●異食いの穴にて

○旅立ちの朝

『クックルー!』


 翌日。日付にすると、9月の28日目。ポトトの声でいつになくすっきりと目覚めた私は、自分がサクラさんの抱き枕にされていることに気付く。鼻腔びこうをくすぐる、サクラさんの匂い。彼女の胸に耳を当てれば、ゆっくりと拍動する心臓の音が聞こえる。

 サクラさんがここに居ることを確かめるように。これが最後の別れになっても良いように、私は全身を使って彼女の存在を記憶する。


「んふ♪ いつになく甘えん坊ですね、お嬢様?」

「きゃぁっ?!」


 突然、耳元で聞こえた声に飛び起きてしまう私。悲鳴でサクラさんを起こしてしまったかと思ったけれど、


「しず、く……」


 大切な人の名前を呼んで、微睡まどろんでいる。そんな彼女の目端に、薄っすらと浮かぶ涙。でも、うなされている様子はない。悪い夢でなさそうね。

 ふぅ、と息を吐いてベッドの脇を見遣れば、案の定、そこには黄緑色のワンピースメイド服を来たメイドさんの姿があった。


「め、メイドさん! 驚かせないで! それに、一体いつから……?」


 サクラさんを起こさないよう、小声でメイドさんを睨みつける。彼女のせいで、危うくサクラさんを起こしてしまうところだった。憤慨ふんがいする私に、やっぱりメイドさんが笑顔を崩すことはない。


「お嬢様がサクラ様の胸の感触を確かめていらしたあたりでしょうか」

「なっ?! た、確かめてない! あれはサクラさんの心音を聞くためで――」

「そんなことより、お嬢様。きちんと“お話”は、出来ましたか?」


 さっきまでのお茶らけた笑顔を引っ込めて、真面目な顔で聞いてくるメイドさん。サクラさんの本心を聞くことができたのか。できたのなら、どう思っていたのかを聞かせて欲しい。そう、言外に伝えてくる。

 昨日のことをどこまで話したらいいのか。すぐには判断できなかった私は、


「……そうね。サクラさんはちゃんと、私たちのことを想ってくれていたわ」


 どうにか、その言葉だけを返す。


「お嬢様自身の気持ちは、伝えたのですね?」

「ええ」

「それでもなお、サクラ様は『行く』と。そうおっしゃったのですね?」

「その通りよ」


 頷いた私に、メイドさんも大きく首を縦に振る。


「かしこまりました。それでは、わたくしたちは、わたくしたちに出来ることを致しましょう。まずは……」


 言いながら、メイドさんがまだ眠っているサクラさんに近づいて、


「起きてください、サクラ様。さっさとタントヘ大陸に行きますよ!」

「んぁっ?! さむっ!」


 サクラさんの布団を引っぺがして、強引に起こした。


「め、メイドさん……? おはようございます」

「はい、おはようございます。お嬢様と一緒に、早く下に来てください。朝食が冷めてしまうではありませんか」

「くわぁ~……ふぇ」


 少し寝癖の付いた髪を揺らして大あくびをしているサクラさんを、メイドさんいつもと変わらない様子で急かしている。やがて翡翠色の目は私の方にも向いた。


「お嬢様も。きょとんとしていないで、早く着替えてくださいね」

「え、ええ」


 コクリと頷いた私をみて、鼻を鳴らした彼女は、続いて。部屋の隅、私が準備したカバンの中身をざっと確認し始める。


「まったく、2人して朝寝坊とは、昨夜はさぞお楽しみで……。お嬢様、新しい下着を2枚ほど、追加しておきますね」


 少しだけ着替えの数に不備があったみたい。小さい布をカバンに入れた後、カバンを丸ごと〈収納〉したメイドさん。そのまま「失礼します」と言って、足早に寝室を出て行ってしまった。

 外から鳥たちの声が聞こえる中、わたしとサクラさんとで顔を合わせる。


「……ひぃちゃん、メイドさん怒らせた?」

「そんなことは、無いはずだけど……。あっ、でもサクラさんが起きる前はちゃんと、サクラさんのことを気遣っていたわよ?」


 ぼうっとした瞳で聞いてくるサクラさんに、メイドさんもきちんとサクラさんのことを気にしていたことを伝えておく。


「さっきのぞんざいな態度も、ひねくれ者のメイドさんなりの愛情表現で――」

「大丈夫。知ってるよ、ひぃちゃん」


 まだ寝ぼけているのかしら。サクラさんが、ベッドの端に腰掛ける私に後ろから抱き着いてきた。


「どれくらい一緒に居たと思ってるの? メイドさんがどんな人かくらい、知ってる」

「……そう、よね」

「そうだよ」


 1つ1つ。お互いの言葉を確かめるように言葉を交わす。そのまましばらく、無言のまま私を抱いていたサクラさんだったけれど、


「よし、充電完了。着替えよっか」


 そう言ったサクラさんが私に抱き着くのを止めたことで、2人して着替えを始めることにした。ついでに、着替えはさっき、メイドさんが置いていってくれている。抜け目ない所も相変わらずな、メイドさんだった。

 堂々と着替える私の横で、こちらに背を向けて着替えをしているサクラさん。上下淡いピンク色の下着の位置を整えて、肌着を着て、あとは服を着るだけ。そんな時に。


「何なら、わたしの方がひぃちゃんよりメイドさんのこと知ってるんじゃない?」


 サクラさんがそんなことを言い出した。さっきまでしていた、メイドさんの性格を理解しているという話を思い出したのでしょう。一緒に居た時間が、サクラさんとメイドさんの間にも絆を作ってくれている。その事実を嬉しく思う反面、


 ――世界の誰よりもメイドさんを愛している私より、サクラさんの方がメイドさんを理解している……ですって?


 私としては、聞き流せない発言だった。


「は? それは無いわ。私の方がメイドさんのこと、理解しているに決まってるじゃない」

「ほんとかなぁ? じゃあ好きな食べ物は? 好きな色は? お誕生日は?」


 試すような目をこちらに向けて、だけど私がまだブラをつけていなかったからでしょう。すぐに目を逸らしたサクラさん。そんな彼女に、私は順に回答してみせる。


「好きな食べ物は、実はポトトのお肉。好きな色は黒色と黄緑色……じゃないのよね。下着から分かるけれど、実は深めの赤色よ。お誕生日は、12月24日。絶対に忘れないわ」

「や、やるなぁ。んじゃ、実は本人が気にしてるほくろの場所は?」

「ほくろの場所?!」


 え、メイドさんにほくろなんてあったかしら? お風呂の時にまじまじと見るのははばかられて、そんなこと、気にしたことも無かった。


「あれぇ、分からないの~?」

「くぅっ……。ま、まぁ? 私はサクラさんみたいにむっつりさんじゃないし、他人の身体をじろじろ見ないから分からなくて当然よ」

「分からなんだ~? ん~? 大事な従者のこと、知らないんだ~?」


 お互いに、たくさん動くことを想定した動きやすい格好に着替えて、にらみ合う。けれど、不意に、肩の力が抜けてしまった。


「……私たち、何を言い合っているのかしら?」

「あはは、そうだね。そう言えば、言い忘れてたんだけどさ」

「何? もう『人を殺した』なんていう爆弾発言はこりごりよ?」


 肩をすくめる私に向き直って、サクラさんは笑顔を見せる。


「おはよう、ひぃちゃん!」


 新しい1日の始まりを告げる大切な挨拶あいさつを、彼女らしい快活さを持って、元気いっぱいでしてくれる。朝日が差し込む窓を背にして、どこか吹っ切れたような笑顔を見せたサクラさん。冬を越え、雪の下から芽吹いた花が花開いたような、生命力に満ちた表情。


 ――なんてきれいな人なのかしら……。


 自然と私の頬は熱くなって、だけど、見惚れてしまったことがばれないように。


「ええ、おはよう、サクラさん!」


 私たちは新しい朝を迎える。目指すはタントヘ大陸。大迷宮第3層にある“異食いの穴”。そこに、わたしとサクラさんとの運命が待っている。

 この日のうちに大迷宮へと〈転移〉した私たちは、早々に宿を取って、第2層へと向かうことになった。

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