○見えない何か
緑の芝が美しい、死滅神の邸宅の庭。そこには今、模造剣――刃を取り除いた、殺傷力のない剣――を構えるサクラさんとアイリスさんの姿がある。お互いに軽装で、皮鎧だけを装着した格好。
足をやや前後にして、両手で持った剣を正面に構える。サクラさんもアイリスさんも、鏡写しのように同じ構えをしていた。
「……手加減なしで行きますね、アイリスさん。〈ステータス〉」
「いつでもどうぞ、サクラちゃん? 〈ステータス〉」
模造剣とは言え、想定しているのはリズポンとの戦闘。両者ともに〈ステータス〉を使った全力の
ついでに、私の足元。
『
そんな文言が、共通語で書かれている。やっぱりと言うと良くないのかもしれないけれど、アイリスさんのおもてなしを任されていたのはユリュさんだった。いえ、正しくは、ユリュさんはサクラさんとリアさんに伝言するように言われていただけ。おもてなしの準備をするのは、サクラさん達の予定だったんだと思う。
――ただ、その伝言すらも届いていなかった……。
結果、これと言ったおもてなしの準備もなく、アイリスさんを迎えることになった、と。
――これくらいならできる。任せてみよう。そんなメイドさんの試みは、ちゃんと失敗したわけね。
何も、ユリュさんだけが悪いんじゃない。ユリュさんの記憶が失われていて、従者としてまだまだな状態に戻っていることを失念していたのだろうメイドさんも、良くなかった。
「あぅ……。尾ヒレが……尾ヒレが痛いです、死滅神様……」
「あと5分だけ頑張りましょうね、ユリュさん」
身体の構造的にもかなりきついらしい正座の状態を、涙目で維持しているユリュさん。まだ正座を始めて5分だけれど、反省する時間はあと5分くらいでいいわよね。それ以上は、可哀想だもの。
「っと、始まったわね」
先に動いたのは、サクラさんだった。腰を一瞬だけ落として、一気にアイリスさんへと踏み込む。狙いは、左肩かしら。大きく振りかぶることはなく、あくまでも当てることを意識した、剣の溜め。突進の勢いでもってアイリスさんの肩を砕こうという判断ね。
一方で、アイリスさんが力んだ様子はない。自然体のまま、両手で持った剣をサクラさんが振り下ろす剣の軌道に沿えた。2つの剣がぶつかって、甲高い音が響き渡る。結果、サクラさんの斬撃はアイリスさんによってきれいにいなされる形になった。
「体重の乗った、良い一撃です!」
「わっ、その感じ! まだまだ余裕ですね!」
サクラさんが振りかぶらなかったから、攻撃の後の隙が少なくて済んだ。そのおかげで、アイリスさんからの反撃を、サクラさんも落ち着いて迎撃出来ている。皮の鎧を着ているとはいえ、相手の攻撃が当たれば、骨折も免れない。だというのに、
「その感じです、サクラちゃん!」
「くぅっ! その余裕、絶対に潰しますから!」
サクラさんもアイリスさんも、笑顔なのよね。アイリスさんは、サクラさんの成長が嬉しくて。サクラさんは純粋に、胸を借りて剣を振るっている現状を楽しんでるって感じだけど……。
「メイドさんもだけれど、どうしてそんなに戦うことが好きなのかしら……?」
「あっ、
ユリュさんも血の気が多いものね。どうしてこう、私の周りには戦闘狂が多いの? さすがに、サクラさんは、殺生を嫌う性格からして戦闘そのものを楽しんでいるのではないでしょう。ある種、競技として……流血沙汰にならないことを分かっているからこそ、剣を振るっているから笑っている。そう見て良いわよね。
「それよりもユリュさん。誰が正座を崩しても良いって言ったの? 1分追加ね」
「あぅ、あぅぅぅ……」
と、勝手に正座を
――意図して剣を手放した……? でも、どうして……。
私がアイリスさんの行動の意図が読めずにいる間にも、
「隙あり!」
得物が無くなって、隙だらけになったアイリスさんに向けて、サクラさんが剣を振り下ろす。当然、アイリスさんには防ぐ手立ては無くて、剣で肩を強かに打ちつけられる結果となった。
苦痛に歪むアイリスさんの顔。他方、別荘に居た頃から数えきれないくらいの手合わせの末、ついに一撃を入れたサクラさん。喜んでいるんじゃないか。そう思って彼女の顔を見てみたら、
「……え?」
顔を真っ青にして、アイリスさんから距離を取っていた。予想とは真反対の光景に、私も思わず声が漏れてしまう。庭に立つサクラさんの足取りは危うげで、遠目からでも手足が震えていることが分かった。
「あ、あれ……?」
サクラさん自身も、どうしてそうなっているのか分からない様子。戸惑いの言葉を漏らして、自分の手の中にある剣を見つめる。けれど、その剣もすぐにサクラさんの手からこぼれ落ちた。
呆然とした様子で、サクラさんは何もなくなった手のひらを見つめている。その姿は、まるで、手に残った“見えない何か”を確かめているようにも見える。そのまましばらく固まっていたサクラさんだけれど、足腰に力が入らなくなったのでしょう。少しして、ゆっくりと庭にへたり込んでしまった。
「サクラ……さん?」
どう見ても様子がおかしいサクラさん。彼女に声をかけようとソファを立ったところで、
「イタタ……」
打ちつけられた肩を押さえて顔を青くするアイリスさんが、庭から居間に帰って来た。
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