○手を止めないことが大事なの
ところで。私とサクラさんがお風呂に入ったということは、調理担当はリアさんとアイリスさんだということになる。実はこの組合せ、こと料理においては凄まじく相性が悪い。……いいえ、良すぎると言うべきかしら。
私とサクラさんが自分達の過ちに気付いて居間に急いで戻った時には、
「あら、お帰りなさい、スカーレットちゃん、サクラちゃん。お料理、出来てますよ!」
部屋いっぱいに、それはもう辛そうな香りが漂っていた。
「「終わった(わ)……」」
私とサクラさん、2人して床に崩れ落ちる。そう。あらゆることを高い水準でこなすアイリスさんの数少ない欠点。それは、彼女の味覚がかなり特殊であること。もっと言えば、極端な味付けを好む傾向にあるのよね。
別荘に居た頃にその事実に気付いてからは、私、サクラさん、メイドさん。全員で、全力でアイリスさんが料理をしないように気を配っていた。けれど、今日、久しぶりに会ったから忘れてしまっていた。結果……。
「お2人とも、そんなところで寝ていないで、早くみんなで食べませんか? 料理が覚めちゃいますよー?」
そう言って卓上に並ぶ料理は、赤、緑、黒。色とりどりではなく、色鮮やかな食卓が出来上がっていた。
「あれ、どう見ても人が食べちゃいけない色してるよ、ひぃちゃん……」
「そうね。きっと、内臓から鍛えようというアイリスさんの隠れた伝言なんだわ」
消化されれば全て魔素に変わる私はまだ良い。お口とお腹がしばらく痛いだけで済むもの。問題は、トイレ事情を抱えるサクラさんの方ね。
「わたし、明日、お花摘みから戻って来れるかな……。あは、あははは、はぁ~……」
「が、頑張って、サクラさん」
遠い目をするサクラさんを、私は励ますことしか出来ない。と、折よく、調理担当のもう1人が居間に現れた。
「……リアさん、ちょっとこっちに来てくれる?」
「はい」
とりあえずリアさんを呼びつける。地面で三角座りをする私たちを不思議そうに見下ろす紫色の瞳に、差し当たって聞いてみることにした。
「えぇっと、途中まではリアさんが料理を作っていた……はずよね?」
「はい。今日はサクラ様が教えてくれた、ロールキャベツを用意していました」
下味をつけた肉団子を葉野菜で巻いて、野菜からとったスープでじっくりと煮込む。そんな煮込み料理だったはず。普段は透き通った、それこそメイドさんの髪色のような色をしたスープになるはずなのだけど。
「どうしてスープが赤色なの?」
「はい。アイリス様が、こうした方が美味しいと」
相手の言うことは全肯定。それがリアさんの基本姿勢。彼女に、アイリスさんの蛮行を止められるはずもなかった。
「味見は?」
「アイリス様が手を加える前に一度しています」
「手を加えてからは?」
私の問いかけにフルフルとリアさんは首を振る。アイリスさんが味見をしたから大丈夫、という判断らしかった。
「でも、これもリアさんが悪いわけじゃない。アイリスさんも、本当に良かれと思ってやっている確信犯だし……」
悪人は居ないの。でも、確実に被害者は出る。ほんと、人生ってままならないわね。
「……あれ? そう言えば、ユリュさんは?」
昼間に正座をさせられて、その後、私の腕の中で眠っていたユリュさん。ソファで寝かせていたはずなのだけど、今はソファの上に毛布しかない。ヒレや鱗が乾くことを極端に嫌うし、居なくなった時は大体お風呂に居るのだけど、風呂上がりの私たちがすれ違うことも無かった。
――いったい、どこに……?
部屋を見回しながら聞いた私の問いかけに、
「ユリュ様は、厨房です」
「厨房? 調理場では無くて?」
「はい。アイリス様の料理を食べられてすぐ眠られたので、この後、リアがお部屋に運びます」
料理を食べて、すぐに眠った。それって、気絶って言うんじゃ?
「そっか、もう既に犠牲者が……、あは、あはははっ!」
「サクラさんが壊れた?!」
ユリュさんと同じで瞳孔が開いた目をして、狂ったように笑うサクラさん。きっと脳内では、別荘で食べたアイリスさんの手料理が思い出されている事でしょう。強烈な味の印象のせいで、忘れたくても忘れられないものね。
ポトトすらも気絶させたアイリスさんの手料理。子供舌のユリュさんには予想通り、刺激が強すぎたみたいだった。ついでにポトトはソファの影に隠れて、絶対にアイリスさんからは食べ物を貰わない姿勢を見せている。後で新鮮なスィーリエでもあげておきましょうか。
「見た目も味もR15の手料理って、ヤバすぎ……」
「ほら、行くわよ、サクラさん。美味しい……かは分からないけれど、料理が冷めてしまうわ?」
「あの、スカーレットちゃん? サクラちゃん? さっきから全部、聞こえてますよ?」
エプロンをたたんで椅子の背もたれにかけたアイリスさんが、苦笑している。料理を作ってくれた人には失礼だと分かっているけれど。
「……学ばない、アイリスさんが悪いんです」
「それは、その通りね」
別荘で、何度も味付けについてはズレていることを指摘した。だと言うのに、改善どころか改悪しているようにすら見える料理が並んでいる。
「こ、今回こそ! 今回こそは、美味しいはずです! だから、ね? 一緒に食べませんか?」
手を顔の前で合わせて、片目をつむるアイリスさん。仕草こそお茶目だけれど、海のように青い瞳は不安で揺れている。こんな風に言われてしまったら、私としても食べるしかなくなるじゃない。
私は意を決して立ち上がり、食卓に着く。
「ひぃちゃん?!」
「食べるわよ、サクラさん。せっかくアイリスさんとリアさんが一生懸命に作ってくれたんだもの。食べない選択肢なんて、無いわ」
「スカーレットちゃん……!」
目の前で湯気を上げる今日の目玉料理ロールキャベツ。やっぱり、湯気を浴びるだけで目も鼻も痛い。だけど、ひょっとすると、美味しくなっているのかもしれない。だって、あのアイリスさんよ? 自身の欠点を指摘されて、改善しないわけがない。
それに、もし辛くても、その奥にはリアさんが作り上げた最高のスープがあるはず。食べられないことはないはずよ。
「……そう、だね。死なばもろとも、だよね、ひぃちゃん」
元から筋肉の疲労で立っているのもやっとのサクラさん。よろよろとした足取りで私の前の席に着く姿は、死地に赴く戦士のそれだわ。
「2人とも、本当に失礼なんですから」
ややご立腹気味のアイリスさんが、いつもメイドさんが座る席――私の隣に座って。
「リアさんも。早く座って? 一緒に食べましょう?」
「……? ですがリアには――」
「逃がさないわよ?」
笑いかけた私の圧に負ける形で、最後にリアさんが私の斜め向かいに座る。リアさんには、身をもって知ってもらいましょうか。アイリスさんに味付けを任せると、どうなるのかを、ね。
「「
弱冠1名、覚悟を決めた「頂きます」をしたような気がしたけれど、今回ばかりは許しましょう。
――それに、さっきも言ったように、まだ希望はある。
なんでも超人のアイリスさんの向上心によって、実は美味しいんじゃないか。そんな希望にかけて、私は真っ赤なロールキャベツを口に運ぶ。
「「……あれ?」」
私とサクラさんの声が重なった。次の瞬間にはサクラさんの茶色い瞳と目が合って、次にドヤ顔をしているアイリスさんを2人で見る。……辛く、ない? いえ、確かに舌先に辛味は感じられる。だけど、その辛味がむしろ、野菜から出たスープの甘みとお肉の味わいを引き立てていて――。
「「辛~~~~~~いっ!」」
そんなわけがなかった。ちゃんと辛い。私とサクラさんが、やっぱり同時に叫ぶ。ほんの一瞬だけ感じられたスープの味も、お肉の味わいも、その全てが辛さを引き立たせるために存在していたような気がする。
「時間差! 時間差で来た! 辛い! 痛い! 熱い~!」
目からぼろぼろと涙をこぼして、天を仰ぐサクラさん。彼女の言う通りね。口の中に熱々のお鍋を突っ込んだのかって言うくらいの熱さが、私の口を襲う。その熱さはすぐに全身に伝わって、体中の穴という穴から汗が噴き出す。気づけば私の服も下着も、全てがビチョビチョになってしまっていた。
「あ、あれ? 今回は王城内で自家栽培した特製の辛味調味料だからきっと前よりも美味しく――」
「なるか、馬鹿~! 味音痴馬鹿アイリスさ~ん!」
サクラさんが分かりやすい暴言を吐きながら、食卓から調理場の奥にある冷蔵庫へと駆けて行く。一方、そんなサクラさんの横で黙々とスプーンを口に運ぶのは、リアさんだ。
「まさか、リアさん! あなたもアイリスさんと同じ味覚の持ち主……なわけなかったわね」
あの、なかなか鉄仮面を崩さないリアさんが、顔を真っ青にして、涙を流していた。メイドさんほどではないにしろ、ほとんど汗をかいているところ見せたことがないリアさん。そんな彼女も今は額に汗をかいて、原因不明の震えに襲われているみたいだった。
「どう? アイリスさんの味付け、美味しい?」
「
この期に及んでアイリスさんを傷つけまい、喜ばせたいとそんな言葉を口にするリアさんは、さすが以外の言葉が出てこない。……だけど、ロールキャベツを口に運ぶその手は次第にゆっくりになっていって、1分もしないうちに止まってしまった。ああなってしまうと、次の一口に行くのにとても勇気がいるのよね。
「
野菜とお肉が上手に引き立てる高級かつ強烈な辛味成分を否応なく味わわされながら、私は料理(調味料)をありがたく頂いたのだった。
――それにしても、何か忘れているような……?
この1時間後。泡を吹いて調理場に倒れていたユリュさんをサクラさんが見つけて、全員が慌てたことを付記しておきましょう。
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