○side:S・S ウーラにて②

 わたし達が泊まっていたのは、ちょっとしたホテルみたいなところ。名前は確か『ゲチリン』。7階建てで、わたし達はその最上階にある部屋に通されていた。“破壊神”ギードさんを殺したおかげで、最近はひぃちゃんが“死滅神”だって言うのが広まりつつある。宿の人が配慮したのか、それとも怖がったのか。いずれにしても、日本で言うスイートクラスの大部屋だった。

 ついでに、1泊は3,500n。普通は絶対にそんなに安くないはずだけど、宿の人がそう言ってたし、ひぃちゃんも「そうなの? やった!」って納得してたから、流しておいた。


 息を切らして階段を上り、宿の部屋の前に行く。と、高そうな絨毯じゅうたんが敷かれた廊下には、


「サクラ様?」


 きょとんとした顔でわたしを見る、リアさんの姿があった。手には買い物バッグが提げられてるから、お使いの帰りかな。そんなリアさんの目の前には、ポトトちゃんのお尻が見える。黒い羽を大きく広げるその姿は、リアさんを何者かから守っているように見えなくもない。


『ク クルッ……ッ!』


 怖がりなのに精一杯、リアさんを守ろうと羽を広げるポトトちゃん。じゃあ彼女が何からリアさんを守ろうとしていたのかと言うと……。


「どいてくれ。オレに動物虐待の趣味は無いし、この町で動物に手出したらフィーアが怖いんだよ」


 そんな子が聞こえた。多分、男の人。さっきのメイドさんの話からすると、声の主がマユズミ君、なのかな……? マユズミ君の仲間に男の人は居なかったはずだし。とりあえず、まだ、ポトトちゃんとリアさんは無事みたい。


 ――ナイス、ポトトちゃん!


 どういう状況でこうなったのかは分からないけど、元々大きな体のポトトちゃん。彼女が身体を張って廊下いっぱいにとおせんぼをしてくれたから、リアさんは無事なんだと思う。


『クルルッ!』

「いや、マジでどうしよ……。オレはそこの後ろにいる女の人も殺さないといけないんだけど……」


 ひぃちゃんの安否が気になる。だけど、マユズミ君が言った、リアさんを殺すって言葉は、さすがに無視できなかった。


「あ、あの!」

「あれ、誰かいるのか……? 悪い、そこの人。このポトトをどけるか、多分後ろにいる白髪の女の人を捕まえてくれ」


 わたしの呼びかけに、ため口で返してくる。ひょっとするとマユズミ君、結構マナー悪い感じの人なのかな。どの人にもため口使うあたり、ひぃちゃんを感じる。ポトトちゃん越しにちらっと見えた客室の扉も吹き飛んでるし、多分、強引に押し入ったんだと思う。はっきり言って、常識はなさそう。


「リアさん、これ、どういう状況?」

「はい。お買い物から帰ってきたら、部屋が吹き飛んでいました」


 う~ん……。さっぱりわからない。けど、メイドさんが言った襲撃って言葉。そして、メイドさんの職業衝動。リアさん殺さないとって言った、マユズミ君の言葉。


 ――メイドさんの口ぶり的に、ひぃちゃんが死んだような感じは無かった。それにひぃちゃんはこの場に居ない。


 ってことは、ひぃちゃんは別の所に居て、まだ無事と考えるべき。じゃあ、マユズミ君が誰を殺したかなんて、馬鹿なわたしでも、消去法的に明白だ。


 ――ユリュちゃんが、殺された。


 その事実だけで、わたしには十分だった。


「おーい、聞こえてるか? そこに居る人ー?」

「フゥ……」


 わたしは静かに。背中にかけていた弓を取り出して、引き絞る。幸い、ポトトちゃんのおかげで私の姿は見えていない。もちろんわたしからもマユズミ君の姿は見えてないんだけど……。


「〈空間把握〉」


 静かにスキルを呟いて、マユズミ君……敵の位置を補足する。肩幅に足を開いて、矢をつがえる。


「居なくなったのか……? このままじゃ、らちが明かない。ちょっと後が面倒だけど、このポトトには痛い目を見てもらうか」

『クルッ?!』

「……っ!」


 ポトトちゃんを傷つける。そんな宣言に乱れそうになる心を、研ぎ澄ます。

 敵との距離は、8.24m。間にはリアさんとポトトちゃんっていう障害物があって、あっち……地球だと絶対に当てられないような位置関係をしている。はたから見れば、今からわたしがリアさんを射ろうとしているようにも見えると思う。でも、そんなことは絶対にしない。


 ――チャンスは1回。その1回を外せば、警戒されちゃう。


 なんて思っていたら、絨毯じゅうたんを踏むかすかな足音が聞こえた。敵が、ポトトちゃんの方に歩いてるんだ。足取りがゆっくりなのは、多分、ポトトちゃんが退いてくれることを期待してるから。それくらい、フィーアちゃんの機嫌を損ねることを怖がってるってことだと思う。


 ――距離が変わった……。焦らないで、わたし。


 〈空間把握〉は、使用した時点での位置しか分からない。相手が動いていると、正確な距離は分からなくなってしまう。だから、わたしが弓を構えたまま見るのは、ポトトちゃんの足の間。予想が正しければ、敵はポトトちゃんの目の前まで来て、ゆっくり武器を振り上げて、最後まで怖がらせようとするはず。


 ――きちんと、損得を考えられる人。だもんね?


 待って、待って、待って……。ポトトちゃんの目の前に立った敵の足が見えた。でも、まだだ。メイドさんが言っていた。「敵を狩る時。武器を振り下ろすその瞬間が、最も人が油断する時です」って。事実、もしわたしが今、背後から攻撃されたら、対処なんてできないもんね。


「……これでも、ダメか。じゃあ……恨むなよ?」


 足の動きで、敵の重心が移動したことが分かった。多分、今この瞬間。彼は自分の攻撃がポトトちゃんの致命傷にならないようにって言う配慮と、ポトトちゃんの反撃。あとはリアさんの反撃を考えているはず。それに何より、ポトトちゃんの巨体の真ん前に立っているせいで、死角も多い。


 ――これで避けられたら、敵がすごすぎるだけ!


 ポトトちゃんが傷つけられる前に。


「〈弓術〉……」


 わたしは気迫を込めて。だけど、静かに、指先から矢を離す。響く弦音つるね。矢が風を切る音が、耳元で聞こえた。

 青い光を空中に描きながらポトトちゃんの股下目がけて矢が飛んでいく。時を同じくして、


『ク クルゥ……』


 緊張感に耐え切れず、ついにポトトちゃんが気絶して、尻餅をついた。でも、その直前でポトトちゃんの股下をくぐり抜けた弓は、そのまま。向こう側に居た敵の足の間も通過する。そして、


 ――今。


 わたしの意図を汲んだ矢が、直角に軌道を変える。直後、廊下にはピンと張ったゴムが切れるようなパンッという音と共に、


「あ゛ぁぁぁーーー!!!」


 野太い悲鳴が、響き渡った。その声は、クシを拷問したあの日に聞いたものとよく似ている。人が、致命傷を負った時にあげてしまう、そんな悲鳴だ。


 ――うん、狙い通り。敵のアキレスけんを切れた……はず。


 わたしは矢を背中にかけて、すぐに腰から提げていた剣を手に取る。そのまま地面にへたり込んでいるポトトちゃんを、天井スレスレまで跳躍してかわした。


「リアさんはポトトちゃんの介抱をお願いします!」

「はい」


 リアさんがコクンと頷いたことを確認して、わたしは敵の背後に降り立つ。案の定、そこには右足首を抑えて顔を青くする敵……ううん。1人の、人間の男の子が、わたしをにらみつけていた。


「お、お前! 死滅神と一緒に居たっていう、召喚者……! くそっ、なんでここに……!」


 悪態をつきながら、これまでわたしが向けられたことのない表情で、わたしを見てくるマユズミ君。


 ――これが、憎悪……。


 怒っているのとも違う。ただひたすらに、自分を害する存在を憎む、むき出しの感情。それは、もうすっかり慣れてしまった“狩り”では感じることのできない、人という生物が放つ、等身大の想い。


 ――そっか。今、わたし……。


 初めて、自分の手で敵を……、マユズミ君を……。「人間」を傷つけた。その事実に気付いたわたしの全身から、一気に血の気が引いていく。


「はっ、はっ……はっ……」


 呼吸は浅くなって、全身に力が入らない。マユズミ君の足元に広がっていく血だまり。


 ――どうしよう、もしこのままマユズミ君が死んじゃったら、わたしは、また……。


 持っていた剣を落として、そのまま膝から崩れる、直前。


「お疲れ様、サクラさん」


 いつの間にか背後に居たひぃちゃんが、優しく受け止めてくれたのだった。

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