○side:S・S チキュウにて②
※学校にまつわる暗い話(「いじめ」を想起させる内容)に関する描写が含まれます。苦手な方は読み飛ばしてください。
「千本木、俺と付き合ってくれ」
学校の有名人でもあった、弓道部の先輩からの告白。みんながみんな、先輩との仲を取り持とうとしていた。引っ付けようとしていた。そこには悪意なんて1つも無くて、ただ純粋に、わたし達の幸せを願ってくれていたんだと思う。
――でも、そこに千本木桜の意思は存在していなかった。
今なら分かる。わたしは、幼かった。誠実であろうとした。その時だけは空気を読まず、きちんと、自分の想いを伝えるべきだと思ってしまった。だから、
「ごめんなさい、先輩」
先輩からの告白を、断ってしまった。その翌日からだった。「せっかくお
「ねぇねぇ、
「あ、桜ちゃん。うん、それは……こうだね。それじゃ」
「え……」
仲良いと思ってた子が、まるで
次に教室を包んだのは、わたしにならいたずらをしても良いという空気。そして、その空気に乗らないといけないという、本当に嫌な感じの空気だった。
テレビとかで見る、あからさまなものじゃない。ただ、日常のほんの少しのこと。例えば、前の子が背伸びをしてわたしが板書を書き写すのをあえて遅らせて、授業が終わり次第すぐに板書を消したり。クラスのグループでわたしだけが居ないグループが出来ていたり。部活に行っても、わたしが
「ふぃ~~~~~~……」
家に帰ってすぐ、ベッドに飛び込まなければならないくらいには、わたしは参っていた。そんな私の救いだったのが、我が道を行くことで知られる最強美少女、雫だ。不器用な雫に、空気を察するなんてこと、出来ない。ううん、雫の場合、空気を読まなくても良い。この子には、そこに居るだけで人を惹きつける、天性の才能があるから。
「桜。そろそろ新しいアニメのクールが……」
今日も口を開けば、この子が可愛い、これが面白い、見て、の3単語。本当に普段と変わりなく、わたしと接してくる。家でも、学校でも。わたしが雫にどれだけ暗い想いを抱えているのかなんて、関係ないと言うように。
「桜」
「ねぇ、桜」
「聞いて」
そう言って、わたしに話しかけてくる。かつては羨ましくて、
――なのに、わたしは……。
自分勝手な想いで雫に嫉妬して、遠ざけようとして。1人で居られるほど、強い人間じゃないくせに。
「ごめんね、雫……」
「え、急にどうしたの?」
「ううん。それから、ありがとう」
「いや、本当に何? 大丈夫?」
この時、雫に憧れてしまったこと。敵わないと、そう思って、
空気と言うのは、目に見えなくて。だけど、意外と肌で感じることは出来る。それが自分に向けられている物なら、ことさら敏感に。だからこそ、ある日から、わたしの周囲を包んでいた嫌な空気が消え去ったこともすぐに分かった。
「「桜ちゃん、おはよう!」」
冬休み明け。空気に敏感な人たちは手のひらを返したように近寄って来る。中には謝罪の言葉を口にする子もいて、今度は「千本木桜には優しくしましょう」と言う生温かい空気感が出来上がっているのだ。この時ほど、言葉の薄っぺらさを感じたことはない。……でも、わたしは、遠巻きにしていた子たちを責めることができるほど、強い人間じゃない。「許してくれるよね?」っていう雰囲気を察して、その通りに振舞うだけだ。
「おはよう、カオ、栞!」
わたしも、もう二度と失敗しないように、空気を読む。ちょっとした“からかい”はあったけど、気にしていない。そう思っているのだと、言動で示す。
――これで、良い。
これで、元通り。精神面が大きく左右する弓道においても成績はみるみる良くなって、それがまた成功体験になって、気持ち良くて。ほんの少し前までの暗い気持ちなんて、どこへやら。むしろ苦しかった毎日をばねにして、3学期は全力で最強ブランド“女子高生”を楽しんだ。
「
「…………」
「雫?」
「あ、うん。そうね、確かあそこにはアニメの聖地もあったはず。一緒に行きたいわ」
「また出た、オタク話」
春休み。両親がラブラブデートに出かけて、わたしと雫、2人きりの家。一緒にカレーを食べる雫は、心ここに在らず、みたいな様子を見せる。別に珍しくはないんだけど、その日はなんとなく、雫の様子がおかしく見えた。
「……雫、どうかした?」
「何が?」
尋ねたわたしを上目遣いに見る、吊り上がった目元。見る人を引き寄せる真っ黒な瞳にわたしも吸い込まれ、しばらく見つめ合う。やがて雫の方が目線を切ったことで、ようやくわたしは見惚れていたのだと気づいた。
「あ、ううん、なんとなく」
「ふふっ、変な桜」
声を上ずらせたわたしを見て微笑む雫は、いつもと変わらない。
――そうだよ、雫は強いんだもん。わたしなんかが気にすることじゃない。
それに雫なら、どんな悩みだってケロッとしながら1人で乗り越えてそう。でも、一応。
「もし困ったことがあったら言ってよ? これでもわたし、雫のお姉ちゃんだから!」
「ふふっ、そう。じゃあその時は頼りにさせてもらうわ、桜お姉ちゃん?」
なかなかお姉ちゃんらしいことをしてあげられないわたし。もし、雫が困っているなら、その時こそ、わたしが助けてあげないと。
――この時の私は、雫の“強さ”を見誤っていた。
私が思っているよりも、ずっと、ずっと、雫は強かった。それこそ、3学期が始まってからずっと続いていたいじめを、簡単に受け止めてしまうくらいに。
振り返ってみればおかしなことは多かった。部活に行く途中、なぜかジャージ姿で下校する雫を見かけたり。「桜と買い物がしたい」と、そう言って勉強道具や上履きを買いに行く頻度が増えたり。今までは晩ごはんの後にお風呂に入ってたのに、わたしが部活から帰ったらもう、雫がお風呂を済ませてしまっていたり。近所のスーパー温泉に行く機会も無くなって、2人でお風呂に入る時間も無くなった。
――でも、雫に憧れていた鈍感なわたしは、その変化をあっさりと見逃していた。
そう。雫は、強すぎたんだ。だから、高校2年生になって、クラスが変わってもなお続いた陰湿ないじめも、平然と受け止めていたらしい。全然気にした様子がない雫の態度に、エスカレートしていくいじめ。特に、雫は外見が良いから良くも悪くも目立った。これまでは持ち前のカリスマ性で抑え込んでいた
高嶺の花は、お高く留まったやつ、に。孤高の存在は、孤独な存在に変わっていく。後で分かったことだけど、いじめも、それこそテレビで見るようなものとそん色ないことが行なわれていたらしい。それでも雫は、涼しい顔で受け流した。それこそ、わたしにも、周囲にも気付かせないくらいの強さを持って、平然と。
いじめていた側としては、面白くなかったと思う。だって、どれだけやっても雫はあのきれいな顔を変えないから。卑屈な気持ちを抱えた人にとって「雨色雫」と言う存在は、猛毒なのだ。わたしも同じ気持ちを抱えていたから、いじめっ子たちの気持ちが少しだけだけど、分かる。
どうすれば、雫を苦しめられるのか。どうすれば、あの涼しい顔をゆがませることができるのか。きっと、あらゆる方法を考えたに違いない。考えて、実行して、それでも雫は揺るがない。気にしない。もっと何かできないか。もっと苦痛を与えられないか。考えて、考えて、考えた、その結果が、
通過電車が迫りくる中での、線路への突き飛ばしだった。
嘘か本当か、突き飛ばしをした女子生徒は、ヒヤッとさせるだけのつもりだったらしい。ただ、実は隠れ引きこもりオタクの雫の身体は、女子生徒が思っていたよりもずっと、軽かったに違いない。
何をされても自分を守り切る強さを持っていた雫。だけど雫の強さは精神面での話。身体は、そうじゃない。細くて、色白な、いわゆるもやしっ子。なのにちゃんと柔らかさを持っている。そんな“普通の女の子”の身体でしかない。
凄まじい速度と質量を持つ電車から身を守る強さなど、持っているはずがなかった。
弓道部の顧問の先生から連絡が来て、病院に駆けつけた時には、わたしが知っている雫はもう、居なかった。雫だった何かが、そこにはあった。
「これ、が、雫……?」
にわかには信じられないわたしに、両親が、お医者さんから受け取ったって言う血だらけの学生証を見せてくれる。そこには確かに「雨色雫」と言う名前と、わたしと一緒に渋谷で撮ったプリが挟まっていた。
他にも、去年の冬休みからわたしとお揃いで着けていた「モモたん」のアクキーが付いた学生カバン。画面がバキバキになった携帯電話。わたしが知ってる暗証番号で開いて、ホーム画面には雫自身の推しのキャラが表示される。全てが、目の前のソレが雨色雫であることを伝えてくる。どう見ても死んでしまっている彼女が、わたしの大切な妹であることを教えてくる。この時になってようやく、わたしは自分が犯した過ちに気付いた。
「わ、わたしが、馬鹿だったから……。わたしが、雫を、殺しちゃった……」
この約1か月後だったはずだ。わたし、センボンギサクラは、フォルテンシアに迷い込むことになった。
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