○器量が欲しくなった日

 水面に登っていく水泡が、視界をふさぐ。船の上でメイドさんの可愛さを堪能していたその時、不意に、私たちの船がひっくり返る。都合、三度目。私が第2層で見ずに落ちた回数だった。


 確かに全員が気を抜いていたのかもしれない。だけど、誰よりも敵意に敏感なポトトは何の反応も示さなかった。加えて、水中からの刺客なら、ユリュさんが対応したはず。


 ――なのに、どうして……っ!


 またシャーレイの仕業か。そう慌てたのもつかの間だった。水中に落ちた私の身体を、小さな影がさらう。後方に流れていく景色。共通語の「く」の字に折れているだろう私の身体。視界の端では、深い青色の尾ヒレがちらついている。


 ――ユリュさん! 助けてくれたのね!


 私の安心は、だけど、すぐに裏切られる。私を肩に担いだような姿勢のまま加速して、勢いよく水中から飛び出したユリュさん。空中で手放された私の身体は、先端が平べったくなって切り株のようになっていたシロハシラ鉱石に放り投げられた。


「えっ?! ……ふぐぅっ!」


 固いシロハシラ鉱石に頭と身体を強かに打ちつけて、思わず喉が鳴る。そのまま2回3回と回転した私の身体は、シロハシラ鉱石から落ちるギリギリのところで止まった。

 危なかった。そう安堵する暇もない。再び水中からユリュさんが飛び出してきたかと思ったら、


「ぐぇっ……」


 私のお腹の上に着地した。一連の出来事で、私の『体力』が簡単に半分を下回る。しかも危機的状況はまだ続いていたらしい。


「つ か ま え ま し た」


 至近距離で発された言葉。気付けば息がかかる距離にあった、真っ黒な瞳。私は、仲間であるはずのユリュさんに、手足を拘束されていた。

 またいつもの発作か。そう溜息をつきかけた私。でも今日は、なんだかユリュさんの様子が違うように思えた。


「どうしてが頑張っているのに他の人といちゃいちゃするんですかどうしてメイド先輩を抱きしめていたのですかどうしてを見てくれないのですか」


 私を凌駕りょうがするステータスに握られた手首が、きしみを上げる。あと少し力を加えられれば、骨が折れてしまうでしょう。


「ゆ、ユリュさん……? 落ち着いて。く、苦しいし、痛いわ?」


 瞳孔が開き切った真っ黒な瞳で私を見下ろすユリュさんに、正気に戻るよう促す。だけど、私の言葉は届かない。


が悪いんですかが悪い子だから死滅神様はを見てくれないんですかじゃあどれくらい頑張れば良いんですかどれくらい頑張れば、どれくらい頑張れば……」


 不意に、手首を握っていたユリュさんの力が弱まった。どうしたのかとお腹の上に乗る彼女を見てみれば、


 ユリュさんは泣いていた。


 真っ黒な瞳ではない。まるでそこに深い海があるようにも見える紺色の瞳。丸くて、普段は輝きに満ちているその大きな瞳いっぱいに涙を湛えて、私を見ていた。


「教えて下さい……。どれくらい頑張れば、スカーレットお姉ちゃんは、を抱きしめてくれますか? を、見てくれますか?」


 皮膜のついた手で涙を払いながら、苦しそうな顔で私に聞いてくる。


 ――やって、しまった……。


 分かっていたはずだった。分かっていたつもりだった。ユリュさんは、まだまだ子供だって。親元を離れて心細いだろうって、分かっていたはずなのに。間違いなく第2層に来て一番の功労者であるはずの彼女を放って、私はサクラさんにばかり目を向けていた。メイドさんを、抱きしめてしまった。


は、怒られてばかりです。料理も出来ません。お勉強も出来ません。戦いも、メイド先輩にも垂耳たれみみの人にも敵いません。一生懸命、船をくことしか出来ません……」


 ユリュさんが、あふれる涙を何度も自分で払うけれど、それでも言葉と涙は止まらない。


はどうすればいいですか? どうしたら、死滅神様が誇ってくれる従者になれますか……?」


 水に落ちて冷え切った私の身体に、ユリュさんがこぼした涙が落ちる。それは、火傷しそうと思えるくらいに、熱くて。感じた熱が、ユリュさんを泣かせてしまった申し訳なさで固まっていた私の口を、動かしてくれた。


「情けない主人で、ごめんなさいね、ユリュさん……」

「ち、違います。がダメダメだから……。だから死滅神様は、を見てくれない――」

「違う!」


 言って、私は上体を起こしてユリュさんを抱きしめる。反省は後。まずは目の前で「自分は無力だ」と泣いている大切な従者を、抱きしめてあげないと。ちゃんと見ているのだと。愛しているのだと、伝えないと。


「あなたは悪くない。ダメな子じゃない。可愛くて、強くて、頼りになる。私の大切な家族よ」

「うぅ。でも、でもぉ……」

「心配させてしまったのなら、ごめんなさい。不安にさせてしまって、ごめんなさい」


 聴覚が敏感なユリュさん。感情的になって大きな声を出すと、集音器官を痛めてしまう。だから、なるべく冷静に、声を抑えて。それでもちゃんと、想いが届くように。


「ただ、あなたが私の強さを信じてくれているのなら。それと同じくらい、私を……スカーレットを信じて?」


 抱きしめるのをやめて、私はユリュさんの紺色の瞳と目を合わせて、微笑む。


「私は、こうやって。ちゃんと、あなたを見ているから」

「あぅ、あぅ……!」


 美しい紺色の瞳で私を見て。きれいな青色の耳ヒレを立てて、私の言葉を聞いているユリュさん。そんな彼女をもう一度、抱きしめる。


「それでも、もし、また不安になったら、こうやって教えてね? 私は何度でもあなたを見て、抱きしめてあげる」

「ほ、本当……ですか?」

「ええ! 頑張った人には相応の報酬を支払うべきだと、私は思っているもの。私にできることなら、何でもしてあげる」

「な、何でも……。じゃ、じゃあの卵も――」

「それは無理。ごめんなさい」

「あぅ~……」


 それはそれ。これはこれ。その線引きはしておかないとね。にしても、メイドさんについても、ユリュさんについても。まだまだ私は従者たちにきちんと目を向けることが出来ていないみたい。彼女たちを寂しがらせない器量を手に入れる日は、いつになることかしら。


 そうして、ユリュさんの小さな身体を抱きしめること、しばらく。私を抱くユリュさんの力が弱まったところで、私はそっと身を離した。


「……さて。それじゃあ、ユリュさん」


 言った私を、目をしばたかせて可愛らしく見つめているユリュさん。彼女に、私は残念なお知らせをしないといけない。


「まずは、そうね。後ろを見てくれる?」

「後ろ、ですか? 何があるんで――」

「こんにちは、ユリュ」

「――ひぃっ?! め、めめめ、メイド先輩!」


 船がひっくり返ったと同時。〈瞬歩〉を使用して空中に退避したらしいメイドさん。特段濡れた様子もなく、笑顔でユリュさんの背後に立っている。


「あなたの言い分は分かりました。主人に褒めて欲しい。同じ従者として、その気持ちも理解できなくはないです。だからお嬢様への乱暴も、見逃していました」

「あ、う……。ありがとうございます?」

「どういたしまして♪ 〈ステータス〉」


 疑問形のユリュさんの感謝を、メイドさんが笑顔で受け止める。でもすぐにスキルを使用したかと思えば、ユリュさんの首根っこを後ろからガシッと掴んで、片手でひょいと持ち上げた。


「あぅ?! は、離してくださいメイド先輩!」


 宙ぶらりんの状態で、必死に抵抗するユリュさん。尾ヒレがぺしぺしとメイドさんに当たっているけれど、メイドさんの方に気にした様子はない。さっきまで浮かべていた笑顔も無くて、ただ感情を殺したような無表情だけが、そこにあった。


「見なさい、ユリュ」


 メイドさんがユリュさんに示したのは、私たちが居るシロハシラ鉱石の足元。そこには、ひっくり返った船にしがみつくサクラさん、シュクルカさん、リアさん。そして、リアさんの頭の上に座るポトトの姿がある。


「近くに凶暴な魔物もいるかもしれない。にもかかわらず、あなたは私利私欲のために船を転覆させ、仲間を危機にさらしている」

「あ、う……」

「あまつさえ、お嬢様をさらい、傷つけ、甘える……? さすがに限度があるのではないですか?」

「あぅ、あぅ……」


 ユリュさん自身も、悪いと思っているのでしょう。抵抗を止めて、申し訳なさそうに、空中で全身を弛緩しかんさせた。


「巻き添えを食う形になった彼女たちに、やるべきことがあるのではないですか?」

「はい……。ごめんなさい」


 ユリュさんの言葉にサクラさん達がそれぞれ頷いて、今度こそ一件落着。ユリュさんが船を戻して。中にたまった水を呪文で取り除いて、船旅は再開された。思わぬ足止めを食う形にはなったけれど、決して無駄だと思わない。メイドさんに、ユリュさん。大切な従者たちの想いをきちんと確認できたんだもの。

 サクラさんは、大事。だけど、私を支えてくれているのはサクラさんだけじゃない。そのことを改めて胸に刻んで、私は第3層へと続く洞窟へと船を進めた。

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