○side:M 本心にて②

「……全て、お嬢様のせいです」


 わたくしにとっての当たり前を、日常を、軽々と塗り替えてしまう。それが、お嬢様なのです。

 名前を呼ばれてほっとするその声が、少女の声に変わったのも。不安になった時に握りたくなる手が小さく、柔らかな手に変わったのも。笑顔と聞いて思い浮かべるものが怜悧れいりで涼し気なものから、幼く、無邪気な笑顔になったのも。全てが全て、お嬢様のせい。


 ――お嬢様が、ご主人様を奪っていく。


 お嬢様との日常が、ご主人様との日々を消していきます。わたくしが命よりも大切だとそう思っていた日々が、塗り替えられていくのです。

 そして、本当に情けないことに、わたくし自身、そのことを嫌だと思わないのです。お転婆で、危ういお嬢様と過ごす日々。それがご主人様との記憶を遠く、色あせさせるのだとしても。


『メイドさん!』


 と、わたくしを呼ぶ声を遠ざけることが、出来ないのです。


 ――わたくしはなんて、軽薄なのでしょうか。


 あれだけ大切だと言っていた過去をあっさりと捨てて、新しく手に入れた現在を大切にしてしまう。本当にどうしようもない侍女なのです。わたくしを育ててくれたご主人様、召喚者シンジ様に対する、これ以上の不義理はありません。


「そ、そうよね。私が、不甲斐ないばっかりに……。ごめんなさい」


 そう言って、うつむいてしまうお嬢様。いい気味です。わたくしを不届き者にしてしまうお嬢様には、そんなお顔がお似合いですね?


 ――なんて。そんなはずが、ありません。


 お嬢様が……わたくしの主人であるスカーレット様が。暗い顔をしていることを、侍女メイドであるわたくしが許していいはず、無いのです。

 あなたのせいでない。わたくしの弱さが原因だと。ステータスだけは立派なくせに。弱くて、どうしようもない侍女であるわたくしがすべて悪いのだと。そう吐露とろしようとしても。まるで図ったように、わたくしに弱音を吐かせてくれません。


「でも。私が、なるから」


 うつむいていたはずのお嬢様がいつの間にか顔を上げ、私を見詰めてきます。先ほどまでの弱々しい表情など、無かったように。きゅっと眉を寄せて、こぶしを胸元で握りしめて。


「私が、あなたの生きる意味になってみせるから」


 そう、誓いを立てるように、言うのです。

 彼女のことです。この言葉を発するまでに、きっとたくさん悩み、幾度も躊躇ちゅうちょしたことでしょう。実際、最初に踏み込んできたときは、不安そうな顔だったのですから。ですが、その躊躇ちゅうちょも不安も全てを1人で乗り越える力を、スカーレット様は持っているのです。


 ――本当に、強くなりましたね、レティ?


 子供っぽく喧嘩けんかをしてしまったあの日、あの別荘で。わたくしが言ってしまった代替品という言葉。あの日以来、お嬢様はわたくしの主人であろうと、一層努力するようになりましたね?

 自衛のためにナイフさばきを習い、可愛らしく文句を言いながらもきちんと鍛錬を積み、スキルの練習も欠かさない。そんな人物を尊敬するなという方が、無理な話ではないでしょうか。


「私に、あなたの時間を、もう少しだけ頂戴?」


 びくびくと、怒られることを恐れる子供のように、お嬢様はわたくしをまっすぐに見て、おっしゃいます。


 ――そんなこと、言われなくても。


 死滅神という重圧を日々背負い、人々の悪感情を一身に受けながら、それでも笑えるように努力をする。そんな、誰よりも頑張り屋なあなたを、どうしてわたくしが主人と思わないと? 誰よりもそばで、あなたを見てきたのです。わたくし以上に、あなたのことを想い、慕っている存在はいないと。そう胸を張って言えます。

 あの淫乱娘サクラ様よりも。お転婆人魚ユリュよりも。愛情深いリアよりも。本当は誰よりもスカーレット様を慕っている、ポトトよりも、です。……だからこそ。


「私じゃ、ダメ……?」


 そう聞いてくるあなたに、わたくしはこう答えるほかないのです。


「ダメです♪」


 わたくしに認められることを望むあなたが。それでいて、誰よりもわたくしに認められることを嫌う、そんな嘘つきなあなたには。わたくしも、きちんと嘘を返すのです。お嬢様から、わたくしという目標を、失わせないために。何より、わたくしがスカーレット様という、大切な主人を失わないために。

 とは言え、お嬢様からすれば、精一杯の勇気を否定されたことになるのです。当然、彼女の目には一瞬で涙が浮かびました。


「そんな……?! じゃ、じゃあもう、私には仕えてくれないの……? し、死なないでっ」


 わたくしが出奔、もしくは自害するとそう考えているらしいお嬢様。お得意の「抱き着いて離さない!」攻撃をしてきます。この攻撃の厄介なところは、涙と鼻水で服が汚れてしまうこと。そして……。


「い、行かせないわ! 自害もさせない。私がもうちょっと頼りになるまで……。あなたの生きる意味になれるまで、絶対に離さないから!」


 お嬢様の素直過ぎる言葉が心を攻撃してくることです。わたくしは何度、この凄まじい攻撃を耐え抜けばよいのでしょうか。愛おしさのあまり、このまま襲ってしまおうか。そんな衝動を、何度こらえればよいのでしょう。


 ――もうそろそろ、わたくしも我慢できなくなってしまいますよ、お嬢様……?


 ちょうど生誕神様にお会いした直後で、気持ちの高ぶりだってあるのです。


「お嬢様? このままだとわたくし、あんなことやこんなことをしてしまいますよ?」

「良いわ! それであなたの気が済むなら、こんな身体、好きにして! だから……。だから……」


 行かないで。そう泣きついてくるお嬢様。従者として、これ以上の幸せはありません。そして、弱いわたくしは、この幸せをもう、手放すことなど出来ないのです。

 わたくしも、胸に顔をうずめて嗚咽おえつを漏らすお嬢様の頭を抱きしめ、泣き虫で甘えん坊な“わたくしの主人”がこれからも誇ることのできる従者であることを誓うのでした。


 ……まぁ、それはそれとして。さすがのわたくしも、限界と言うものです。チキュウでは確か、ぜん食わぬは男の恥、というのでしたか? わたくしは女性型ですが。

 お嬢様の合意も頂けましたし、あとは美味しくぜんを頂くだけですね? となれば、アレが来る前に急がなくてはなりません。料理対決に、転移陣による長距離移動の疲れ。時差。さらには泣き疲れ。いつお嬢様がアレに負けてもおかしくありません。


「……いのですね?」

「ぐすっ……。え、ええ、どんと来なさい! だけど、約束して。もうちょっとだけで良いの。私の側にいて?」


 可愛らしい顔を涙と鼻水で汚して、それでもなお可愛らしくおねだりをしてくるお嬢様。……本当に。本当に、この方は。人をたぶらかすのがお上手です。そんなことを言われてしまっては、ついつい意地悪をしたくなるではありませんか。


「ちょっとだけ、で、よろしいのですか?」

「あ、うぅ……。出来ればずっと。私の隣で、支えてくれると、その……。嬉しいわ?」


 ふぅ……。「ずっと」のお言葉、頂きました。もう、よろしいですよね? 美味しく頂いても、よろしいですよね? 正直に申し上げて、もうほとんど話の内容など入って来ていないのです。


「かしこまりました。それでは、お嬢様。頂きま――」

「すぅ、すぅ……」


 はい、来ました。いつもいつもわたくしとお嬢様の甘い甘い逢瀬おうせを引き裂く存在――その名も「睡魔」が。こうなる前にを済ませたかったのですが、残念です。……が、ぜんの“おかず”くらいは頂いても文句は言われないと思います。リアはもう既に、何度も頂いているようですし。


 ――それに、お嬢様が眠っているからこそ言える言葉もあるわけで。


 気持ち良さそうに寝息を立て始めたお嬢様のお腹に顔を埋めて、わたくしは唯一、本心を言うことが許される瞬間を堪能します。


「心より愛しております、スカーレットお嬢様」

「んへぇ……。あ、んっ」


 そのまま、だらしのない声で返事をするお嬢様の身体を、ほんの少しだけ拝借させてもらうのでした。





※明日は期間限定でクリスマス限定EP(2話予定)を公開予定です。期間終了後は「近況ノート」のサポーター様限定の記事に転記する予定です。ご覧になって頂けるのはオンタイムで追ってくださっている読者様限定になってしまうかと思いますが、よろしくお願いします。

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