●ちょっと休憩

○side:M 本心にて①

 マルード大陸から帰還したその日の夜は、わたくしメイドがお嬢様の抱き枕……コホン。添い寝相手として選ばれました。かつてご主人様も使っていた大きな寝室は、今やもう、お嬢様の色で染められています。

 何度注意しても、どれだけ見張っていても、必ずと言って良い程、余計なものを買ってくるお嬢様。つい先日はウーラで、


『見て、メイドさん! これ、素敵だと思わない?!』


 と、興奮した様子で作りの荒い木製の人形らしきものを買ってきました。お嬢様の芸術方面における感性が独特なことは絵を見ても分かっていたのですが、それにしたってあの人形はあり得ません。店主に質問したところでは、先日、生誕神様によって生み落とされたばかりの“職人”が作った処女作だというではありませんか。

 わたくしからすれば何が良いのかさっぱりもって分かりません。しかし、手のひら大のそれを、お嬢様は帰って早々にお土産専用の棚に意気揚々と飾っていらっしゃいました。


 ふと、ベッドの上で横になりながら目をやった棚。窓から差し込むナールの光に照らされた人形は不気味で、少しだけ……ほんの少しだけ、わたくしの心をざわつかせました。


「ねぇ、メイドさん! 聞いてるの?!」


 少し詰めれば3人同時に眠ることもできる大きなベッドの上。隣にいらっしゃるお嬢様が、可愛らしく頬を膨らませています。布団の中で握られた手からは、彼女らしい、高い体温が伝わって来るようでした。


「……はい、どうされましたか、お嬢様?」


 今日はどんな話をするのか。ご主人様譲りのそのあかい瞳で、何を見たのか。お嬢様の言葉を聞き逃さないために向き直ったわたくしに、しかし。お嬢様はうつむいて、もじもじと何かをためらっている様子です。

 こんな時、わたくしは待つことにしています。お嬢様はどうしようもない阿呆ですが、考え無しではありません。失敗のほとんどが彼女なりに考えがあっての行動です。もしくは、経験不足による判断の誤り。一生懸命に考えてそれなのか、と思わないこともないですが、それ以上に。何事にも真摯しんしに向き合って、必死で考えを巡らせるお嬢様の姿を、わたくしは敬愛しています。


 ――いつからだったでしょうか……?


 出会った頃。わたくしはお嬢様を、ご主人様の代替品だと思っていました。記憶を取り戻してもらうすべはないか。わたくしのことを思い出してはくれないのか。お嬢様が「記憶は戻っていない」とおっしゃるたび、寂しさにも似たやるせなさが、確かにあったのです。

 それゆえに、わたくしの誕生日が近づいたあの日。焦りとやるせなさから、別荘でお嬢様と口論をしたこともありました。ご主人様以外に仕えるつもりはない。自死をすると言った私の言葉に、噓偽りはありません。……ですが。


 ――本当に、いつからだったでしょう……?


 思い返してみても、わたくしがいつ、お嬢様に仕えてもいと思うようになったのかは、分かりません。ただ、現在はこのお転婆お嬢様を放って自死するつもりなど、毛頭ありません。ご主人様の記憶を持ったリアが仲間に加わった時も、お嬢様を殺そうとは、微塵みじんも思えませんでした。

 確かに、リアは大切な家族であり、わたくしにとってご主人様との最後の絆でもあります。疑いようのない、特別な存在と言えるでしょう。あのリアのことです。対話を重ねれば記憶を取り戻し、ご主人様を演じることも可能でしょう。


 つまり、ご主人様を取り戻すことができるのです。


 だというのに、もし、お嬢様かリアかを選ばなければならなくなった時。今のわたくしは、お嬢様を選ぶのだと思います。きっとお嬢様は、リアを選ぶことを望むでしょう。ご主人様もお嬢様も。どちらも、救いようがない程、“自分”と言うものをないがしろにするので。


 ――だからこそ、わたくしが守らなければならない。


 そう、思ってしまうようになったのは、なぜでしょうか? お嬢様と過ごしたたった1年が、ご主人様と過ごした20年に勝る。そんなことがあっていいはずが、無いのに。わたくしを愛し、育ててくれたご主人様との絆が消えて良いはずも、無いのに。


 ――だというのに、わたくしは……。


 “死滅神の従者”という職業ジョブのせいなのか。それともわたくしが、不本意にも、お嬢様の言うように寂しがり屋だからなのか。はたまた、他者に仕えることを是とするホムンクルスだからなのか。


 いずれにしても、お嬢様との鮮やかな日々を重ねるごとに、悲しいくらい、ご主人様との記憶が色あせていくのです。どれだけ大切だと思っていても。手放したくないと思っていても。わたくしを呼ぶ優しい声が。頭を撫でて下さった大きな手が。笑いかけてくれる、怜悧れいりで涼しげな瞳が。少しずつ、わたくしの手のひらからこぼれ落ちていくのです。


「その……。大丈夫?」


 恐る恐る、という言葉がふさわしい声色と表情で、お嬢様が尋ねてきます。上目遣いと、揺れる瞳。出どころ不明の自信に満ち溢れている普段の表情とは、正反対です。彼女のその表情は、聞いても良いのか。踏み込んでも良いのか。そんなことを考えている時に見せる顔でした。

 それでもお嬢様は、勇気をもって聞いてきます。嫌われる可能性がある。相手を傷つけ、ともすれば自分も傷つく可能性がある。そう分かっていながら、なおも踏み込んでくるのです。いつも、何度でも。燃え盛る炎のような赤い瞳で、わたくしたちを照らして。


「……何のことでしょうか?」

「マユズミヒロトのこと。もしかしてだけど、メイドさん。目標を、見失っているんじゃないかって……」


 わたくしを心配する、飾らない言葉。考え込みがちなお嬢様のことです。マユズミヒロトとの因縁に決着がついたことで、わたくしが生きる意味を失っているのではないかと。そう考えられたようです。

 そして、悔しいことに。お嬢様のその予想は、おおよそ当たっているのです。


 ――本当に、無駄に鋭い時がありますね、このお方は。


 これまでは、ご主人様を殺害したやからが居る……。敵がいると、そう思うことで、ご主人様との思い出を守ることが出来ました。ですが、まだまだ自分の中で消化しきれない感情こそあるものの、表面上はマユズミヒロトとの因縁に区切りがついたのです。

 これから、わたくしはどうやってご主人様を想えばいのでしょうか……? あの方の面影をどのようにして守り、つなぎとめて行けばよいのですか……? 今もなお、分かりません。


「……全て、お嬢様のせいです」


 そう。全ては、自分も相手も燃やして、燃やして、燃やし尽くして。今にも消えてしまいそうな灯火ともしびにも似た色をしている瞳でわたくしを見る、この方のせいなのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る