○サクラさんは強い……はず

「むはっ! ここが……死滅神様とメイド様の愛の巣! あはぁっ、あちこちからお2人の匂いがしてきます!」


 それが、死滅神の邸宅にやって来たシュクルカさんの第一声だった。身長は120㎝くらい。尾ひれで立ったユリュさんよりも少し高いくらいかしら。茶色いくせ毛は胸元まであって、意外と長い。くるんと巻いた尻尾も、明るい茶色の毛並み。垂耳たれみみ族特有の垂れた耳は、シュクルカさんの場合、太くて長くて先端が丸まった形をしている。

 瞳はやや赤みがかった茶色。しゃんとしていれば優しげな目元も、今はだらしなく目じりが垂れている。ついでに、よだれも垂れていた。


「シュクルカ。お嬢様の前です。慎みを――」

「わふっ! 久しぶりの死滅神様とメイド様! 早速、再会のハグを……きゃいんっ?!」


 玄関まで迎えに来た私とメイドさんに飛びかかろうとしたシュクルカさんを、例によってメイドさんが叩き伏せる。私の中では、なんとなく、お決まりのやり取りになりつつあるわね。


「なんと言うか……、あれね。本当に、お仕事中との差がすごいわ」


 少し前、私の腕の骨折を治した時に見せていた聖女としての顔と、今も廊下を這いつくばりながら私たちの足の匂いを嗅いでいる変態としての顔。本当に同一人物なのかと疑いたくなる変貌へんぼうぶりだわ。


「くんくん……。はぁ、ほんのりと汗で湿った死滅神様の靴下……たまりませんっ!」

「シュクルカさん。今日は来てくれてありがとう。早速で悪いのだけど、サクラさん達の診察をしてくれるかしら?」


 いちいち彼女の変態行為をたしなめていたら、きりがない。私の足に抱き着くシュクルカさんを引きずったまま、私は居間へと向かう。


「あはんっ! 死滅神様の冷たい対応も、良い! 良いですぅ!」


 くるんと巻いた尻尾をぶんぶん振って、喜びを示すシュクルカさん。こうやって冷たくあしらわれて興奮する自分自身の性格をまずは治療してはどうかと、私は思う。けれど、メイドさん曰くシュクルカさんのこれは不治の病らしい。本当に、難儀な性格をしているわね。


「まったく……。シュクルカ? 今ここにはアイリス様もいらっしゃるのです。くれぐれも、粗相そそうのないように」

「あぁ……。その、ルカを冷たく見下ろす視線。死滅神様からルカを引き剥がすべく、しかし、ルカが怪我をしないように絶妙に力加減のなされた踏みつけ……。さすがメイド様、ご馳走様です」

「ご馳走? シュクルカさん。あなた、まだ何も食べてないじゃない」

「お嬢様。シュクルカの言葉を真に受けないで下さい……」


 とまぁ。こうして騒がしくシュクルカさんを迎えたのは、今日から致命傷を覚悟の鍛錬に入るから。強烈な痛みを受けても足を止めない。その意識づけをしたいらしいわ。

 痛みに慣れ、というのは無いらしいけれど、身を斬られる痛みを知っているか否か。それだけで、次に傷つけられた時の対処には天と地ほどの差が出るそうだった。


「ほら、立ちなさい」


 居間と玄関とを隔てる扉まで来てメイドさんが声をかけたところで、ようやくシュクルカさんが立ち上がる。


「ふぅ……。仕方ないですね」


 なんて言いながら、自分が着ている礼服――赤と白を基調とつつ、胸元には黒い鐘の模様が刻まれたローブ――についた汚れを払う仕草を見せる。そして、静かに目を閉じて、もう一度開くと……。


「……やっぱり良い匂いぃ! 脳がとろけるぅ!」


 特段、気持ちも表情も引き締めた様子もなく、居間へとその足を踏み入れたのだった。




 私が前かがみに。アイリスさんが背筋を伸ばして。ユリュさんが興味なさげにヒレをブラブラさせて。それぞれが、それぞれに、ソファに座って見つめるのは邸宅の庭。そこでは、浅い息を繰り返すサクラさんを治療する、シュクルカさんの姿がある。


「あ゛ぁっ、う゛ぐ……」


 青い顔で苦しそうにうめくのは、治療されているサクラさんだ。メイドさんのナイフによって切り裂かれたわき腹付近は、真っ赤に染まっている。今すぐに駆けつけたい衝動を、私はこぶしを握り締めることでどうにか抑え込む。それでも少しソファから浮いてしまう腰は、アイリスさんがそっと押さえてくれていた。


「気を確かに持ってください、サクラ様」


 治療を受けるサクラさんを、傷つけた本人であるメイドさんも心配そうに見つめている。

 ほんの少し前に始まった、真剣を使った模擬戦闘。サクラさんが宝剣ヒズワレアを、メイドさんが高級なナイフを使って戦闘に臨んだ。昨日のうちにメイドさんのステータスに慣れてしまったらしいサクラさん。私の目ではほとんど追えないような速さで、刃をぶつけ合っていた。とは言っても、アイリスさん曰く、


『互いが互いの武器を受け流す感じです』


 らしいわ。刃こぼれしてしまうから、刃同士をぶつけることは、ほとんどないそうだった。

 目を離せない高速戦闘。金属がぶつかる音と、時折散る火花だけが私の近く出来るものの全て。けれど、その2つが途絶えた次の瞬間、


「ぐっ、ぁっ……!」


 お腹の底から這い出たような低い声と共に、サクラさんがわき腹を押さえて倒れこむ光景が広がっていた。そうして倒れたサクラさんを、いま、シュクルカさんが治療しようとしているのだった。


「まずは痛み止めの〈麻痺〉を。次に傷の〈修復〉。失われた血は〈賦活ふかつ〉で補います。『体力』は……アイリス姫のポーションで大丈夫でしたね?」

「その通りです、シュクルカ。……なので、急いでサクラ様の手当てを」

「了解しました」


 サクラさんのわき腹を中心に、魔素が活性化した時に見られる発光現象が発生する。患部をるシュクルカさんの顔は、間違いなく、人命を預かる者としての覚悟に満ち満ちていた。

 彼女にならサクラさんを任せても大丈夫だと思えた私は、浮いていた腰をソファに下ろす。同時に、私の腰にやんわりと回されていたアイリスさんの手がそっと離れて行く感触があった。


「サクラちゃん……。よく叫びませんでしたね」


 庭に目を戻したアイリスさんが感心したように言った言葉に、私も相槌あいづちを返す。

 痛みを知る。口で言うのは簡単だけれど、実際にはとてつもない覚悟が必要だったはずよね。しかも、私のように敵に襲われて仕方なく、じゃない。自分から、傷つくことが分かっていて、それでも鍛錬に挑んだ。そんなサクラさんの精神面の、なんて強いことかしら。

 昨日の夜。お風呂でサクラさんと少し話をした。明日の鍛錬が怖くないのか。絶対に怪我をするってわかっているのに挑む。どうしてそんなに強いのか。尋ねた私に、


『ひぃちゃんがそれ言う?』


 サクラさんはそう言った。彼女曰く、私も似たようなことをしているらしい。傷つくと分かっていて、それでも死滅神としての道を歩く。そんな私と自分は同じだと、サクラさんは言った。

 昨日はその言葉で流されてしまったけれど。


 ――やっぱり、私とサクラさんは違う。


 私の場合は“死滅神”という使命のために仕方のない面もある。けれど、サクラさんはそうじゃない。彼女は、本当は傷つかなくても良いんだもの。リズポンに挑むのは、サクラさんじゃなくたっていい。他の召喚者が挑んで、異食いの穴のその先を調べてもらうことだってできる。もしサクラさんが役割を譲ったって、誰も文句は言わないはずよ。もし、糾弾する人が居たとしても、


 ――じゃあ、あなたがやれば良いじゃない。


 そう言ってやれば、黙ってしまうでしょう。だって、そう言って挑戦できる強さと優しさを持つ人は、役割を譲ったサクラさんを糾弾するなんてこと、しないはずだもの。


 ――それでも。サクラさんは、自分が傷つくことを選んだ。


 誰かを傷つけることを何よりも嫌う彼女だもの。ひょっとすると、自分が役割を降りることで、代わりの誰かが傷つくことを恐れたのかもしれない。だけど、もしそうだとしても、こうして自ら大怪我をしに行けるその優しさは……強さは。誰しもが持てるものじゃない。


 ――だから、絶対に、サクラさんは強い人。


 ……そう思いたいのに、どうしてかしら。一生懸命頑張っているサクラさんは、どこか危うく見える。


 ――まるで、あえて自分から傷つきに行っているみたい。


 そう見えてしまうのは、本当に、どうしてかしら。


「そんなわけ、無い。そうよ。あのサクラさんが、自分を大切にしないなんて、あり得ない」


 だからきっと、これは私の勘違い。サクラさんの覚悟に水を差すような考えに首を振って、私はもう一度庭を見遣る。そこには、治療を終えたばかりなのに再び剣を握るサクラさんの姿があった。

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