○side:S・S チキュウにて①

 わたし、千本木せんぼんぎさくらには幼馴染が居た。名前は、雨色あましきしずく。長い黒髪と、ちょっと吊り上がった目元。でも人相が悪いって言うほどでもなくて、どちらかと言えば「凛とした」。そんな言葉が似合う、きれいな女の子。雰囲気だけで言えば、そう。ひぃちゃんとよく似ている。

 けど、ひぃちゃんほどお転婆でもなければ、抜けてもいない。まさに真相の令嬢と呼べる、そんな幼馴染だった。


 雫との出会いは、正直、はっきりと思い出せない。高層マンションのお隣同士で、同じ保育園に通ってて、どっちとも片親で、親同士も仲が良かった。だからって言うと変かもだけど、気付けばわたしの隣に雫は居た。保育園でも、小学校でも、家に帰っても、いつも一緒。

 だから、小学校3年生になったある日。


「お母さん達、結婚することにしたの! だから、雫ちゃんは今日から桜の妹ね!」


 そう言ったわたしのお母さんが雫のお父さんと結婚して、雫が義理の妹になった時も。


「へぇ~、そうなんだ!」


 そんな風に、自分でもびっくりするくらいあっさりと、雫たちの家族と一緒の生活を受け入れられた。


「よろしくね、雫!」

「……うん、わたしの方こそよろしくね、桜」


 こうして「お隣同士」から「家族」として、雫との関係が始まった。でも、やっぱり、わたし達は何も変わらなかったように思う。っといたら引きこもる雫を遊びに連れ出して。テストのときは頭が良い雫がわたしに勉強を教えてくれて。そうやって、お互いにうまくバランスを取りながら、本当に何気ない生活を送っていた。


 中学に行っても、わたし達の関係は変わらなかった。わたしは普通に大きくなって、普通に色んな子と仲良くなって。そのせいで、学校ではちょっとだけ雫と話す機会は減ったけど、家に帰れば雫ともよく話す。

 もともときれいだった雫は一段と美人さんになって、まさに「我が道を行く!」って言うその姿は“高嶺の花”。1人になったり、ハブられたりするのが怖くて、周りに意見を合わせて愛想笑いを振りまく私とは大違い。


「ごめん、興味ない」

「あ、それなら私がやっておく」

「ふふっ、それなら、わたしも興味あるかも」


 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。自分の意見をハッキリ口にして、なのにその意見を嫌味に取られず、周囲が受け止めてしまう空気感を持つ。そんな雫の姿を、わたしは格好いいと思っていた。妹に憧れる姉なんて、情けない話だよね。


 でも、完ぺき超人な義理の妹である雫にも、可愛い所があった。それは、彼女の部屋を見ればよく分かる。可愛い女の子のフィギュアやぬいぐるみ。女性アイドルグループのポスター。独特なセンスを持つアニマルのグッズ。雫は、可愛い物に目が無かった。しかも、ストライクゾーンが滅茶苦茶広い。


「桜、これ、すごく面白いの」

「この子、可愛くない? ラブキュアのアカリたん」

「この土偶。マヌケな顔が良いのよね」


 モデル顔負けの美人な顔で、美少女やグッズについて熱く語る雫。そのギャップが可笑しくて、何回笑ったか分からない。世に言うオタク趣味が、雫の裏の顔だった。学校で人と話さないのも、実は緊張して、人との話し方が分からなくなるから。ただの不器用さんっていのが、わたしだけが知る「雨色雫」。

 熱心な雫の布教活動のおかげせいで、わたしもニチアサ魔法少女が好きになったり、そっち方面の用語に詳しくなっちゃったりもした。


「学校でカバンにアクキー着けてる子がいたの。どうやったらあの子と話せると思う?」


 ある日、指をもじもじさせて、人との接し方について聞いてきた雫。この子が話しかけるだけで男女関わらず誰もが喜ぶはず。雫なら「ねぇ」とそう言うだけで、自然と人が寄ってくるだろう。……人に合わせないとやっていけない。臆病なわたしと違って。


「どうだろ……。わたしも理解あるからこそわかるけど、こういう趣味って、隠したいって思ってるんじゃないかな?」


 社会的な雫のイメージ的に。わたしは口にできる上っ面の言葉を吐く。独占欲。支配欲。劣等感。自分の中に確かにある雫への暗い感情は、見ないふり。


「で、でも、目立つ場所にアクキーをつけてるってことはあの子は多分、隠すつもりは――」

「それより! この前雫が言ってた『ラブッとラブキュア』のおーぶいえー? ってやつ。わたしは見たいなぁ、雫と」

「『OVA』……オリジナルビデオアニメよ、桜。ちょっと待ってて、すぐに観賞用のやつ出すから。全部で3話あるんだけど、1話目にリンゴたんの新衣装があってそれがまたエロ可愛くて――」


 本当に雫は、可愛いチョロい。さっきまでしていたアクキー……アクリルキーホルダーのことなんてすっかり忘れちゃって。聞いても無いのにペラペラと話しながらOVAとやらを探しだした妹を、わたしは笑顔で見下みくだしていた。


 高校受験。わたしは必死に勉強して、雫と同じ進学校に行こうと思った。別に、大した理由なんてない。ただ雫がそこに行くと言ったから、言ってしまえばノリで、わたしはその高校を目指した。だからかもしれないけど結果は、惨敗。わたしは、滑り止めとして受けていた、志望校よりも2ランクぐらい下の学校に行くことになった。

 一方で、雫は余裕で合格。自宅で当落を確認した時の気まずさは、尋常じゃなかったことを覚えている。


「あ、あはは~……。雫と、離れ離れになっちゃった」

「……うん、そうね」

「な、なんか、ごめん」


 保育園からずっと一緒だった雫と、離れ離れになる。残念なはずなのに、どうしてだか、その時の私はホッとしてしまったことをよく覚えている。その理由に気づかないふりをしたまま、どこか晴れやかな気持ちで、わたしは春休みを過ごしていた。


 そうして初めて、雫が居ない学校生活への期待を胸に、迎えた高校の始業式。


「桜」


 背後からわたしを呼ぶ声がある。


 ――そんなわけない。


 きっと幻聴だ。そう思って振り返って見てみれば、そこには、私が通う予定の学校と同じ制服を着た、雫の姿があった。春の風が、散り行く桜の花びらと、雫の美しい黒髪を舞い上がらせる。


「しず、く……?」


 なおも聞き間違い。あるいは見間違いであることに賭けて、わたしは雫の名前を呼ぶ。けれど、わたしの望みは叶わない。


「ふふっ、良かったわね、桜。雫ちゃんも、一緒の学校に来てくれるって」


 わたしの隣に立つお母さんが。


「桜ちゃん。高校でもどうか、この子をよろしく」


 雫の隣に立つお父さんが。そして、他でもない、雫自身が。


「高校でもよろしくね、桜」


 髪をかき上げて、わたしに微笑みかける。きっと、わたし以外が仕組んだ、サプライズだったのだろう。そして、驚かせるという意味では、その試みは成功してる。


「そん、な……。うそ……っ」

「うふふ、泣くほど喜ぶなんて。桜もまだまだ子供ね。雫ちゃん達に、ありがとうって言わないとね」


 そう言って、お母さんが私の頭を撫でてくる。……あぁ、良かった。思わずあふれてしまった涙を、お母さん達が勘違いしてくれて。これまでずっと、わたしが良い子を演じて来られた証だ。


「桜。ほら、一緒に行きましょう?」


 太陽を背に、雫が私に手を差し出してくる。細くて長くて、しなやかな指。ついには手のシワすらも、整って見えてしまう。もう、雫を構成するすべてが羨ましく思えてしまっている。そんな自分に気付いた時。


 わたしの中で、ついに“何か”が壊れた気がした。


「……あは、あははは、あはははは!」


 自分でもおかしいと分かっているのに、どうしてだか笑ってしまう。そんな私を、両親と雫が眉をひそめて見つめている。少しして、雫が代表するように聞いて来た。


「桜? 大丈夫?」

「うん、大丈夫! これからも頑張ろうね、雫!」

「頑張る……? うん、よろしくね、桜」


 こうして始まった高校生活。わたしと雫の関係は変わらない。……そんなはず、無かった。ううん、実際には、わたしが変えてしまった。


 きっかけは、わたしが弓道部の先輩だった男子生徒と仲良くなってしまったこと。弓道部の主将でもあるその人は背も高くて、イケメン。気さくで、誠実。なのに、彼女が居たことがない。冗談半分で七不思議って言われるくらいには、有名人だったらしい。

 変化はすぐに分かった。部活に行った時、昨日まで仲良かった子たちが目を合わせてくれなくなった。ただ1人、先輩を除いて。


「なぁ、千本木」


 事あるごとに名前を呼んでは、わたしに構ってくる先輩。矢取り――的に刺さった矢を取る時間――の時も、私と先輩とだけが話していて、他の子たちは遠巻きにそれを見ている。その雰囲気は少ししてクラス全体にまで広がっていて、学校内でわたしが1人で居る時間が明らかに増えた。

 でも、いつもってわけじゃない。わたしが遠巻きにされるのは、先輩が近くに居る時だけ。みんなの行動が、わたしと先輩とをくっつけようとする、お節介だったんだと察した頃には、


「千本木、俺と付き合ってくれ」


 わたしは、告白されてしまっていた。でも、わたしには全然その気なんてなくて。好きでもない人と付き合うのは、違う気がした。だから、断った。……断って、しまった。

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