○退いて退いてー!

 マルード大陸から帰って来た、翌朝。私はいつものようにゆっくりと惰眠を貪ってから、目を覚ます。昨日抱いて眠ったはずのメイドさんは、いつの間にかぬいぐるみに変わっている。“時と芸術の町”エルラのお土産として買った肌触りの良いぬいぐるみは、メイドさんと同じで、お日様の匂いがした。


 ――結局、本心は聞かせてくれなかったわね。


 昨夜、メイドさんに本心を聞いてみた。生きる目標を失っていないか。死んじゃうんじゃないかって。


『私が、あなたの生きる意味になってみせるから。……私じゃ、ダメ?』


 精一杯の勇気で発した私の言葉を、


『ダメです♪』


 メイドさんはあっさりと否定した。それも、いつもと変わらない、満面の笑みで。


「……むぅ」


 私はメイドさんと同じ匂いがするぬいぐるみを抱きながら、ベッドの上を転がる。メイドさんは、私があの言葉を言うのにどれだけ勇気を振り絞ったのか、分かっているのかしら。ここ数日、明らかに彼女の様子はおかしかった。マユズミヒロトという、ある意味での生きる意味を失って、から回っている印象だった。だから、大丈夫なのか。そう聞いてあげたのに……。


「むぅぅぅ……!」


 結局、今の私では、メイドさんの本心を聞くには至らなかったということ。私が不甲斐ないばかりに、私はご主人様フェイさんの代わりを務められなかった。


 ――もう、代替品ですらなくなったのね……。


 だからメイドさんを引き留めることも出来なくて――。


「――って、こうしてもだえている場合じゃないじゃない!」


 そう。私が抱いていたはずのメイドさんが、ぬいぐるみに変わっている。ということは、もう既に、メイドさんは出て行ってしまったということ。

 彼女がいつ出て行ったのかは分からない。ひょっとすると、もう自害してしまっているかもしれない。だけど、メイドさんがまだ生きているという一縷いちるの望みにかけて、どうにかして呼び戻さないと。その後は……、そうね。申し訳ないけれど、全身を縛って、地下の書斎にでも放り込ませてもらいましょう。


 ――で、肝心の呼び戻す方法は……。


 彼女が“死滅神の従者”という職業ジョブを持つ限り、抗えないものがある。それは、そう、職業衝動。こののろいだけは、例えメイドさんでも断ち切れない。


 ――この寝室は、2階。頭から落ちなければ、多分……。


 私は寝間着姿のまま庭が見渡せる2階の縁側に出て、手すりの上に登る。と、庭では一生懸命に剣を振っているサクラさんの姿があった。彼女に気付かれる前に、飛び降りないと。


「大丈夫、大丈夫……。メイドさんを失うくらいなら、足の1本や2本、安いものでしょう?」


 自分に言い聞かせて、いざ。私は空中に身を躍らせた。ほんの少しの浮遊感ののち、身体が芝の生えた地面へと吸い込まれていく。ちゃんと骨折できるように、受け身は取らない。衝撃をそのまま両足に伝えれば、ちゃんと折れてくれるはず。


 ――大丈夫、大丈夫!


 着地点を鹿と見つめていたその時、緑色だった足元が不意に、見覚えのある白と黒色に変わった。今日もつややかな羽毛を風に揺らす彼女は……。


「え、ポトト?! ど、退いて退いてー!」

『クルッ?! クルールッル?!』


 そんな私のお願いも、空から私が降って来るとは夢にも思っていなかっただろうポトトには届くはずがない。結局、渾身の思いで飛び降りた私の身体は、


「きゃっ」

『グルェ……』


 ポトトのモフモフによって見事受け止められてしまった。多分、日向ぼっこでもしようと歩き出した先に、私が落ちて来たのでしょう。いずれにしても、私の試みは意外な方法で阻止されてしまった。しかも困ったことに、


「ひぃちゃんが落ちて来た?!」

「スカーレット様?」

「死滅神様?!」


 潰れたようなポトトの鳴き声(?)で、サクラさん、リアさん、ユリュさん達がやって来てしまう。


 ――これじゃあ、自傷できない……っ!


 ポトトの背中の上。メイドさんが居なくなった不安で震える私を、3人が見上げていた。


「えっと、ひぃちゃん……? 寝ぼけるにしてもほどがあると思う――」

「サクラさん! メイドさんが、居なくなっちゃった!」

「あ、うん、そうだね。言ってたじゃん。イーラに戻ったらすぐにアレ? の準備するって」

「そうじゃない! そうじゃなくって……」


 言い淀んだ私を見上げるサクラさんは、何かを察したらしい。


「う~ん、なるほど、そういうことか。とりあえずひぃちゃん、下りておいで?」

「そ、そうね」


 言われるがまま、私はポトトの背中から下りる。そして誘導されるがまま、サクラさんの目の前に立たされた。


「ひぃちゃん。歯を食いしばってね? 〈ステータス〉っと……」

「え、ええ……。何を――」




 パァン……ッ。




 頬に強烈な衝撃が走ったかと思えば、気付けば私の身体は地面を跳ねていた。ゴロゴロと地面を転がった後、生垣にぶつかって止まる。星がちらつく視界に映ったのは、真っ青な空だった。


「お前……っ。死滅神様に何を――むぎゅっ?!」

「ユリュ様。大丈夫です。サクラ様は敵ではありません」


 私をはたき飛ばしたサクラさんに、目つきを鋭く、語気を荒らげてユリュさんが詰め寄ろうとする。職業衝動で紺色の瞳を輝かせるユリュさん。でも、そんな彼女を、背後に居たリアさんがそっと抱きしめた。

 最初は抵抗していたユリュさんだけれど、リアさんの体臭に包まれて、徐々に落ち着いていく。10秒もすれば全身を弛緩させて、リアさんに抱かれるがままになっていた。

 そんなユリュさん達の姿を横目に見ている間も、私のもとへと歩み寄る靴が見えている。サクラさんだ。


「あれだよね、ひぃちゃん。大ケガしたらメイドさんが帰ってくる。そう思ったんでしょ?」


 しゃがみこんで、地面に転がる私を見下ろす茶色い瞳。表情もなく、口調も平たんなものだったけれど、だからこそ。サクラさんが怒っている事だけはよく分かった。


「だからお望み通り、怪我させてみたけど。どう? メイドさん、来た?」


 淡々とした質問に、私は首を振る。ユリュさんの職業衝動は、間違いなく発動していた。だというのに、私が一番来て欲しい人は、この場に来ない。


「どうしよう、サクラさん……。メイドさんが、死んじゃった……」

「ううん、それは無い。ひぃちゃん残してあの人が死ぬなんて、絶対ないから」

「でも……。でも――」

「でもじゃない!」


 目元を隠す私の腕をどけて、サクラさんが私と無理矢理、目を合わせてくる。


「ひぃちゃんは、もうちょっとだけ、メイドさんを信じてあげてよ。じゃないと、誰よりもひぃちゃんのことを大切にしてくれてる、あの人が可哀想だよ……」


 なぜか泣きそうになりながら、サクラさんは私がメイドさんを信じていないなんてことを言う。


「わ、私は、メイドさんを信じているわ!」

「ううん、信じてない。甘えてるだけ。だからいつまで経っても、メイドさんはひぃちゃんに本当のこと……って、これは余計なお世話だ。忘れて」


 首を振って、立ち上がるサクラさん。私が、メイドさんに甘えているだけ……? 信じていない……? それに。


「本当のこと……? 本当のことって、何?」

「何でもない。ひぃちゃんの鈍感主人公。無自覚に人を心配させるひぃちゃんのそういうところは、大嫌い」

「ご、ごめんなさい……」

「ほら、悪いって思って無いのにすぐ謝る。どうせ、なんでわたしが怒ってるかも分かってないでしょ?」

「う、ご、ごめんなさ……申し訳ないわ?」

「良い方変えても一緒! はぁ、こういう不器用なところは、大好きなんだけどなぁ」


 怒っているのか、呆れているのか。多分その両方で、サクラさんが首を振っている。


「とにかく。メイドさんは1週間以内には帰るって言ってたよ。だからひぃちゃんは、あの人の言葉を信じて待つ。分かった?」

「だ、だけど! メイドさんが自害してるかも……」

「もうっ! メイドさんを信じるんでしょ? じゃあ黙って待つ!」

「あ、う……。はい」

「あと、ポトトちゃんにも謝って! ひぃちゃんの馬鹿な行動の、一番の被害者!」


 それは……その通りね。私はポトトの所まで行って、きちんと謝罪する。


「それからユリュちゃんをリアさんから助けてあげる! ……多分、もうちょっとで窒息するんじゃないかな?」

「ユリュさーん!」


 心配をかけたみんなに私が謝罪をして。


「それから、その……。わたしもごめんなさい! めちゃくちゃ思いっきり、ひぃちゃんのこと叩いちゃった」


 サクラさんも、私に深々と頭を下げて謝罪をしたことで、この場はお開きになった。


「……ええ。いい一発だったわ。イリアさん……アイリスさんのお姉さんといい勝負ね」

「うっ……。うん、ほんとにごめん」


 申し訳なさそうに言いながら、朝食を食べに邸宅に戻ろうとした矢先。


『……クルッ?』


 ポトトが、庭から見える海の上を見つめて、首を傾ける。念のために私も振り返ってポトトが見ている方を見てみるけれど、青い海と、ぷかぷか浮かぶ白い雲が見えるだけ。


 この時、実は、イーラに向けてとあるお客さんがやって来ていたのだけど……。


 くきゅるっ、と鳴ったお腹の命令に、寝起きの私は従うことしか出来ない。


「お腹が空いたわ」

「じゃあ中に戻って、朝ごはんだね。メイドさんが愛情込めて作ってくれたんだから、ちゃんと食べるように」

「ええ、ありがたく頂くわ」


 私は、足早に食卓へと向かうことにした。

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