○今日からまた、よろしくね

 誕生日の翌日。心地よい虚脱感に包まれながら私は目を覚ました。昨日は好物の料理やスイーツをお腹いっぱいまで食べた。何なら、少しだけ魔素酔いをするくらいには食べたわ。自分でもびっくりするくらい泣いたこともあって、帰宅して1時間後の9時ごろには眠たくなって。そのまま魔素酔いでぽわぽわする頭で寝室に来て、それから……。


「それから……?」


 想いまぶたを持ち上げて自分が起きたベッドを見てみると、右手にはサクラさん、左手にはリアさん。そして足元には自分の尾ヒレを咥えているユリュさんが居た。

 いくら私が使っているベッドが大きいとは言っても、4人で使えばさすがに手狭だ。リアさんは肩が半分くらい毛布から出てしまっているし、ユリュさんなんて、毛布がかかっていない。とりあえずユリュさんの小さくて軽い身体を私が居た場所に運んで、毛布を被せてあげる。


「おはようございます、お嬢様」


 と、私がベッドから降りた頃、寝室のソファに座って窓を眺めていたらしいメイドさんが挨拶をしてくれた。


「くわぁ……。おはよう、メイドさん。珍しいじゃない、あなたがまだ寝間着だなんて」


 座卓に置かれた間接照明に照らされてぼんやりと見えるメイドさんは、私とサクラさんが先日渡した寝間着を着ていた。淡い黄緑色のツルツルした素材で、ほんの少しだけ透け感のあるワンピース。寝苦しさを感じず、それでいてメイドさんの大人っぽさを引き立たせてくれる。そんな寝間着だった。

 大きなあくびをした私を目だけでとがめつつ、メイドさんが寝間着姿の理由を語る。


「いいえ。今日はお嬢様が早くに起きられただけです。まだ朝の6時ですよ?」

「え、嘘?!」


 慌てて大窓を見てみれば、外は真っ暗。この時期、イーラ周辺の日の出の時刻は朝の6時30頃。だけどイーラは周囲を高い山々に囲まれているから、その少し後に朝日が顔を覗かせ始めたはず。このまま季節が進んで行けば、イーラの町はどんどん昼の時間が短くなっていく。逆に、夏の間は昼の時間が長い。私たちがほとんど留守にしていた日の季節だと朝の3時に日が昇って夜の9時、10時までデアの光がある、なんていう日もある。浮遊島に居た時の私の時間感覚は、どう考えてもおかしかったと見るべきでしょうね。

 幸いなのは、さっきも言ったように周囲を高い山々がイーラの町に影を作ってくれること。夜はデアの光はあまり気にならない。


「うふふっ。お嬢様がこの時間に目覚められるとは。昨日といい、珍しいこともあるものですね。つい最近までエルラに居たからでしょうか?」

「時差、だったかしら。他の大陸はともかく、ハリッサ大陸とマルード大陸は時刻のわりに特殊なデアとナールの位置をしているものね……」


 転移の不便なところと言えば、そこよね。大陸ごとに、軸となる時間がある。これまでは鳥車や船を使ってのんびりと移動していたから感じなかったけれど、転移だとこっちが朝でも向こうが夜、夕暮れなんてことも珍しくない。


「そういう意味では、転移陣が使えるようになる前に、エルラで体内時間の調整を訓練で来たことが大きいわね」

「はい。大迷宮でも、それが役に立ちましたものね?」


 日の出と日没の話をしながら、私はさりげなくメイドさんの隣に腰掛ける。そして、身体と首を傾けて、そっと彼女の身体に寄りかかってみた。それでも、メイドさんが私を邪険にすることはない。ただ静かに背筋を伸ばして、私の体重を受け止めてくれた。

 しばらく続く沈黙。だけど、相手がよく知る相手だと、不思議と嫌なにならない。それどころか、お互いに分かり合っているという安心感すらあって、心地よい。このままもう一度眠ってしまおうか。そう思うけれど、私には1つ、メイドさんに聞き忘れていたことを思い出した。


「……ねぇ、メイドさん。昨日聞きそびれたことを聞いても良いかしら?」

「はい、何でしょうか?」

「昨日、どうしてあなたは怒っていたの? 私が誕生日を忘れていたから、ではないのよね?」


 そう。昨日の朝、メイドさんは怒っていた。だから私は、メイドさんをなだめると言ったサクラさんに言われるがまま家を出た。いま思えば、お誕生日会の準備を進めるために私を追い出したのでしょう。けれど、それにしたって昨日の朝のメイドさんはツンケンしていたように思う。


「あなたにとっても昨日は大切な日だったのでしょう? 良ければ、教えてくれない?」


 ソファに置かれたメイドさんの手。寝間着なだけあって、普段は手袋に隠された手が露出している。水仕事をしているのに、細く滑らかで、きれいな手。だけど爪は短くて、どの指も深爪ギリギリ。私たちのために頑張ってくれているその手に指を絡めて、私は1歩、メイドさんという人に踏み込んでみる。

 そうして絡めた私の指を、メイドさんが振りほどくことは無かった。


「そう、ですね……。実はわたくし自身も、どうして自分が腹を立てたのか、分からないのです。ただ……」


 そこまで言うと、天井に顔を向けて何かを考えるような素振りを見せるメイドさん。博識な彼女にしては珍しい。


「ただ、どうしたの?」


 続きを促す私の言葉に、メイドさんは正面……少しずつ明るみ始める庭と、その先にある水平線を見遣って口を開く。


「お嬢様……レティとわたくしが出会ったのも、ちょうどあなたが目覚めたときでしたね?」

「ええ。目覚めてすぐ、ポトトと会って。その後、血濡れのナイフを持ったメイドさんに会って。不敬にも、ナイフを向けられたわね?」

「んふ♪ そんなことも、ありましたね」

「そ、そんなこと……?!」


 私にとっては『キリゲバに見つかった』くらい衝撃の出来事だったのに、メイドさんにとってはそんなことらしい。思わず声を上げた私の反応が可笑しかったのでしょう。クスクスと上品に笑った後、再びメイドさんが薄ピンク色の唇を開く。


「そう。レティの誕生日とはそのまま、わたくしとレティが出会ったその日でもあるのです。だというのに、あなたはその事実を忘れている。それを知った時、どうしてでしょう。……無性に、腹が立ったのです」


 私が、メイドさんと出会って1年という節目に当たる記念日を忘れていた。だから、メイドさんは不機嫌になった……?


「そ、それって……。それって、どういうこと?」


 期待しそうになる自分自身を必死でなだめて、私はメイドさんに真意を問う。だけど、帰って来たのは私が期待した答えでは無くて、


「さぁ、どういうことなのでしょうね? レティは、どういうことだと思いますか?」


 そんな、質問だった。肩に置いている私の顔を覗き込んで、翡翠色の目を細めるメイドさん。絡めた指にはお互いに、きゅっと力が入っている。


「そ、その答えはズルいわ。質問に質問で返さないで」

「ですが、わたくしにはその理由が分からないのです。だから他者の感情に関してだけは鋭いレティに、聞いているのですよ?」

「うぅ……」


 私の中には1つだけ、メイドさんが不機嫌になった理由が思いついている。だけどそこには、多分に、私自身の願望……と言うか、欲望と言うかが含まれてしまっている。そしてそれを今この場で――メイドさんと至近距離で見つめ合っている今の状態で口にすることは、なんとなくはばかられた。だから、結局。


「……し、知らないっ」


 そっぽを向きながら言って、ごまかすことしか出来ない。


「あら、残念です」

「ふんだっ、あなたの気持ちなんて、私が知るわけないじゃない」

「んふ♪ それも、そうですね。わたくしが腹を立ててしまった理由については、わたくし自身の方で考えておくことにします」


 そう言って、メイドさんは姿勢を正して、また正面を見据える。彼女の視線の先にはほんの少しだけ顔を出したデアの姿があった。


「朝ですね。そろそろ朝食の準備をしなければ」


 絡めた指を優しく解いて、ソファから立ち上がるメイドさん。きっとこのまま居間の隣にある自室に戻って“みんなのメイドさん”に戻ることでしょう。……だったら、その前に。


「メイドさん!」


 私は彼女を呼び止める。どうしたのかと振り返った彼女の翡翠色の瞳を見て、私は言い忘れていた言葉を口にする。


「1年間、いつもありがとう。今日からまた私のお世話、よろしくね」


 そう言って笑ってみせると、メイドさんもやれやれと苦笑してみせる。


「1年経っても変わらない、生意気な態度。人に物を頼むときの態度は、相変わらずですね、レティ?」

「言葉遣いや態度もそうだけれど。なるべく早く、あなたの手助けが必要ないくらいになるよう、善処してみせるから」

「……期待せずに待っておきましょう」

「それと……」

「まだ、何かあるのですか?」


 早く用件を済ませろ。そう言いたげに眉をひそめるメイドさんの圧に、それでも私は屈しない。何手も先を読むメイドさんの内面なんて、私が知るはずもない。ましてやメイドさんすらわからない彼女自身の内面なんて、推し量るのもばかばかしいわ。


 ――だけどね、メイドさん。私は、自分の気持ちだけは、分かるの。


 背後でデアが昇ってきていることを感じながら、私は今日からまた始まるメイドさんとの“これから”に向けて。眩しそうに目を細めるメイドさんに、感謝を込めて言うの。


「大好き!」


 そんな私の言葉を笑顔で受け止めたメイドさん。深々と頭を下げた後、今度こそ寝室を出て行ってしまったのだった。

 今日明日中には、マルード大陸へと赴くことになると思う。目指すは生誕神が治める町『ウーラ』。フィーアさんを含め、どんな出会いが待っているのか。ゆっくりと昇って来るデアを見つめながら、私はこの先に待っているだろう出会いと、大切な人との別れに思いを馳せた。

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