○エストナールが、美味しかったわ
20㎝くらいの
「ん~~~~~~!」
口に頬張った甘味『エストナール』の美味しさに、私は悶絶する。エストナールは、この時期が旬の甘みの強い野菜ナールを楕円形に固めてしっとり焼き上げたお菓子ね。表面に塗った卵黄のおこげの香ばしさ。砂糖とはまた違った、ナールが持つねっとりとした甘み。つなぎとして入れる牛乳のまろやかさ。その全てが最高の形でまとめ上げられている。さすが、手のひらの半分もないのに1つ450nもするお菓子ね。
「へへっ。どうだ、気に入ってくれたかよぉ? って聞かなくても分かるか」
私の正面に座るハグルさんが鼻の下をさすって、照れくさそうに微笑んでいる。このお店を紹介してくれたのも、ハグルさんだった。
じゃあどうして今、私とハグルさんが2人でお茶をしているのかと言うと、これこそがハグルさんの提案した「勝った時」の約束だったから。もし負けたら私からビンタ1発と町を全裸で走り回ると約束したハグルさん。代わりに彼は、自分が勝ったら「俺の
「紅茶も美味しいわ。渋みが強いハルパの葉がねっとり甘いエストナールにぴったり。きっと、ハスティ島産のハルパね」
カップの中。透き通った深い茶色を映す紅茶の香りと余韻を味わいながら、高級茶葉の産地に思いを馳せる。心地よい苦みと渋みが特徴のハルパ。普通は牛乳と混ぜて頂くことが多いのだけど、今はエストナールと合わせているからそのままで頂く。そして、ハスティ島はハルパの一大産地。今いるアクシア大陸の北西部に浮かぶ小さな孤島で栽培された茶葉は、他の場所で栽培された者よりも強い香りを持つ。紅茶好きの中では特に人気で、メイドさんも“とっておき”としてたまに淹れてくれる逸品だった。
再度ハルパの紅茶を口に含んだ後、私は目の前で緊張している様子のハグルさんへと話を振る。
「それはそうと、どうして私にしか利がないような条件を出したの? 賭け事の玄人であるところのあなたが、自分の不利な提案をする理由が分からないのだけど」
「はん、分かってんじゃあねぇかスカーレット。俺ってやつをよぉ」
私の質問に、腕を組んで得意げな様子を見せるハグルさん。
「こうしてあんたとお茶をすることこそが、俺の目的なんだからよぉ」
「私と話すことが目的? どういうこと……?」
「あん? そのまんまの意味じゃあねぇか」
「……?」
ハグルさんが言っている意味が分からなくて、私は首を傾げることしか出来ない。私とお茶をすること、話すことが目的だった?
「死滅神と繋がりを持ちたかったってこと?」
死滅神という名前・権力を目的に近寄って来る人は、これまでも少なからずいた。メイドさんに言わせればアイリスさん……というよりは、アイリスさんのご両親もそうだという話だけれど、それはそれとして。死滅神を含め、神と名の付く
「んにゃ、
「じゃあ、やっぱり。私にはあなたの目的が分からないわ? 良ければ教えてくれない?」
私は自分の胸に手を当てて聞いてみる。ハグルさんには24,000nをものの数分で150,000n強にしてもらった恩がある。私にできることなら恩返しをしたかった。
「あんた、それ、本気で言ってんのか?」
「え、ええ。ごめんなさい、私、察するってことが苦手で……」
「はんっ、本当に世間知らずのお嬢様だったってことかよぉ」
頭の後ろで手を組んで、お店の天井に目を向けるハグルさん。どうやら私、呆れられているみたい。分かる人にはきっと、お茶をするということの別の意味が分かるのでしょう。けれど、私にはお話をしたり、情報を交換したり。それこそさっき言ったように、下心を持って私に近づいてきたりする以外の目的が分からない。
「とりあえず、お代わり要るんだろ? 頼んで良いぜぇ」
いつの間にか空になったお皿とカップをごつごつした指で指し示して、追加の注文をして良いと言ってくれるハグルさん。
「……そうね、ありがとう。店員さん!」
彼の厚意に甘えることにして、私はエストナールをもう2つと、今度は苦みが強めの紅茶を頼んでおく。その注文が届くまでの短い時間。言いたいことを察してあげられない無力さで黙ってしまった私を見かねたのかしら。ハグルさんがお行儀悪く椅子を後ろに傾けて、お店の照明を見上げながら口を開いた。
「いや、まぁ、な。俺も父ちゃんから聞いてただけで、実際にこういうことをするのが初めてだったんだけどよぉ」
私と目を合わせないよう、天井を見ながら。ハグルさんは続く言葉を口にした。
「……んだよ」
「え?」
「だから! ……ったんだよぉ」
「あ、えぇっと……。その、ごめんなさい、上手く聞き取れなかったわ。出来ればわたしの方を向いていってくれると嬉しいわ?」
やるせなさに、立つほどに短い金色の髪をガシガシとかくハグルさん。彼の言いたいことを察してあげられなかったうえに、聞き取ってあげられない。2重の申し訳なさで、ついつい視線が下がってしまう私。そんな私の目の前に、注文したエストナール2つと紅茶が差し出される。店員さんが持ってきたものを、ハグルさんが私の前に移動させてくれたみたい。
お礼を言おうと顔を上げると、ようやく、ハグルさんの鋭い目の奥にある茶色い瞳と目が合った。そして、私が「ありがとう」と口にするよりも先に。
「だからよぉ。あんたに……スカーレットに、惚れちまったって話だ」
ハグルさんはきちんと私の目を見て、はっきりとした声で、言ってくれた。彼が言った言葉を、私は切り分けたエストナールと紅茶と一緒に飲み込む。
「
「改めて本人に言われると辛いが、まぁ、そうなるなぁ」
「なるほど、だからお話をすること自体がハグルさんの利になるわけね。……1つ確認してもらいたいのだけど、私には〈魅了〉のスキルがあるの。あなたのステータスに付記は無い?」
スキルの効果で〈魅了〉された場合、ステータスの状態欄に〈魅了/○○〉が付記される。メイドさんやサクラさんならまだしも、小娘でしかない私に好意を寄せるなんてことは考え辛い。それに、ハグルさんと私は初対面で、私はホムンクルスだから子を成すこともできない。相手が興奮する要素は、無いはず。だから〈魅了〉されているのだと思ったのだけど……。
「
ステータスを確認したハグルさんは、〈魅了〉されていないと語る。
「……そう。えっと、他にはそうね。あなたは強者に憧れているとか?」
ユリュさんの場合ね。憧れを好意と勘違いしていることもままある。今回もそれかと思ったけれど、
「いやまぁ、男としちゃぁ強くありたいとは思うけどよぉ。それと惚れた晴れたは
ハグルさんは違うと口にした。あとはリアさんのように奉仕の気持ちが先走っているということもある……? いいえ、これはリアさんが奉仕種族のホムンクルスだから起こっているのであって、普通の人はあそこまで誰かに尽くしたいとは思わないでしょう。
「え。つまり、ハグルさんは私……スカーレットを好いてくれていると。そう言うの?」
「最初にそう言ったんだけどなぁ」
頬を掻いて、気恥ずかしそうに眼を逸らすハグルさん。その態度が、私には演技には見えない。
「私とハグルさんは初対面よね?」
「まぁ、そうだなぁ。実際は、半年くらい前に俺は町であんたを見かけてはいたんだけどよ」
半年と言うと、私が初めてエルラを訪れた時かしら。確かにあの時は、冒険者ギルドで配達の依頼を受けて町を走り回っていた。
「そん時だ。俺があんたに惚れたのは」
「でも、話したことはないわよね?」
「恥ずかしいんだが、一目惚れってやつだろうよぉ」
一目惚れ。恐らく、あれよね。私がメイソンさん――メイドさんが変装した姿――に対して抱いていた想い。それと似た感情を、ハグルさんは私に抱いてくれていたということ。あの、全身の血が沸騰したような、職業衝動とも違う居心地の悪い、なのに不思議と嫌じゃない感覚。
そんな、いわゆる「好意」を、ハグルさんは私に向けてくれている。
――私を好いてくれる。
その事実をしっかり確認しても、どうしてかしら。私の心は、
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