○カベジリ?

 メイドさんが帰って来てから、今度は、刃の付いた真剣を使った仕合が行なわれる。その目的は、やはりサクラさんが生き物を傷つけることになれてもらうこと。そして、傷つけられる痛みを知ることにある。


「身を引き裂かれて足を止めては、それこそ死あるのみ。……覚悟は良いですね、サクラ様?」

「……はいっ!」


 一国の王女であるアイリスさんに“万が一”があってはならない。というわけで、真剣を使った鍛錬にはメイドさんと、場合によっては私が応じる。正直、サクラさんを斬るのも、サクラさんに斬られるのも、すごく嫌。だけど、私が鍛錬に付き合うことでサクラさんが強くなれるなら。生き残れるのなら。こんな身体、好きに使ってもらって構わなかった。


「なお、サクラ様には本番同様、ヒズワレアを使って頂きます。間合いなどにも慣れてくださいね」


 メイドさん手ずから手渡した白銀の宝剣を、サクラさんがさやから引き抜く。


「これが、宝剣ヒズワレア……。お稽古けいこで使ってたやつよりも、ちょっと長い?」

「はい。魔素を流せば、その間、サクラ様のステータスが最初に剣を向けた相手のものに上書きされます」

「え、えっと、こうかな……ふぅっ!」


 サクラさんが剣先をメイドさんに向けて、魔素を流すためにいきむ。見た目に大きな変化は無いけれど、ほんの一瞬だけ、宝剣が輝いた気がした。


「……あれ、変化ないような? 〈ステータス〉! ……も、見た目には変化ないですけど」

「そうですか? では一度、わたくしへ向かって踏み込んでみて下さい」

「はい。……はぁっ!」


 剣を構えたサクラさんが、メイドさんに向けて踏み込む。瞬間、サクラさんの姿がかき消えた。さっきまで彼女がいた場所には、踏みしめた芝が天高く舞う光景だけがある。

 じゃあサクラさんは一体どこに行ったのかと探す前に。メイドさんの背後――庭の端に沿って植えてある生け垣が大きな音を立てた。同時に「ぐえっ」という、なんとも情けないサクラさんの声が聞こえる。もしかして、と思って私が目を向けると、生け垣からサクラさんの下半身だけが生えていた。


「お嬢様。これが昨日話していたヒズワレアの弱点です」

「昨日……。あっ、相手のステータスに振り回されるってやつね!」


 つまり、今のサクラさんはメイドさんと同じステータスを持っている。今回は、はるかに格上の相手のステータスということね。で、その状態でいつものように踏み込んだサクラさんだけれど、予想以上に身体能力が向上してしまっていた。結果、加減を間違えて、目にも止まらない速さでメイドさんの横を通過。生け垣に突っ込んだ、と。


「じゃあリズポンを相手にした時にサクラさんがまずするべきは、向上したステータスに慣れること。合っている?」

「その通りです♪」

「ちょ、2人とも! 話してないで助けて~!」


 生け垣から生えている足をバタバタして、助けを求めているサクラさん。と、私たちと一緒に鍛錬を見守っていたポトトが、相棒であるサクラさんの窮地を助けるべくいち早く駆けつける。


『クッ ルッ ルゥ~!』


 くわえやすい彼女のズボンの裾を咥えて引っぱる。けれど、想像以上にサクラさんは深く生け垣に捕まっていたみたい。ズボンだけが引っこ抜けて、引き締まった形のいいお尻と、お尻を覆う薄い黄色の下着があらわになってしまった。


「きゃぁっ! ちょっ、ポトトちゃん?!」

『クルッ?! ルッ ルッルゥ……』


 サクラさんが可愛らしい悲鳴を上げる一方、ポトトもこうなるとは思っていなかったのでしょう。黒い羽をバタバタさせて、今度は靴を引っ張る。けれど、待っているのは同じ結末。靴が脱げて、靴下が脱げて……。最終的には、サクラさんの身体に残った唯一の布である下着を咥えた。


「って、待ってポトト! それはダメ――」

『クゥゥゥ……ルッ!』


 私の制止もむなしく、ポトトは勢いよくサクラさんの下着を引っ張った。勢い余って後ろ向きに倒れるポトト。くちばしから離れて宙を舞う、可愛らしい刺繡がほどこされた三角形の黄色い布。


「あっ」

「あら」

「まぁ!」


 私、メイドさん、アイリスさんの声が重なる。倒れたポトトの向こう側に広がっていた光景は……サクラさんの名誉のためにも、省略しましょうか。ただ、数秒後にサクラさんの悲鳴が響き渡ったことは、言うまでもないわね。

 結局、頭を抱えたメイドさんがサクラさんの腰を持って、引っ張る。すると、ポンッと音がしそうな勢いで、顔を真っ赤にしたサクラさんが引っこ抜かれたのだった。




「さて。しくもポトトのおかげで、ステータスに振り増されることの脅威を知ることが出来ましたね、サクラ様?」

「そうですね!」


 メイドさんの、それはもう嬉しそうな顔を、サクラさんが赤い顔で睨みつける。けれど、すぐに俯いて、恥ずかしさのあまり顔を手で隠してしまった。


「うぅ……。メイドさんが体験させて学ばせるタイプの人だってこと、完全に忘れてた……」


 庭に三角座りをして項垂れる彼女は、今はもう、下着もズボンもはいているわ。他方、サクラさんに悲鳴を上げさせたポトトはと言うと……。


『ク……クルゥ』


 サクラさんの隣で文字通り小さくなって、申し訳なさそうにサクラさんに謝罪していた。


「良いの。悪いのはすぐに助けに来てくれなかったひぃちゃんとメイドさんだから。むしろポトトちゃんには、ありがとう」


 そう言って、サクラさんがポトトを撫でてあげている。表情は一見すると優しいものだけど、いつもは明るく輝いて見える茶色い瞳は、光を失っていた。


「先ほどお嬢様がおっしゃったように、リズポンとの戦闘ではまず、向上した身体能力への慣れが必要です。わたくしなど比べ物にならないでしょうが、それでも向上した身体能力を扱う練習にはなるかと」

「うん、人が人生最大級の醜態しゅうたいさらして打ちひしがれても容赦なく続けるところ、さすがメイドさんですよね。知ってた」


 諦めるように。でも、気持ちを切り替えるように言ったサクラさんが、傍らにあったヒズワレアを手に立ち上がる。瞳にはもう既に生気が戻っていて、やる気は十分みたい。


「魔素を込めた時に剣先に居た相手のステータスをコピーできる。ステータスの変化は目には見えない。で、魔素を込めるのを止めたら、ステータスはもとに戻る……。うん、大丈夫」


 何度か剣を素振りながら庭の中心に歩いて行ったかと思うと振り返って、剣先をメイドさんに向ける。再び始まる鍛錬を前に、私もポトトを連れて安全な場所――邸宅の居間に移動した。

 私が座ったソファには、優雅に紅茶をたしなむアイリスさん。リアさんと、彼女の膝の上に座るユリュさんの姿もある。


「今日は剣の間合いの把握。そして向上する身体能力への慣れだけに集中しましょう。明日からはあの変態聖女を招いて、本格的な実戦経験を積む。……よろしいですね?」

「……はい!」


 ヒズワレアを〈切断〉しないよう通常のナイフを構えるメイドさんと、宝剣を手にしたサクラさんが相対する。静かな風が吹いて、舞い上がった芝がにらみ合う2人の間を通り過ぎた頃、2人同時に動き始めた。掛け声も無しに、まるで図ったように同調した2人の動き出し。ずっと一緒に居たからこそ生まれる阿吽あうんの呼吸のようなものが感じられた。

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