○漆黒の狩人
「んにゃっ……?」
次に気が付いた時、私は背中から伝わる柔らかな感触に気付いた。続いて、鼻腔をくすぐる草花の香り。むくりと身体を起こして辺りを見回してみれば、そこは、なんとなく見覚えのあるお花畑だった。
見たことがありそうで無い、色とりどりの花々。その少し上に浮かぶのは、淡い光を放つ発光体。花の名前は分からないけれど、親指の爪くらいの大きさの発光体の正体が
「サクラさん達は……」
どこまでも続く花畑。人が居れば気づきそうなものだけど、誰一人として見当たらない。不意に押し寄せて来たひとりぼっちの不安にこぶしを握り締めていると、
「メイドさん、ダメだよぉ……」
すぐ隣から寝言が聞こえて来た。あまりにも近すぎて見落としていたみたいだけど、私のすぐ隣にはきちんとサクラさんが居て、むにゃむにゃと口を動かしていた。……相変わらず、寝言が多い子ね。
「というより、寝言、私じゃなくてメイドさんなのね。……ていっ!」
「はんぎゃっ! なに?! 敵……って、ひぃちゃんじゃん」
「そうよ。メイドさんじゃなくて悪かったわね。ふんだっ」
まったく。夢の中でメイドさんと何をしていたのかしら。本当に、2人の仲の良さには嫉妬せざるを得ないわ。ひとまず立ち上がって、改めて周囲を見てみる。と、振り返った先、私たちの背後にメイドさん達の姿があった。
「ちょ、ひぃちゃん? どしたどした?」
「サクラさんなんか知らない!」
まだ少し寝ぼけているらしいサクラさんを放置して、私はメイドさん達と合流する。
「メイドさん。今、どういう状況?」
「あら、お嬢様。おはようございます。現在はお嬢様の記憶の通り、透明な壁が存在するか。そして川があるのかを確認しておりました」
調査の結果は、どれも私が思い出した記憶を証明するものだったらしい。あらゆる干渉を受け付けない見えない壁と、その向こうにある川と、砂利が目立つ川岸。立ち込めるのは、深い霧。それらが今なお健在であることを、私も自分の目と手で確認した。
「ここが、異食いの穴の最深部なんだ」
人の姿を映さない川の水面を眺めていた時、遅れてやってきたサクラさんが私の隣に並ぶ。すると、どうかしら。ドア枠に踏み込む直前にサクラさんが予言していた通り、彼女の姿だけが水面に映った。
「あはは、これもやっぱりかぁ~……」
「ねぇ、どういうことなの、サクラさん?」
困ったように頬を掻くサクラさんを見上げて説明を求める。
「ひぃちゃん達がこっち側で、わたしがあっち側ってことじゃないかな?」
「もうっ! もっとわかりやすく説明してよ! 私、馬鹿だから、分からないわ……?」
必殺の上目遣いでお願いしてみるけれど、サクラさんがそれ以上の説明をしてくれることは無い。その代わりに、と言うように。
「ねぇ、ひぃちゃん。ここに見えない壁があるんだよね?」
虚空を手でかく仕草をしながら、サクラさんが尋ねてくる。彼女の質問に頷いて、私は土手のギリギリまで歩み寄って見えない壁に触れる。
「ここ。ここから先に、私たちは行けない」
「なるほど。でもわたしは」
私の手のすぐ横に、サクラさんが手を突き出す。すると、まるで壁なんて無いというように、するりと向こう側まで手が伸びた。
「ここが、境界線なんだ……」
「境界線……」
サクラさんが言った言葉が妙にしっくりとくる。この川岸こそが、私たちとサクラさんとを隔てる境界線になるのね。
「そうだ。一応確認しておかないと」
一度手を引っ込めたサクラさんが、
「うん、行ける。人は無理でも、フォルテンシアの物は問題なく透過できそう」
2つ目の懸念だった装備品を持ち込めるのか否かについても確認できた。ただし条件もあるみたいで、例えばサクラさんが川岸に向かって放り投げた草なんかは透過しない。ナイフを投てきして見ても、境界線を作っている見えない壁に阻まれる結果となった。
「あくまでもわたしが装備してるもの限定か」
「〈瞬歩〉で同時に移動できる物、と考えるのが妥当ですね?」
「わっ、メイドさん?! って、やばっ」
「サクラさん?!」
土手は川に向かって緩い斜面になっている。唐突に現れたメイドさんに驚いて体勢を崩したサクラさんが、川に落ちそうになった。こちらに伸ばされたサクラさんの手を、すんでのところで私とメイドさんとで取ることができたから良かったけれど、サクラさんの身体は半分以上が境界線の向こう側に行ってしまっていた。
――もし全身が向こう側に行ってしまっていたら……。
もう戻ってこられなかったかもしれないし、私たちからは何も干渉できなくなってしまうところだった。
「ちょっと! メイドさん!」
「失礼いたしまし――くっ」
何かに気が付いたらしいメイドさんが全力でサクラさんの腕を引く。無事にサクラさんをこちら側に引き戻すことができたけれど、
「「きゃぁっ」」
勢い余って3人まとめて転んでしまった。
「イタタ……。もうっ、メイドさん! さっきから何、よ……」
文句を言おうと目を開いたその場所に、ソレは居た。
ぱっと見は、大きなガルルだった。全身が黒くて長い毛でおおわれていて、大きな尻尾が揺れているのも見える。ただ、お世辞にも可愛いとは言えない。尖った鼻先の下。突き出した口からは鋭い牙が覗いていて、1本1本がまるでナイフのように鋭く尖っている。
そんな歯を見せてよだれを垂らし、血走った目で私たちを見下ろすその姿はまさに、獲物を取り逃がした狩人のそれだ。言われずとも分かる。
「これが、リズポン……」
あのティティエさんをして強者と言わしめた、霧の向こうに居た何者か。そいつが、今まさに、隙だらけだったサクラさんを食べようとしていたのだった。
幸いだったのは、リズポンもこの見えない壁を突破できないらしいということ。恨めしそうに私たちを見つめた後、再び霧の中に姿を消す。その姿見えなくなるまで、誰一人として、呼吸することすらできない。それくらいの存在感を、リズポンという生物は放っていた。
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