○成長の証明

 そうして、鍛錬の日々が過ぎること、合わせて1週間。特別講師アイリスさんによる剣の講習が無事に(?)修了した。

 9月の26日目のお昼過ぎ。演説広場に停泊している飛空艇ミュゼアを前に、アイリスさんと別れのあいさつを交わす。今日は私もアイリスさんもドレスにヒール姿。私が黒で、アイリスさんが青を基調とした服装だった。


「今回は来てくれてありがとう、アイリスさん! 本当に、助かったわ!」

「うふふ! いいえ、こちらこそ友達に『お呼ばれ』されて嬉しかったです、スカーレットちゃん」

「それなら良かった。……次は『お泊り』をして行ってね?」


 今回の滞在は、ウル王国としてはあくまでも“公務”だった。アイリスさんも夜には飛空艇に戻って、翌朝に邸宅に来る。そんな日程だったから、彼女と寝床を共にすることは無かった。だから、いつかこの邸宅でも一緒に寝間着で語り合う。そんな夢を言った私に、アイリスさんは「必ず」と頷いてくれた。


「あっ。それと、例の件。くれぐれも忘れないで下さいね」

「例の件……? あぁ、“異食いの穴”の条件のことね」


 前回、パリの収穫の時にした約束通り、アイリスさんは“異食いの穴”についての情報をさらに調べてくれていた。具体的には、数少ない、異食いの穴から帰って来た召喚者たちについて。彼ら彼女らの、とある共通点を、アイリスさんは教えてくれていたの。それは……。


「1年以内、だったわよね?」

「はい」


 確認した私に、アイリスさんが固い表情で頷く。同じく広場に見送りに来たサクラさんをちらりと見遣った彼女は、私の耳に口を寄せた。


「帰って来た召喚者たちはみんな、フォルテンシアに来て1年以上経っていた人々。裏を返せば、フォルテンシアに来て1年未満の人しか、スカーレットちゃんの言う透明な壁を越えられないのかもしれません」


 どうしてそんな条件があるのか。その条件が意味するものは何なのか。私にはてんで見当もつかない。だけど、もしサクラさんをチキュウに帰そうとするのなら、彼女と出会った日――10月の20日目までにリズポンを倒さないといけないということになる。

 そして、異食いの穴がある第3層まで行くのに前回1か月を要したことを考えると、早々にイーラをつ必要があった。


「……気を付けておくわね」

「大丈夫かなぁ。スカーレットちゃん、ちょっとおっちょこちょいなところがありますから」


 頬に手を当てて、困ったように笑うアイリスさん。……うぅ、この辺りはまだ、信用されてないのね。まぁ、ついこの間、メイドさんにお説教をされているところを見られているわけだし、信用してと言うのも無理な話かしら。

 いつか私もメイドさんのように、アイリスさんに「スカーレットちゃんなら大丈夫!」と言われるくらいになってみせるんだから! 私はそう心の中で息巻いて、こぶしを握った。


「それと、サクラちゃんが本当にチキュウに帰りたいのか。大迷宮に向かう前に、これはきちんと確認してあげてくださいね」

「……え? どうして? 家族や友人の所に帰りたいって思うのは当然じゃないの?」


 耳打ちを止めて姿勢を正し、海をほうふつとさせる青い瞳で私を見るアイリスさん。


「サクラちゃんにとってはもう、スカーレットちゃん達も家族同然だと。私の目にはそう見えますけど?」


 そう言って、私に微笑みかけるアイリスさん。確かに彼女の言う通り、サクラさんは私たちを大切にしてくれている。だけど、数十年を共にしている家族やシズクさんとのつながりの大切さとは、比べるまでもない。それに、帰りたいと願っているから、サクラさんは覚悟を持ってリズポンに挑もうとしているのでしょう?


 ――そうでないと、自分から傷つこうなんて思えないはず。


 もしそうじゃ無ければ……。もし、サクラさんが別にチキュウに帰りたいわけでもないのにリズポンに挑もうとしているのなら。本当に、サクラさんはただ自傷行為をしようとしているだけになってしまう。だけど、私の知るセンボンギサクラさんは、そんなことをする人じゃない。自分も、他人も。両方を大切にできる、愛情深い人だ。


「大丈夫よ。サクラさんはちゃんと、チキュウに帰りたいと思っているはず。それに彼女のことだもの。私が聞いても、本当のことは言ってくれないわ」

「本当のこと、ですか?」


 これも前に考えたことだけれど、サクラさんは優しい人だもの。私が頼りないせいで、チキュウに帰りたいって気持ちを素直に言えないことだって十分に考えられる。だからもしサクラさんが「チキュウに帰りたくない」と言っても、それを額面通りに受け取ることは出来ない。そのことを、私はアイリスさんにかいつまんで説明してみせる。……とはいえ。


「でも、そうね。今なら……」


 私はいま一度、サクラさんの真意を尋ねることについて考える。

 何も、言葉だけが想いを伝える全てじゃない。表情。仕草。声の抑揚。その全てが、相手に想いを伝える手段になる。そのことを、私はこれまでの旅でたくさん学んできた。今の私なら、言葉の裏に隠されたサクラさんの本心を、見抜くことができるかもしれない。


 ――いいえ。見抜かないといけないの。


 私たちに見捨てられることを恐れて、言いたいことを言えない。そんな悩みを抱えていたサクラさんを見抜けなかった、あの時の私とは違う。センボンギサクラさんという人を全然知ろうとせず、ただ甘えていた自分とも違う。

 私が成長している、成長できるのだと。少なくとも、変わっているのだと。今も自害せずに背後に居てくれるメイドさんが教えてくれた。だから、今度はサクラさんにも示さないと。


 ――私とサクラさん。2人が一緒に居た時間にも、意味があった。あなたと一緒に辿った旅路が、私を成長させてくれたのだって。


 そうして、私が守られてばかりの不甲斐ない存在じゃ無いこと、強くなったことを証明できれば。サクラさんが私を信じて、本心を明かしてくれるかもしれないもの。だから。


「今なら……いいえ、今だから、聞くべきなんだわ」

「――っ! はい、その通りです!」


 私の決断に、我が事のように手を叩いて同意するアイリスさん。思わず出てしまったらしい彼女の大きな声に、観衆が何事かといぶかしむ。すぐに口を押さえて苦笑したアイリスさんは、咳ばらいを1つして続けた。


「スカーレットちゃんと、センボンギサクラちゃん。私の大切なお友達2人には、絶対に、幸せになって欲しいんです」


 目を閉じて、胸元で両手をぎゅっと握って。アイリスさんが、私たちの幸せを願ってくれる。やがて目を開いた彼女は、笑った。まるで、そこに幸せな未来があると、知っているように。


「だからお互い、後悔のない選択ができるように。きちんと話し合ってくださいね!」


 一片の曇りもなく、私に微笑みかけてくれる。本当に、この人が友人であることを誇りに思う。一体どれくらいの人が、ここまで親身に人のことを想えるのかしら。


「アイリスさん……! ええ、必ず!」

「うふふっ! 約束ですよ?」

「ええ。死滅神の名に誓って。絶対に、サクラさんから本心を聞き出して見せるから」

「はい!」


 私の返事に大きく頷いたアイリスさんが、ヒールを鳴らして私から距離を取る。そして、風に揺れるスカートの裾をつまんで、膝を折った。


「それでは、死滅神様。ご機嫌よう。今後も貴殿のご健勝とご活躍を、心よりお祈り申し上げております」


 かしこまったアイリスさんの別れに、私もならう。胸に右手を置いて、もう片方の手でスカートをつまむ。


「ええ、ご機嫌よう、アイリスさん。……。……また来てくれると、嬉しいわ?」


 結局、丁寧な言葉遣いが出来なかった私の姿に、くすくすと可笑しそうに笑ったアイリスさん。


「うふふ。ええ、また会いましょうね、スカーレットちゃん!」


 言って、スカートをひるがえしたウル王国のお姫様。ヒールを鳴らして飛空艇へと消えて行く。やがて静かに浮き上がった青い船は、別れを惜しむようにゆっくりと上昇し始めた。

 徐々に小さくなっていく船体。青い塗装は空の青に紛れて、溶け合っていく。次にアイリスさんに会えるのは、いつになるかしら。……いえ、私は良いの。生きていれば、また会えるから。


 ――だけど……。


 私が振り返った先。遠巻きに私たちのやり取りを見ていた人々の中に、唇を引き結んで、上昇してく船を見上げているサクラさんの姿がある。今朝、邸宅でアイリスさんと個人的な別れをしていた時、サクラさんの瞳にはほんのりと涙がにじんでいた。

 サクラさんにとって、少し年上で、頼りがいのあるアイリスさんは良き友人だったのだと思う。でも、彼女の選択次第では、もう二度と、サクラさんがアイリスさんに会うことはないかもしれない。


 少しして飛空艇が空の彼方へ消えて行く。人々が日常に戻る中、ただ1人。サクラさんだけは飛空艇が消えた空を見つめたまま、しばらく演説広場に立ち尽くしていた。

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