエさんを、リズポンが左前足で受け止めた。その際、ヒズワレアがリズポンの左手を貫通して手傷を負わせたけれど、リズポンが気にした様子はない。


「ん、ん……!」


 リズポンの左手に深々と刺さったヒズワレアを抜こうとするティティエさん。でも、努力もむなしくなかなか抜けない。


「……なら」


 ヒズワレアを手放して、リアさんの前に立ちふさがったティティエさん。そんな彼女に、リズポンが右前足を振り下ろす。

 リアさんを守る。強敵を打ち倒す。みなぎる闘志とうしを瞳に宿してリズポンの肉球を真っ向から受け止めた、ティティエさん。


「んんんーーーっ!!!」


 絶対であるはずのステータス差を、意志の力で埋める。お尻と尻尾しか見えないけれど、不思議な光景にリズポンに戸惑ったような雰囲気がある。それでも、拮抗きっこうしたのは一瞬だった。


『ガルァ!』


 鬱陶うっとうしいというようにリズポンが踏み込んだことで、ティティエさんが地面に叩き伏せられる。


『グルル……。グルル……』


 息も絶え絶え。リズポンが、フリステリアというホムンクルス――高純度の魔石――を取り込んで回復を図ろうと顔を上げた時、




 もうそこにリアさんは居なかった。




「……あれ?」


 リアさんが居なくなった?! 私にとっても、想定外の事態。姿を消したリアさんを、私もリズポン同様に首を振って探す。と、すぐに見つかった。リズポンのお腹の下を、トコトコと歩いている。リズポンはまだ、自身のお腹の下に居るリアさんに気付けずにいるみたい。


 ――意識の隙をつくのが上手いとは思っていたけれど、まさかそれが戦闘に活かされる日が来るなんて。


 まるで探し物をしながら散歩でもするように歩いていたリアさんは、やがて。


「あっ、ここですね」


 お目当ての物を見つけたように立ち止まる。そして、いそいそと服の中に手を突っ込んで、首から駆けていた武器――朝焼けのナイフを取り出した。


「ふん……っ!」


 ほんの数秒だけ。たった数秒だけ朝焼けのナイフの力を振るうことができることが分かっているリアさん。いきんでなけなしの魔素をナイフに流し、緋色ひいろに輝かせたかと思うと、


「えいっ」


 可愛らしい声と共に振り下ろした。瞬間、リズポンの後足から、ピンと張った何かが切れるようなバチンという音が鳴る。


『キャォォォーーーン……』


 甲高い声で叫んだリズポンが、もんどりを打って倒れる。その際、危うくリズポンの巨体に押しつぶされそうになったリアさんだけれど、間一髪、スレスレで回避したみたい。つまり……。


「うそ、でしょう……?」


 恐らく、フォルテンシアでたった1人。ステータスも何も持たない、誇張抜きで最弱の少女が。フォルテンシア最強の生物に牙をむいた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る