○あの日の記憶

 “異食いの穴”に入ってどれくらい時間が経ったかしら。古フォルテンシア語が書かれた不思議なドア枠をくぐった私たちは、次の瞬間には、一面の花畑の中に居た。赤、青、黄、白色……。色とりどりの花々が、大地を埋め尽くしている。

 青く澄んだ空はどこまでも続いていて、雲一つない。と、花畑から淡く発光する光の玉がふわふわと舞い上がった。1つ1つの大きさは親指の爪くらい。花と同じで様々な色に輝いて、宙を漂っている。


「メイドさん! アレって……!」

「はい。精霊せいれい族の方々ですね」


 美しい景色に興奮する私の声に応えてくれるメイドさん。彼女の言う通り、ふわふわ漂う光は全て、精霊族と呼ばれる人々だった。


「生誕神が生み出す妖精ようせい族と違って、魔素が自然に集まって〈ステータス〉を持った存在、だったわよね?」

「はい。見ての通り人の形を成さず、綿のような身体であるために魔族とされている人々です」


 本当に、パッと見はただの光る綿。だけど、様々に輝くそれらすべてに意思があって、個性があると言われているわ。ただ、言語というものを持たないから、意思疎通が難しいというのが難点だけれど。


「大迷宮で見かけないと思ったら、こんなところに集落を作っていたのね」

「精霊族の人々は、『体力』を持ちません。その代わり、スキルポイントが0になった時点で消滅……死亡してしまいます。そのため魔素そのものを摂取して生活しているわけですね。生態としては魔物に近いのかもしれません。大迷宮よりも濃い魔素があるこの迷宮は、精霊族の人々にとって、いわば食料の宝庫。彼らにとって住み心地の良い場所だったのでしょうね」


早口で語るメイドさんの説明を聞きつつ。ふよふよと寄って来た精霊族の人々に「こんにちは」なんて挨拶をしていたら……。


「死滅神様~! こっちに川があります!」


遠くでユリュさんの声が聞こえた。

何も無い朽ちた遺跡から一転。きれいな景色のおかげで忘れそうになっていたけれど、私たちはまだ迷宮の中に居る。外――大迷宮――に出ることができていない以上、出口を探す必要があった。辺りを見渡してみても花畑が続いているだけで、出口らしいものは見当たらない。


「川、ね……」


 ひとまず私はメイドさんを伴って、ユリュさんの声が聞こえた方へ向かった。


「見てください、死滅神様! 川です!」

「ええ、川ね」


 ユリュさんが指し示していたのは、幅5mくらいの小川だった。いやもう、本当に何の変哲もない川なのよね。向こう岸も同じように花畑が続いている……のかと思ったけれど。どうやら向こうは丸い石が転がった河原になっている。しかも、深い霧がかかっているせいで、どうなっているのか分からない。


『スカーレット。向こう、何かいる。強敵』


 向こう岸を観察していた私の手を握って話しかけてきたのは、ティティエさんだ。彼女の水色の瞳は対岸にかかっている濃霧を見つめている。


「何か……?」


言われた私が改めて目を凝らしてみると、何か黒くて大きいものが居るような……? 少なくとも、大きさは10m以上ありそうね。問題は、ティティエさんをして「強敵」だと言わしめること。


「つまり、キリゲバと同じくらい強いってこと?」


 尋ねた私に、ティティエさんは首を大きく横に振った。


『違う。キリゲバ以上。多分、ちちたちより強い』

「え、ティティエさんのご両親より?!」


 感じるものがあるのかしら。いつもはゆらゆら揺れている尻尾をピンと立てて、ティティエさんは警戒する様子を示している。いいえ、それだけじゃない。微かに……。ほんの微かにだけれど、私の手を握るティティエさんの手が震えていた。


「ティティエさん……?」


 最強種のティティエさんが不安になるほどの敵。もしアレが襲い掛かってきたら……。私も不安になってしまって、思わずティティエさんの名前を呼んでしまう。けれど、彼女はそんな私に優しく笑った。


『でも、安心。敵意、無い』

「敵意が無い……? どういうこと?」

『多分、向こう行く、襲い掛かって来る。こっち、問題ない』


 彼女の言葉を噛み砕くなら、向こう岸に行かない限りは襲ってこない、ということかしら。そして、向こう側という言葉で思い出すのは、さっきのメイドさんが解読してくれた、ドア枠に刻まれていた言葉だ。


「『なんじ』『訪問者』『1人』『(解読不能)』『ほふる』『行く』『可能』『向こう』だったかしら……」


 つまり、ティティエさんですら震えてしまう強敵を倒さなければ、向こう側――私の希望的予想ではチキュウ――に行けないってことよね。でも、これはこれで収穫だわ。恐らく、ここに入った召喚者たちは川の対岸へと行こうとした。だけど、あの、霧に潜む何者かによって殺された可能性が高いんじゃない? それを証明するかは、分からないけれど。


「お嬢様。どうやらこの川、渡ることができないようです」


 メイドさんが、見えない壁を押すような仕草を見せる。私も岸のギリギリまで行ってみれば、


「あ痛っ?!」


 透明な壁に鼻とおでこをぶつけてしまう。


「~~~~~~っ!」

「まったく、このお嬢様は……。迂闊うかつが過ぎます」


 呆れを越えににじませるメイドさんの言葉を聞きながら、もう一度、見えない壁に触れてみる。汚れ一つない透明な壁が、川に沿ってどこまでも続いている。


「……メイドさん。この壁、どうにかできそう?」


 私の言葉に、メイドさんが軽くナイフをひらめかせる。だけど、甲高い音を立てて、ナイフが弾かれてしまった。続いてやって来たティティエさんが壁を殴りつけるけれど、


「……ん」


 手応えが無いと首を振る。


「な、ならが! 【ウィル フュー】!」


 そう言ったユリュさんは、川の水を呪文で動かそうとしてくれたのでしょう。でも、川の水面に変化はない。


「メイドさん……」

「はい。可能性の話にはなりますが、恐らくこの壁をどうにかできる者が、外来……召喚者なのかもしれません。それに……」

「それに?」


 メイドさんが示したのは、川の水面だ。透明な壁におでこを当てながら覗き込んでみるけれど、そこには何も居ない。というよりこの川、底が見えないわね。水が濁っているわけでもないから、川幅のわりに相当深いのかも。


「川が、どうしたの?」

「気づきませんか? わたくしたちの姿が、反射していないのです」

「あ、本当ね。つまり……ん? つまり?」

「ただの川ではないのでしょう、としか。ただ、気味の悪い川であることに違いありません」


 私たちの姿を映さない川。恐らく召喚者だけがどうにかできる、透明な壁。そして、向こう岸に居る、強大な力を持つ何者か。何もなかった遺跡と違って、ここには手掛かりになりそうな物がいくつもある。ひとまず、忘れないようにメモを取っておきましょうか。ただ、言葉では言い表せない。精霊族が住まうこの幻想的な花畑の光景だけは、記憶にしっかりと刻んでおきましょう。……多分、忘れてしまうのでしょうけれど。


 ひとしきり記録と記憶をしたところで、じゃあどうしようかという話になる。私たちはまだ、迷宮の中。そして、この“異食いの穴”は生還率が極めて高い。


「きっと、どこかに出口が――」

「「あ、あの……」」


 迷宮の出口を探す私を呼んだのは、暴漢たちから助け出した2人の女性だ。どうしたのかと歩み寄ってみれば、彼女たちの足元に、直径3mくらいの穴が開いている。深さのほどは分からないけれど、穴には黒いもやが漂っていて、別の場所に続いていることが分かった。


「でかしたわ! 見つけてくれて、ありがとう!」

「い、いえ。この子が……」


 2人の女性のうち、丸耳族の女性がもう1人の牙族の女の子を示して見せる。


「その……。匂いが、したので……」


 見た目がガルルに近い牙族の人たちは、五感が発達していると聞く。どうやら彼女も、持ち前の嗅覚で、暴漢たちが常日頃から使用していただろうこの穴を見つけてくれたみたいだった。


「ふふ、そうなのね。助かったわ」


 改めて女の子にお礼を言ってから、みんなを招集する。そして、他に目ぼしい出口がないことを確認した後。メイドさんを先頭にして、私たちは穴に飛び込んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る