○代償

 裁判の翌々日。ウーラの町に来て、6日目。9月の18日目の朝。私は、サクラさんと一緒にウーラの西部に広がる野菜畑で汗を流していた。


「わっ、見てサクラさん! これって、こんなに大きくなるものなのね……」

「…………」

「ふふっ! だけど、よく見たら太くて大きくて、可愛い形をしてない?」

「…………」

「どうやるのだったかしら……。確か、太くなってる先端ではなくて、この細い部分を握って――」

「うん、アウト! ひぃちゃん、スリーアウトです! チェンジ、チェンジ!」


 私が黒光りする寸胴型の野菜『ウリエザ』を収穫していると、隣でサクラさんが急に叫んだ。


「すごすぎて逆に怖いよ、ひぃちゃん。よくもまぁ、そんなこと平気で言えるよね?!」

「サクラさん、うるさい。訳の分からないことを言ってないで、あなたも早く収穫を手伝って。お世話になっているハザリムさんに恩を返さないといけないんだから」


 そう。私とサクラさんは今、居候いそうろうをさせてもらっているハザリムさんの畑仕事を手伝っていたのだった。この辺りは気温も安定していて、私もサクラさんも半袖の白いTシャツ。肩ひもの付いた胸くらいの長さがあるズボン……おーばーおーる? をはいて、頭には円形のつばがついた帽子という格好をしていた。

 ウリエザのヘタをはさみで切って、腰の袋の中に入れていく。出荷するのではなくこの後すぐに食べるから、傷みなんかは気にしなくて良いらしい。すでに私の腰の布袋の中には、いくつか野菜が入っていた。


「これも大きいわ。こんなの、絶対に私の口に入りきらない……」


 市場で見るウリエザは、長さ20㎝くらい。太さ5㎝くらいのものが一般的。だけど、ハザリムさんが育てているウリエザは、長さも太さも2倍近くあった。

 手のひらに収まりきらない立派なウリエザを見て、こぼれた感想。それに対して、なおも腰に手を当てたサクラさんが憤慨ふんがいしながらまくしたてる。


「うん、やっぱりわたし、悪くない! えっちなこというひぃちゃんが悪い! ピピ~、退場、退場~!」


 やや顔を紅潮させながら、小さな笛を吹く仕草もしている。


「え、えっち……?! 私の発言のどこか、卑猥ひわいなのよ?!」

「えっ?! そ、それは、何と言いますか……」

「早く! 早く説明して!」


 無意識に変なことを言っていたのだとしたら、一大事だもの。今後、同じ失敗をしないためにも説明を求める私に、サクラさんはなおも顔を赤くして口ごもる。


「ほら、なんて言うか、あれじゃん。こう、男の人のあれが、あれで……」

「何が、どれ? どの辺が、どう、卑猥ひわいだったの?」

「だ、だから! ひぃちゃんの今の感想って、そういう感じに聞こえなくも無いって言うか」

「そういう感じ? 聞く人が聞けば卑猥ひわいな意味にとれるということ? どこが、どういう風に?」


 ずずいっと詰め寄って、サクラさんの茶色い瞳を見つめる。帽子の下。顔を真っ赤にして観念したサクラさんが、


「あ~、もう! だから、ひぃちゃんの言葉っておちん――」

「お嬢様、サクラ様、ご報告が……何をしているのですか?」


 叫ぼうとした直前。ハザリムさんの家でリアさんと一緒にお留守番をしていたメイドさんが、唐突に現れた。そして、見つめ合う私たちを見て、怪訝けげんそうな表情を浮かべている。そんなメイドさんに、


「「聞いて、メイドさん!」」


 私とサクラさんは同時に事情の説明を始めるのだった。


 数分後、お互いの話を聞いたメイドさんは、


「なるほど。つまりお嬢様が例のごとく阿呆で……」

「なっ?!」

「サクラ様がいつものように変態娘だったと」

「ちがっ……!」


 そうやって話を締めくくる。


「まぁ、結局のところいつも通りだったというわけですね。そんなことより――」

「「そんなことより?!」」


 再び声が重なった私とサクラさんに一瞬、気圧されたメイドさんだけれど。すぐに表情を引き締めて、


「――はい。そんなことより。ユリュが目を覚ましました」


 現れた用件について、話してくれる。……確かに、私とサクラさん。どっちが卑猥ひわいなのかなんて、どうでも良いわね。


「それを早く言いなさいよ、メイドさん! 帰るわよ、サクラさん!」

「そうだよ。そういう大事なことは先に言って、メイドさん! 帰ろ、ひぃちゃん!」


 どっちから手を取ったかは分からないけれど、手をつなぎながらハザリムさんの家の方へと駆け出す私とサクラさん。背後で、


「はぁ……。わたくし、何か間違ったことでもしたでしょうか?」


 困惑するメイドさんの声が聞こえた気がした。




 ハザリムさんの家は、1人で暮らすにはあまりに大きい、横長の一軒家だった。瓦葺かわらぶきの屋根。ドドの木を使って作られた木造建築は、ナグウェ大陸で見たワ風建築とそっくりね。人工的な日光とは言え、デアの光がよく似合う、風情ある家だった。

 ドドの木の香りが漂う、そんな家に駆けこんだ私とサクラさん。人の家だから最低限、靴をそろえる努力はして。だけど、手を洗ったり、顔を洗ったりはせずに、急いでユリュさんが眠っていた2階へと急ぐ。引き戸を開いて、小さな部屋に置かれたベッドを見てみると、まずはリアさんの姿が見えた。

 今日も、無地のシャツに股下丈のズボンという、とても簡素な服を着ているリアさん。大人びたフィーアさんと言ってもいいほど、強く生誕神の血を引く彼女。誰しもを安心させてしまう甘ったるい体臭を放つ、そんな彼女に抱き着くように。


「ひぅ……」


 驚かせてしまったかしら。こちらを怯えたように見上げる、ユリュさんの姿があった。久しぶりに見ることが出来た、紺色の瞳。リアさんのシャツを握る手は震えているけれど、それでもきちんと動いている。血を失ってピクリとも動かなかったあの時を想うと、感動はひとしおね。


「ユリュさん!」

「わぷっ?!」


 飛びついた私に押し倒されて、驚きとも、苦しみともとれない声を漏らしたユリュさん。彼女のひんやりとした。だけど、確かに温もりのある身体を強く、強く抱きしめる。


「ありがとう、ユリュさん! 私を、守ってくれて! メイドさん達を、呼んでくれて!」

「え、えへへ……。苦しいです、死滅神様!」


 リアさんも一緒にもみくちゃにしながら、ユリュさんが生きていることを確認する。


「良かったぁ、ユリュちゃんが、無事で、本当に……っ」


 部屋の入り口で、サクラさんも涙ぐんでいる。どれだけ遠巻きにされていたとしても、ちゃんとサクラさんがユリュさんを思ってくれていた。しかも、涙を流すほどに。その事実に、私の胸がまた、見えない何かで満たされる。


「はい、は生きています! どうぞ、胸を触って確かめてください、死滅神様!」


 言われるがまま、私はユリュさんの左胸に手を当てる。小さなふくらみのその奥では、確かに、トクン、トクンと心臓が脈打っていた。


「良かった、良かったわ……っ!」

「んっ……もっと強くです、死滅神様」

「え? こ、こう?」

「あぅ、押すのではなくて、胸を揉む感じで……はい、そんな感じです。んんっ」

「だ、大丈夫? それに固い何かが手のひらに……」

「ふぅっ……ん、大丈夫です。右手はそのままで、次は左手での尾ヒレを触ってください」

「尾ヒレ? こうかしら?」

「んっ! はい、そのまま下に行くと指が入る場所があると思います。そこからぜひ、の出来立ての卵を……あぅっ?!」


 私がヌルっとした何かに指を入れた瞬間、ユリュさんの小さな身体を、メイドさんがひょいと持ち上げた。


「この人魚は、本当に、油断なりませんね、全く……。リアは変なことを吹き込まないように。お嬢様も、流されないで下さい」

「あうぅ……」


 首根っこを掴まれたキャルのような姿で、メイドさんが掲げる右手に吊るされているユリュさん。今の彼女は上半身は寝間着、下半身は下着という中途半端な姿をしている。メイドさんの発言からするに、そんな格好をしているのも、私に色々と指示を出したのも、リアさんの入れ知恵だということかしら。


 ――ひょっとして、ユリュさんに色々、余計なことを教えているのも、リアさんなんじゃ……?


 ユリュさんの願いを叶えるために。ご奉仕するために、リアさんがユリュさんに協力していても、何ら不思議じゃないわね。

 私が、これまでのユリュさんの暴挙の影にリアさんの影を感じていると。


「それで、ユリュ。わたくしたちは今、どこに居ると思いますか?」


 寝間着を掴まれ、吊るされた状態で揺れているユリュさんにメイドさんが尋ねる。どうしてそんな分かり切ったことを聞くのか。私がメイドさんの質問の意図を尋ねる、その前に。


「うぇ? タントヘ大陸じゃないんですか?」


 ユリュさんはとぼけた様子もなく、素直に思っていることを口にしたように見える。


 ――ああ、なるほど。そういうことね。


 これが、恐らく、エヌとは異なる治療の代償。


「え……? え? は、何か間違っていますか?! あっ、でもどうしてリアお姉ちゃんもここに? タントヘ大陸にはと死滅神様、メイド先輩で来ていたような……」


 吊るされたまま混乱している様子の彼女を、私はそっと抱きしめる。


「いいえ、間違ってない。あなたは何も、間違っていないわ、ユリュさん」

「し、死滅神様?!」


 そうよね。死の淵をさまよって、なんの支払いも無しに帰って来られるわけ、無いわよね。


 ――レベルの、喪失……。


 『体力』が0になった時点から始まる、死への道。それが、ユリュさんの身にも起こっていたみたい。つまり、ユリュさんは一時的に死んでいたということ。


「……メイドさん。タントヘ大陸の記憶ということは、最低でも、2週間ということかしら?」

「はい。ひょっとすると、1か月以上、記憶を失っているかもしれません」

「あ、あのあの、死滅神様たちは何の話を……? 記憶……?」


 魔素とともに失われたらしいユリュさんとの思い出を両の腕に抱えて。私はユリュさんの小さな身体を、もう一度、抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫……っ」


 生きてさえいてくれれば、もう一度思い出を作っていける。たくさん、笑い合える。吊り下げられていたユリュさんの身体をメイドさんから奪った私は、腕の中に収まった彼女の紺色の瞳と見つめ合う。


「失った分だけ……。ううん、それ以上に。またみんなで、思い出を作っていきましょう」

「あ、う? えと、えと……? 死滅神様? せ、説明を~!」


 可愛らしく混乱する彼女の元気な姿に、私を含めて、この場に居る全員が顔をほころばせるのだった。

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