○side:S・S 異食いの穴にて②
現実にしてたった数十秒。だけど、わたしにとっては余裕で数分以上に感じた、リズポンとの最初の仕合。とりあえず向こうの右前足にけがを負わせたわたしの有利状況から、戦闘は始まった。生まれて初めて受けただろう傷に驚いて、霧深い森の中に一時撤退していったリズポン。その隙に、わたしはひぃちゃん達に見送られた場所――開けた河原へと戻ることにした。
戦いやすさはもちろんだけど、やっぱりひぃちゃん達にはわたしを見ていて欲しい。
――それに、もしもの時にわたし独りなのは、嫌だもんね。
霧深い森の側にある、丸い砂利が転がる川岸を走ること数秒。距離にして数百メートルを引き返したわたしは、戦闘が始まったその場所に戻って来た。もちろん、川の向こうにはわたしを心配そうに見つめているひぃちゃん達の姿があって、口をパクパクさせていた。
必死に口を動かして、応援してくれているらしいひぃちゃん達。でも、私の方にみんなの声は一切届かない。
「ふふ、なに言ってるか分かんないよー!」
わたしも叫び返してみたけど、ぽかんとしてるから聞こえて無さそう。
「音もダメかぁ……」
もう、きっと、ひぃちゃん達の声を聴くことも無いんだろうなぁ。押し寄せて来た寂しさに目をそらすためにもひぃちゃん達に背を向けて、足音がした方に目を向ける。と、右前から血を流すリズポンが姿を見せた。
『ガルルル……』
姿勢を低くして
――そう思うと、もうちょっと大きい怪我をさせたかったな……。
細い所でも太さ50㎝はありそうなリズポンの腕。わたしがつけた傷は、どう見ても軽傷だ。本当は
『強敵相手に狙うのは、大きな一撃じゃなくて小さな手傷です』
思い出すのは、アイリスさんの言葉。異次元の力を持つとはいえ、リズポンも生物だ。狙うのは、失血死。それに手傷を負わせ続ければ相手の動きも鈍くなって、戦いやすくなっていく。
10mくらいの距離を開けながら、にらみ合うわたし達。今度は、リズポンが先に動く。前足で砂利を蹴り上げた後、わたしに向かって突進してきた。
――さすがに、目くらましする知性くらいはあるよね。
圧倒的なステータスで蹴られた小石はさらに細かく砕けて、砂粒みたいになってわたしに迫る。
――これは避けられないやつ。だったら……。
目だけをヒズワレアでガードして、砂粒を受ける。ガードしてないお腹とかに当たって服が所々破けたし、顔にかすり傷くらいは出来ただろうけど、『体力』はほとんど減ってないはず。
それよりも、わたしが避けるべきなのは、目くらましの後に迫っていたリズポンの鋭い爪による
『受けて良い攻撃と、そうでない攻撃。その見極めも、大切です』
とは、メイドさんの言葉だ。……アイリスさんだっけ? まぁ、今はどっちでも良いよね。風切り音よりも早く迫る、リズポンの左前足の攻撃。軌道は、わたしから見て右斜め上から左下……かな? 身を逸らしながら右にサイドステップして避けるのもありだけど、その場合、軌道を読み間違えたら大惨事になる。
「それなら……よっと」
ここは安全策を取って、大きく後ろに飛んで回避した。遅れて聴こえて来た、リズポンの前足が風を切る音と、ちょっとした衝撃波。風圧が、わたしの髪とリズポンの黒い毛をなびかせる。けど、お互いに相手から目線だけは外さない。
――今、攻撃が左手だった……。
最初の2回。わたしを攻撃しようとした時、リズポンは右前足を使っていたはず。でも今回は左手だった。アイリスさんの言った通り、小さいけど、傷がリズポンの動きを制限しているのかも。
――じゃあ、もしかして……。
今度はわたしから仕掛けてみる。狙うのは、怪我をさせたリズポンの右前足がある右側。図体が大きいリズポンは、小さな動作もそれなりに大きな隙になる。だから、あえて無警戒を装って近づいて……。
『ガルォゥッ!』
「ここっ!」
わたしを食い殺そうと、姿勢を低くして顔を突き出した瞬間を狙う。全力で地面を蹴って、一気に加速。音よりも早い速度でリズポンのあごの下をくぐり抜けて、すれ違いざまにまた一太刀。今度は右の後足に小さいながらも斬撃を加える。
『ギャンッ?!』
「まだまだ!」
さっきもそうだったけど、リズポンは痛みに慣れてないらしい。怪我をした瞬間に、身体を硬直させることはさっき確認した。この隙を逃すわけにはいかない。
砂利の上を滑りながら着地して、もう一度リズポンに接近。振り向いて乱雑にわたしを払おうとするリズポンの右前足の攻撃をかいくぐって、今度は左の前足を剣で切りつける。
「んで、もういっちょ!」
駆け抜けざまに左の後足を、と思ったけど。さすがにリズポンが大きく跳び
前回よりもさらに距離を開けて、20m付近に着地したリズポン。わたしも再び剣を構えながら、一息つく。
――案外、やれてる……。
巨体と圧倒的な攻撃範囲を持つリズポンを相手に、小人程度だろうわたしが戦えている。その理由は、多分わたしが、リズポンのステータスを上回っているから。これこそが、メイドさんがわたしに授けてくれた最後の秘策でもある。
わたしには、この世界に来た時から〈加護〉というスキルがある。元のステータスに、一定の値――今は成長して+60――を加算するというもの。これのおかげで、わたしはかなり早い段階でひぃちゃんのステータスを追い抜くことができたし、魔物や動物たちを狩ることが出来ていた。
――で、ヒズワレアは自分のステータスを相手の数値にする。
すると、どうなるか。
『サクラ様は必ず、相手よりも高いステータスを得ることができるのです!』
それはもう完ぺきなドヤ顔で、意気揚々と言ってたメイドさん。あの時のメイドさん、めっちゃ可愛かったなぁ、って言うのは置いといて。つまるところ、わたしがヒズワレアを持つ限り、ステータスで相手に負けることはないってこと。
だからこそ、メイドさんは無理、無茶、無謀の三拍子揃ったこの作戦にゴーサインを出してくれたんだと思う。無茶はそうだけど、少なくとも、無理でも、無謀でもないと、そう言って。
これだけ優位な状況を作ってもらって負けたとなれば、それはもう、わたしの努力不足でしかない。でも、残念なことに、わたしが努力不足にならないように、アイリスさんとメイドさん。そして、励ましという名の監視をしてくれていたひぃちゃんも居る。
「だから、わたしは負けない」
わたしは、傷が増えてさらに動きを鈍くするリズポンへと肉薄した。
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