○本当に、気持ちのいい、朝だわ!

 額と頬に口づけたらなぜか二度寝をしてしまったユリュさん。彼女のことはひとまず置いておくことにして。


「次は、リアさんね」


 私はベッドの上を移動すると、仰向けで寝転んでいるリアさんの腰にまたがる。と、紫色の瞳はもう既にぱっちりと開かれていた。


「あら、起きていたのね、リアさん。おはよう」


 まぁ、そうよね。たった今ユリュさんのせいで布団が引き剥がされたわけだし、そもそも普段、リアさんはこの時間には起きていることが多い。彼女のことだから、私が寝室に来た時点で起きていたとしてもおかしくなかった。

 普段ならここで表情を少し和らげながら「おはようございます」と言うリアさんだけれど、今日は違った。


「いいえ、リアは眠っています」


 腰の上に座る私を見て、リアさんが自分はまだ眠っていると言う。……私、知っているわ。これが、リアさんなりの甘え方だってね。普段は適当にいなすことも多いけれど、昨日はたくさんお祝いしてもらった。


「あら、そうなのね。じゃあ早く起きてもらうためにはどうすればいい?」


 可能な限りのお礼がしたい。そう思って聞いてみれば、ある意味で予想通りの答えが返って来た。


「ちゅう、です」


 ちゅう。チュー。それはサクラさんが言うところの接吻せっぷんだったはず。


「今のスカーレット様は酔っています。リアにとってはチャンスです」

「私が、酔っている……?」


 リアさんに言われてようやく、私は自分が未だに魔素酔いの中にあることに気付く。今朝から少し言動に歯止めが利かなかったような気がしたけれど、これで納得ね。昨日食べた物がゆっくりと魔素になっていって、翌朝の今、私の体内を駆け巡っている、と。


「ふふ、そうね。私、酔っているみたい。でもきちんと、自分がなすべきことは分かるわ。……って、きゃっ」


 私が話している間も、リアさんは抜け目なかった。滑らかな動きで身を起こすと、私の首に腕を回して再び後ろに倒れこむ。それだけで、四つん這いの私の下に、リアさんが居る体勢になった。そして私の首に回した腕に力を込めて、私を抱き寄せる。そのままいつものように接吻をするのかと思ったけれど、違った。


「おでこ……?」


 リアさんは、自身の額と私の額とをピッタリ合わせたのだ。火照った私の額がリアさんの体温で冷やされるのが分かる。まるで、酔って熱くなっている私の頭を、自らの体温で下げようとするようとしてくれているみたい。と言うか、そうなのでしょう。


 ――本当に、リアさんは……。


 彼女の奉仕の気持ちを改めて強く感じつつ。目を閉じた私は、昨日の感謝を言葉にする。


「リアさん。昨日はお手伝いさんと一緒に、朝から料理を作ってくれたのでしょう? ありがとう」

「いいえ。リアの大好きなスカーレット様をお祝いするためです。リアの……私の『したいこと』でした」


 持ち前の奉仕の気持ちだけでは無くて、ちゃんと自分の意思で、私をお祝いしてくれたと言ってくれるリアさん。この子の言葉に、私は何度、気持ちをくすぐられれば良いのかしら。欲しい時に欲しい言葉をくれる。居て欲しい時に、そばに居てくれる。そんなリアさんの優しさは、人や動物の垣根を超えるんだもの。本当に自慢の姉妹だわ。


「昨日だけじゃない。いつもありがとう、リアさん」


 そう言って頬に口づけをする。リアさんに拘束されている、今の状態。普段のリアさんなら、確実かつ的確唇を狙ってくる。そしてびっくりするくらい柔らかい舌を絡めてくるところなのだけど。


「これでお礼になるかしら?」

「はい。スカーレット様と違って、リアは、寝起きです。今は、これで我慢します」


 何かしらのこだわりがあるのかしら。寝起きだからという理由で、リアさんがそれ以上の行為を求めてくることは無い。その代わり私の首に回した腕に力を込めて目を閉じると、おでこを引っ付けた今の状態をしばらく堪能していた様子だった。

 意外ときつい体勢に私の腕がプルプルし始めた頃。満足したらしいリアさんが解放してくれる。


「ふぅ……。さて、最後は、サクラさんね」


 下を向き続けていたせいか、それとも、酔いを意識してしまったからかしら。あるいは、その両方か。酔いが回った私は、もう、息も絶え絶え。それでも私はサクラさんを起こしがてら、お礼を言わないといけない。

 間にユリュさんを挟んで、リアさんの反対側に居るサクラさん。彼女の所まで、文字通りうのていで向かう。途中、ユリュさんの丈夫な尾ヒレを膝で踏んづけて、図らずも「んにゃっ?!」と起こしてしまった気がするけれど、事故よね。


「サクラ、さん。サクラ……さん。――あっ」

「おっと」


 サクラさんにたどり着く直前に手足の力が抜けてしまった私。そのまま倒れ込みそうになったところを、サクラさんが抱き止めてくれた。


「えへへ、おはよう、サクラさん!」

「うん、おはよう、ひぃちゃん。って言っても、この調子だとひぃちゃんはすぐに寝ちゃいそうだけど」


 膝の上にある私の頭を撫でて、苦笑しているサクラさん。だけど、すぐにいたずらっぽく笑ってみせると、


「それで~? わたしにはどんなありがとうをくれるのかな~?」


 お礼の催促をしてくる。昨日聞いた話だと、誕生日を半年も前から企画してくれていたらしい彼女。浮遊島から帰って来た時にもらった緋色のグラスも、実は私の「はーふ誕生日」を祝って用意していたモノらしいわ。

 そして、昨日。彼女からは新しくヒイロノカネがあしらわれた首飾りを貰った。金属の鎖に、リングが付いていて、そのリングに楕円形のヒイロノカネが付いている。もしもの時はスキルポイントの代わりにもなる。サクラさんらしい、実用性を兼ね備えた贈り物だった。


「昨日くれた、ねっくれす? ありがとう! 大切にするわ」

「いいえ、どういたしまして。気に入ってくれたなら、お姉ちゃんとしては嬉しい限りです! ……それから?」

「それから、あとは……あとはね。……大好き!」

「わたしの時だけめっちゃ短い?!」


 私としては、精一杯ありがとうを伝えたつもり。だというのに、サクラさんは満足してくれていない様子。


「むぅ……」

「あ、ごめん、つい本音が……」


 酔っている場合じゃ、ないわよね。どうやったら、私の中にあるありがとうが伝わるのか。酔いに惑わされないように、冷静に。考えに考え抜いた私は――。


「嬉しいよ? 嬉しいんだけどこう、もうちょっと何かあってもって思っちゃう――んっ?!」


 何やら言っているサクラさんに、やっぱり口づけをする。


「えへへ、これで、良いかしら?」

「え、あ。……え? いま、ひぃちゃん、くち……」

「サクラさん、いつもありがとう! だい、すき……」


 メイドさんに抱く特別とはまた違った好きをどうにか行動で示したところで、私は限界を迎える。


「……うぷっ」

「ちょっ、待って、ひぃちゃん! えっと、えっと、なんか袋とか……」

「サクラ様、メイドさんが用意してくれていた顔を洗うための桶です」

「ナイス、リアさん! ついでにメイドさんも!」

「空っぽの桶をスカーレットお姉ちゃんの前に……? リアお姉ちゃん。その桶、何に使うんですか? それにスカーレットお姉ちゃん、なんだか様子が――」

「ユリュ様はリアと一緒に居間に行きます。メイドさんと朝ごはんが待っています」

「え? あぅ、でも……。は、はい」


 私に憧れてくれているユリュさんを、リアさんが半ば強引に寝室から連れ出したところで。


「おぇぇぇ……」


 私は酔いの気持ち悪さを全て、桶の中に吐き出した。……結果。


「ふぅ……。本当に、気持ちのいい、朝だわ!」

「口元拭いてから言ってね、ひぃちゃん。あと、ちゃんと魔法使ってスキルポイントを使うように。それから、これは自分で処理してね」

「うっ……。はい……」


 早口でまくし立てるサクラさん。口調は乱雑だけど、その頬は少しだけ、赤らんでいる気もする。その姿が妙に愛おしくて、ついつい聞いてしまう。


「ふふっ! 私のありがとうの気持ち、届いてくれたかしら?」


 そんな私の言葉に顔をさらに赤くしたサクラさん。茶色い目を大きく見開いた後、口をパクパクさせて、深呼吸を1つ。そして、ジトリとした目を私に向けると、


「つ、次はひぃちゃんが素面しらふの時にお願いします」


 そう言って、自身のぷっくりとした唇をそっと指で押さえるのだった。

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