○side:S・S 異食いの穴にて①

 ひぃちゃん達に見送られて、川を渡ったわたし、千本木桜。川岸に着地して正面を見れば、霧の中からリズポンが姿を見せた。

 捕食者を前に、わたしの手足が本能で震える。冷たくなったように感じる手足を、それでも。根性と、ひぃちゃん達から貰った応援で温める。振り返る余裕なんてないけど、きっと後ろではひぃちゃん達が見えない壁に顔を引っ付けて、わたしを見てくれてるんだろうな。


「ぷふっ」


 透明な壁にあの柔らかいほっぺたを引っ付けてるひぃちゃんを想像すると、なんだか笑えて来る。おかげで、良い感じにリラックスできた。改めてリズポンに目を向けた時、私の手足の震えは止まっていた。


 ――対岸のお花畑。それに、川……。


 ここまでくれば、認めざるを得ない。多分、フォルテンシアは、死後の世界。あるいは、生と死の間にある境界の世界なんだと思う。臨終体験をした人が口々に言う、花畑と川。つまり私の背後にある川は、世に言う「三途の川」なんだと思う。ただ、渡るのに49日もかかるようには見えないから、確証は無いけど。

 わたしがなんでそんなことを言えるのか。そして、わたしがどうしてフォルテンシアに居たのか。察しの良い人……それこそ、雫とかなら分かっちゃうんじゃないかな。わたしがひぃちゃんにしてる、最後の隠し事。ひぃちゃんが何よりも嫌う行動を、わたしがしちゃったことを。


 ――だからわたしは、フォルテンシアの正体を言えない。


 言えば絶対に、じゃあどうしてさくらさんはここに? って、あの純粋ひぃちゃんは聞いてくるから。頭の良いメイドさんなんかは、多分、理解しちゃうから。だからわたしが考えるフォルテンシアの正体は、絶対に、内緒だった。


「ふぅ……」


 小さく息を吐いて、正面を見る。そこには、体高5mほどで、尻尾を除いた体長が10mくらいある大きな狼が居た。ただ、わたしが知ってる狼よりも口が大きくて、歯の数も多い。ぎょろりとした目は、お世辞にも可愛いなんて言えない。

 対するわたしは、白金っていう軽くて硬い金属を布と布の間に仕込んだ、服みたいな鎧を着ている。ハイネックの部分にも白金が使われてるらしくて、お腹と胸、首を守ってくれている。傷に強いレザーのズボンも特注品で、関節部以外には薄い白金の板が仕込まれているらしかった。


 ――ひぃちゃんの仕事着とおんなじような服作るって……。メイドさん、私のこと好きすぎ。


 誰よりも身内に優しいメイドさんの愛を感じながら、私は背中にあるナイフと弓の感触も軽く確かめておく。……正直、使いどころがあるかは、分からないけど。


 ――まずは……。


 ヒズワレアに魔素を流して、リズポンの〈ステータス〉の数値を模倣する。この魔素を流すって作業も【ウィル】とか【ブェナ】を使ってたら、いつの間にかできるようになってたっけ。感覚としては、血を一か所に流そうってする感じ。肌の表面、産毛うぶげが撫でられるようなくすぐったい感触があれば、それが魔素の正体だ。




名前:センボンギサクラ

種族:人間(チキュウ) lv.33  職業:―

体力:621/635(+10)  スキルポイント:183/196(+2)

筋力:103(+1)  敏捷:97(+1)  器用:139(+2)

知力:168(+3)  魔力:123(+2)  幸運:33(+1)

スキル:〈ステータス〉〈環境適応〉〈加護〉〈調理〉〈弓術〉〈剣術〉〈空間把握〉〈意思疎通〉〈苦痛耐性/微小〉




 頭の中に浮かぶステータスが変わるわけじゃないけど、身体があり得ないくらいに軽くなったことだけは分かる。重力なんか、無いみたいだ。


 ――わたしのスキルポイントだと、戦える時間は長くても3分。ゆっくりは、してられない!


 先に動いたのは、わたしだった。ヒズワレアを握りしめたわたしは、全力でリズポンから距離を取る。メイドさんが言ってたように、最初にわたしがしないといけないのはリズポンのステータスに慣れること。そのためには、多少なりとも時間が必要だった。

 けど、早速想定外が発生する。


「は?」


 逃げないと。そう思って踏み込んだせいかな。わたしは、それはもうえげつない速度でもと居た場所から遠ざかっていた。多分、1歩で100mくらい移動してると思う。しかも、直線的な軌道で。

 右手には見えない壁。左手やや後方に、リズポンが迫っている。そして、足元を見れば、川があった。


 ――やばい、足元が悪い!


 水に足を取られれば、当然速度が落ちる。それを分かっているんだろうリズポン。


『グルルルッ!』


 可愛げのない声で鳴いて、ここぞとばかりに距離を詰めてくる。このまま水底を蹴っても攻撃は防げない。だからわたしは、水面を蹴った。

 すると、再びわたしの身体は大きく前進する。背後、わたしが踏みしめた水面は大きな水しぶきを上げていて、運よくリズポンの目くらましになってくれていた。


 ――わたし、水の上を走ってる!


 地球に居たら絶対にありえない現象に、めっちゃテンションが上がるわたし。思わず何歩も水面を走っちゃったけど。


「……常に冷静に!」


 左手、川岸から迫っていたリズポンの前足をかがんで避けた。そのまま水面に足をつける形になっちゃったけど、着地(着水?)の衝撃で足元の水が跳ねあがって、霧になる。同時に、一瞬だけ川底が露出して、踏ん張りの聞く“地面”になった。

 最初は避けるだけのつもりだったけど……。


 ――これなら!


 足元は踏ん張りの聞く地面。頭上にはがら空きのリズポンの右前足。わたしは今がチャンスと判断して、攻勢に出ることにする。


「ふぅっ」


 右手に剣を持ったまま片足で地面を蹴って、身体を地面と水平にしてから一回転。空中にきれいな円形の斬撃を描いて、真上にあったリズポンの右前足をヒズワレアで切りつけた。


『ギャンッ?!』


 多分、高すぎるステータスゆえに人生? 犬生? で初めての反撃を貰ったんだろうリズポン。ぎゃおん、っていうちょっと可愛い悲鳴を漏らして、霧の中に逃げていく。その隙にわたしは岸に上がって、元来た道を引き返すことにした。

 もともと、運動自体は得意な方だ。雫と姉妹だった時も、運動はわたし担当だった。腕を振って足を動かして、跳んで、かがんで。リズポンのステータス上での、あらゆる動きの感覚を把握していく。同時に、右手。リズポンの奇襲を警戒しがてら、霧の中を観察した。


「霧の中、森なんだ……」


 最初に居た場所……ひぃちゃん達に見送られた場所は、ひらけた河原になっていた。でも、その周囲は森になってるみたい。


「視界も悪いし、デアもないから方向感覚も分からない……。でもリズポンは耳も鼻も利くはず。迷い込んだら負けかな」


 逃げられても、むやみに追うこともできないし、地の利は向こうにありそう。

 ステータスへの慣れの次に必要な工程である地形の把握をしながら、全力で走ること、5秒くらい。最初にリズポンと対峙した場所に戻って来たのだった。

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