○殺すという感触

「イタタ……。スカーレットちゃん、用意していたポーション……『体力』を回復する方、貰えますか?」

「え、ええ……」


 剣の訓練をするために、色々と模造剣や皮鎧なんかを準備していてくれたアイリスさん。『体力』と『状態』を直すそれぞれの高級なポーションも、持ち込んでくれていた。

 私は冷蔵庫で冷やしていたポーションを取り出して、急いでアイリスさんに手渡す。ポーション冷やしていた理由は、美味しいから。効能に変化はないわ。


「ふぅ。これで大丈夫かな。それじゃあ、もう一度、サクラちゃんとお稽古けいこしてきますね」

「ええ……。じゃないっ! アイリスさん、サクラさんに何をしたの?」


 何かしらのスキルを使って反撃をしたんじゃないか。そう推測していた私の問いかけに、アイリスさんは金色の髪を揺らして首を振る。


「何もしていませんよ? ただ、生き物を傷つける感触を知ってもらっただけです」

「生き物を傷つける感覚……?」

「はい。剣は弓と違って、生物を殺す感触が直に伝わってきます。まずはそれに慣れてもらわないと」

「生き物を殺す感触……」


 私もナイフを使っているから分かるけれど、刃物を使っていると肉を断ち切る特有の感触がある。しかも解体の時とは違って、動いている筋繊維をブチブチと断ち切って、切った断面からは血が溢れて。相手を殺しているのだと直に感じることになる。


「でも、サクラさんはもう、狩りには慣れているわよ?」

「はい。私も大丈夫かなと思って一応の確認をしてみただけなんですけど、結果は……」


 アイリスさんが目線で示す先には、肩を抱いて、身を震わせるサクラさんがいる。


「だ、だけど! 彼女、別荘でヘズデックを斬っているわ?」

「そうですけど、あの時もスカーレットちゃんのスキルでヘズデックは死んでいたはずです」

「そう言えば……」


 これまでの旅の中でも、確かに。彼女が生体に向かって剣を振るったことって、実はなかったんじゃないかしら。だって大抵の場合、サクラさんは弓を使って狩りをすれば、事足りたもの。

 狩りに……動物を傷つけることに慣れていたと思ったけれど、この前は、マユズミヒロトを怪我させただけで立っていられないくらいに血の気が引いていた。つまり、今のサクラさんは……。


 ――剣で、生き物を殺せない。


 リズポンへの挑戦を前にして、思いもしなかった課題が浮かび上がったことになる。


「前回、私が教えたのは自衛のための剣。相手の武器を狙ったり、迎え撃ったりするためのすべを学んでもらいました。ですが……」

「今回は相手を殺す剣。そうなのね?」


 私の言葉に、アイリスさんが頷く。


「相手を殺す感触に慣れられるかどうか。私がここに来た理由の半分は、そこにあるんです」


 運動神経の良いサクラさんは呑み込みが早い。剣の扱い方については、もうほとんど教えることは無い。そのことを最初の仕合で見抜いたそうだ。だから後は、心構え? をしてもらうだけだと言うのだけど……。


「ま、待って! じゃあアイリスさんも、サクラさんに何度も斬られることになるんじゃ……」

「その通りです。だから、ポーションも多めに持ってきたんですよ?」


 こともなげに笑ってみせるアイリスさん。部屋に居ても聞こえて来た、鈍い音。間違いなく、骨にヒビは入っていたはず。例え効果の高いポーションで治るとしても、傷つけられた時の痛みを消すことは出来ない。

 私が手の骨を折った時は痛みに泣いたものだけれど、アイリスさんは顔をゆがめただけ。さらには、再び、わざと斬られに行くという。


「どうしてそこまで……」


 アイリスさんには何の利点もない。なのにどうしてそこまでしようとするのか。つい聞いてしまったわたしに、少し間をおいて、アイリスさんは答えてくれる。


「サクラちゃんが私の担当する冒険者さんって言うのもあるんですけど……」

「けど?」

「“異食いの穴”でしたっけ? もしそこが、召喚者さん達が地球に帰るための場所になるんだとしたら。王女としても、冒険者ギルドの受付としても、見過ごせない情報になると思いませんか?」


 ウル王国だけじゃなくてフォルテンシア中に少なくない召喚者がいて、中にはチキュウに帰ることを望む者だっている。そんな困っている召喚者がチキュウに帰るための希望になるなら、と、アイリスさんは言う。


「“異食いの穴”については、メイドさんからおおよそ聞いています。待ち構えている敵が特殊な敵だということも」


 透明な壁を越えられるのは召喚者だけで、しかも、並みの召喚者は足手まといにしかならず、犠牲を多くするだけだということ。数の力で押せないからこそ、一騎当千の実力が必要なこと。そして、その力を得るための武器を、メイドさんが取りに行っていること。その全てを、アイリスさんは知っているという。


「サクラちゃんを受け持つギルド職員としては、そんな無茶、絶対にやめて欲しいです。でも、もし、サクラちゃんが挑みたいという決意を変えないのなら……」


 胸に手を当てて、大きく息を吸ったアイリスさんは、


「私にできることは、彼女が生き残る可能性を高めてあげることだけです!」


 朗らかに笑う。その顔は、凛々しい王女としてのものでも、友人としての親しみが込められたものでもない。人々のために必死になって依頼をこなす冒険者たちを支える、ギルド職員としての顔だった。

 彼女が文字通り自分を犠牲にしてまで人々のことを思えるのはなぜ? 職業ジョブが“王女”だから? きっと、違う。もし“王女”である人がみんなアイリスさんのようになれるのなら、同じく“王女”だったサザナミアヤセのような利己的な人間は生まれないはずだもの。


 ――つまり、これはアイリスさんの人となりがなせる献身性……。


 ホムンクルスである私すらも感嘆してしまうほどの「人々のために」という考え方。


 ――本当に、この人は凄い……。


 きれいで、格好良くて、強くて。そんな彼女が友人で居てくれることを、私は心の底から光栄に思う。


「ふふっ! アイリスさんってば、実はお馬鹿さんなんじゃないかしらっ」

「あっ、言いましたね、スカーレットちゃん!」


 腕を組んで、子供っぽく頬を膨らませるアイリスさん。だけど、すぐに笑顔になって、私と一緒に笑う。


「アイリスさん! 私のお友達でいてくれて、ありがとう! これからもよろしくね!」

「はい、こちらこそ。末永く、よろしくお願いしますね、スカーレットちゃん!」

「あ、あのぅ……」


 私とアイリスさんが笑い合っていると、足元から控えめな声が聞こえてきた。見れば、全身を震わせ、ボロボロと涙をこぼしながら私たちを見上げるユリュさんの姿がある。普段の彼女なら瞳孔の開いた目でこちらを見つめているところだったでしょう。でも、今の彼女にはそれ以上の問題があったらしい。それは……。


「も、もも、もう、許してください、スカーレットお姉ちゃん……」

「あぁっ! ごめんなさい、ユリュさん。もういいわ、もう正座しなくて良いから!」


 私の言葉で、ユリュさんがコテンと絨毯の上に倒れる。軽く痙攣けいれんしてるように見えるのは、気のせいかしら。


を放って、目の前で他の女といちゃいちゃするなんて……。ひどい拷問ごうもんでした……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ユリュさん! そうよね、痛かったわよね。よしよし……」


 倒れながら抱擁ほうようを求めて来たユリュさんを、私は優しく抱いてあげる。


「……えへへ。スカーレット様の匂いです」


 すぐに機嫌を戻してくれたユリュさんを抱いたまま、私は庭を見遣る。そこには、よろよろと立ち上がるサクラさんの姿もあって。その手は震えているけれど、きちんと剣を握っている。


「頑張って、サクラさん!」


 シズクさんや、ご家族。お友達。自分の大切な人たちが待つ場所に帰るために頑張っているサクラさんへ向けて、私は精一杯の応援を贈り続けた。

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